始まる日〜L'Oiseau bleu.
 
「……ここは私の一族が経営するホテルで、最上階のスイート数部屋を常にキープしているんですよ。女性はこういうところ、お好きでしょう……?」

 細い身体を組み敷いたまま、そっとささやく。
 理事室で彼女を犯したあと、自失した彼女をここまで運んだ。
 連れ帰るのは自宅でも構わなかったが、そうするとただでさえ壊れかけた自制心が吹っ飛び、おそらくそのまま彼女を監禁して、もう二度と外へ出さないような気がしたのだ。
 彼女を、自分だけのものにしたい。
 だが、意思をなくした彼女が欲しいわけではない。
 
 ――愚かな真似をしている。自分でもわかっていた。
 
 止められるものなら最初から止めている。卑怯な開き直りを頭の中で呟きつつ、腕の中の女性を見つめた。
 今までにさほど強い性交の経験はなかったのか、一度目で既に大半意識を飛ばした彼女は、遠慮のない私の行為にひどく堪えているようだった。
 躯は成熟しているのに、見せる反応は初々しく、それがかえって私の欲を煽る。
 無理矢理など、男として最低の行為を、自分がすることになるなるとは――
 荒く息を吐いて呼吸を整えていた、彼女の虚ろな瞳に力が戻る。瞬きを繰り返し、“それ”が気のせいじゃないことを理解したのか――眉がしかめられた。

「りじ、ちょう……」

 いまだ頑固に役職名で私を呼ぶ声に、目を細める。

「……だめ、ナカ、」

 呻いて、震える手を私の胸につき身を離そうとする彼女に、笑みを浮かべた。
 今さら気づいたのだろうか、私が避妊せず自分の中にいることに。
 おそらく拒むためだろう、彼女の内側が異物を排除しようと蠢く。――全くの逆効果だと思いもせず。
 小休止はこれくらいにして、と再び動き出す。細く折れそうな腰を掴んで、ギリギリまで引き抜いて緩んだところを強く奥まで突いた。悲鳴じみた声を上げて、彼女が抗って身をよじる。

「い……っ、ぃや、おねがい……っ……もうやめ、やめて――」

 否定の言葉ばかり口にする彼女に、身勝手にも苛立ちが募った。
 わざと、中で放ったものを、その意味を理解させるように粘ついた水音を響かせる。しゃくりあげる彼女の耳を食みながら告げた。

「避妊なんて、勿体無いことしませんよ……? ようやく、手に入れたのに――」
「い、や……」
 首を振る彼女は、長く続く情交に朦朧としているのか、私の執着めいた言葉にも反応せず、ただ身体を戦慄かせていた。
 半ば意識を失った状態でも私にすがりつくことはせず、シーツを強く握りしめて、無理矢理に与えられる快楽に耐えようとする。
 思い通りにならない想い人の頑固さに、嗜虐心が煽られた。
 手に入れるにはどうしたらいい。
 金や、権威や、見かけになびく人ではない。そういう人ではないからこそ、欲しいと思うのだ。
 こうして一時、身体はじぶんのものに出来ても、心ばかりはそうはならない。
 どうすれば私を見てくれる。
 どうすれば―――
 

  ***********

 
「古賀理事長でいらっしゃいますか? はじめまして!」

 車を降りた途端、はつらつとした声が私を呼んだ。
 そちらを見ると、パンツスーツに身を包んだ同年代程の女性が、私に笑顔を向けて駆け寄ってくる。
 その春、一族の経営する学院の理事を勤めることになり、初めて視察に訪れた日のこと。

「私、二年英語教科担当、楠木と申します。本日は理事の案内役を仰せつかまつりました、宜しくお願い致します」

 ハキハキした口調はさすが教師といったところか。
 クセのない真っ直ぐな黒髪を清潔にまとめて、目を見張るほどの美人ではないが、内面の輝きが表にあふれ出ているような、笑顔が魅力的な女性だった。
 日頃、自分を見ると秋波を送るような異性にしか囲まれていなかった私は、彼女のさっぱりとした雰囲気に一目で好感を持つ。
 年若な新しい理事長に対する興味と、親近感以外に含むところはない態度も、気に入る原因だったのかもしれない。
 教頭と、職員室にいる教諭たちと一通りの挨拶を済ませたあと、校内を見学がてら理事室まで案内してもらう。
 本来なら、一教師ではなく校長が自分の相手をするはずだったのだが、どうしても外せない用事があるとかで、たまたま授業のなかった彼女に白羽の矢が立ったらしい。
 校長とは以前に顔を合わせていたので、別にかまわなかった。
『楠木先生』は第一印象通りのひとで、頭の回転も速く、話していて退屈することもなく心地よい、と初めて女性に対して思う。
 この学校の卒業生でもあった彼女から、古参の教諭たちの面白おかしいエピソードを聞いたりしつつ案内される校内に、次第に愛情のようなものを覚え、押し付けられたはずの職務が楽しみになってきていた。
 道すがら、数人の生徒が階段の角で談笑しているのに気付く。
 ……今は授業中では? と、考えた途端、隣の彼女が拳を振り上げた。

「こらぁ! あんた達またサボってるわね?! とっとと授業に戻る!」

 元気に生徒を叱り飛ばした彼女は、それまでの知性的なイメージとはまた違う顔で。

「おわっ茅乃ちゃん!」
「茅乃ちゃんそれ誰? 浮気? フジオカが泣くぞ」
「このおバカ共、こちらの方はあんた達の理事長様よ。ほらご挨拶は!」
「げ。マジに? ……」

 理事長、と聞いた途端に彼等の背筋が伸びて、一斉に頭を下げられた。その変わりように思わず苦笑してしまう。

「こんにちはッス!」
「サボりじゃないッス、自習中なんで!」
「楠木先生は俺達みんなのモノなので例えイケメン理事長様でも手出し無用でお願いしまス!」
「アホ言ってないで教室に戻りなさい! おバカをそれ以上酷くしてどうするのっ」

 口調はぞんざいでも、生徒達にはそれが嬉しいらしい。ちえ、とすねながらも楽しそうに言うことを聞いている。
 慕われているのだな、と微笑ましくなった。

「茅乃ちゃんのおヒスー」
「理事長様ご機嫌ようー」
「くれぐれも手出し無用で!」

 口々に投げられる嫌みのない悪態につい吹き出してしまう。

「……すみません、礼儀がなってなくて……」

 頬を染めながら謝る彼女に首を振る。

「いえ、面白かったです。名門、良家の子息揃いと言われていても生徒は普通の子達のようで安心しました。
 楠木先生、人気者なんですね?」
「舐められてるんですよ……貫禄なくて、茅乃ちゃん呼ばわりされちゃってますし」

 眉を下げて嘆くのに、私は微笑んだ。

「それだけ親しまれているんでしょう。口でどう受け答えしても、言われた通りちゃんと教室に戻るというのは、信頼がなくては出来ないことですよ」
「だったら嬉しいんですけど」

 はにかんだ笑顔を見せる彼女は自分より二歳年長には見えず、少女のように可愛らしくて。
 そう感じた自分に内心驚く。
 何だろう、この感情は――。
 
「楠木先生」

 ある教室の前を通りかかったとき、ドアが開いて眼鏡をかけた男が顔を出した。

「藤岡先生、」

 ふんわりと、今までとは違う女らしい笑顔になった彼女を見て、チリ、と胸がやけつく。

「物理を担当しています、藤岡正紀です。窓から来られるのが見えましたので、授業中ですがご挨拶だけでもと」
「古賀です。どうぞよろしく」

 言った通り挨拶だけしてすぐ授業に戻った男と、密かにアイコンタクトを交した彼女の左薬指に指輪が光っていることに、そのとき初めて気が付いた。
 約束の相手がいる印。
 
 思えば、輝くような笑顔は、あの男に愛されている幸せが生み出したものだったのだろう。
 そうとは知らず、その笑顔に魅せられ、気付かぬうちに心を奪われていた自分がいて。
 彼女と接する度に惹かれていくのを止めようもなかった。
 そんなふうに初めてともいえる強い恋情に戸惑っている間に、彼女と藤岡との結婚話は進む。
 今更、出る幕もなく。
 出会って一年。校長から直接、婚約したらしいと話を聞き、彼女の幸せが一番だと自分を無理に納得させていた――と、いうのに。
 ある日見かけた彼女からは、あふれんばかりの笑顔が消えていた。

 笑っている。
 いつものように生徒達と楽しそうに会話をして。
 だけど瞳には無視できない翳があった。
 余計なこととは思いながらも、興信所を使って彼女とその周りのことを調べさせると、信じられない結果が出てきた。
 藤岡と、とある女生徒との関係。
 生徒に手を出すような馬鹿な男には見えなかったが、よりによって校内で抱き合っている写真を提出されては疑いようもない。
 怒りでどうにかなりそうだった。
 彼女を手に入れておきながら、別の女を抱くなんて。
 そのことにはまだ彼女は気付いていないようだったが、何か感じるものはあったんだろう。
 ――だからこその翳り。
 そして、どうすれば彼女が傷付かなくてすむか手をこまねいているうちに、その日がやって来た。
 通りがかったのは本当に偶然。だが、立ち止まって盗み聞きの真似をしたのは故意。
 白々しくも詫びを入れる男に憎悪を覚えたが、それよりも彼女だ。
 ――どうしてそんなに聞き分けがいい。隣に浮気相手を隠して別れ話をする男のどこがいい。それに気づいていながら、なぜ微笑む――。
 潔いくらいきっぱりと別れを了承した彼女だったが、階段で膝を抱えて涙を流している姿を見て我慢出来なくなった。
 私がいるから。
 誰よりも愛しているから。
 独りで泣かないでくれ―――
 
 慰めるつもりでくちづけて、その唇の甘さに、抱きしめた身体のやわらかさに、歯止めがきかず、無理矢理身体を繋げた後で、後悔する。
 泣かせたい訳でもなく、傷付けたい訳でもなく、幸せそうに笑って欲しいだけだったのに、自分の欲望を優先し――間違えた。
 もう駄目だと、破れかぶれで閉じ込めて、逃げられないように罠にかける。
 お人好しの彼女ならきっと、そうするだろうと予測して。
 
 ――そうして、彼女はこの腕のなか。
 
 気絶するように眠ってしまった彼女の滲む涙を唇で吸いとり、身体を離した。
 傷付けたい訳じゃないのに。
 ままならない自分の行動にため息をついて、眠る彼女を起こさないよう、そっと抱き直す。
 彼女はまだ、自分を捨てた男を愛している。
 そいつを守るために私に身体を委せたくらいだ、よほど好きだったんだろう。
 腹立たしくてならない。
 こんなに想われているくせに、まだ子供ともいえる若い娘に走った愚かな男。
 彼女との約束だから今は放っておいてやるが、報復を忘れることはない。せいぜい今のうちに、彼女を裏切って手に入れた幸せを楽しむがいい。
 私にとって最重要なのは、彼女にあの笑顔を取り戻すこと。
 出会ったあの日の、
 光あふれるような笑顔を―――
 
 彼女の腕をとり、印のなくなった薬指にキスをした。
 痕をつけるほど、強く、食む。
 ――逃がさない。
 今は苦しめるしか出来ないけれど、いつか、あの日のように笑わせてみせるから。
 
 果たして捕らわれたのはどちらなのか。
 恋と執着の鳥籠に。
 貴女という檻に、囚われている――――


(2010.08.12改)
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