トリハナニイロ/10RT(1)
※本編終了後のお話です※


 いつも通り目覚ましのアラームが鳴る直前に起きて、ちょっともったいなかったな、と思った。
 本日は休日。
 雑務仕事も部活指導も何にもない、完全完っ璧なオフ。
 カーテンを思い切り開けて気持ちの良いお天気だと確認した私は、顔を洗うついでに洗面台の横に設置した洗濯機に汚れ物を入れ、スイッチを押した。
 部屋着に着替え、コーヒーを入れる準備をしながら今日一日をどう過ごそうかと考える。
 一日中ごろごろだらけちゃおうかしら、それともこの機会に足を延ばして従姉おすすめの茶店で本を片手にのんびりするのもいいかな。
 ――しかし、ウキウキと予定を立てている頭の端っこで、もう一人の私が「茅乃、それはフラグよ」とささやく。
 何の予定もない休日。
 のんびりしようと思う私がいると、必ず、こういう場合やってくるのは――
 ピンポン、と早朝に似つかわしくない来客の訪れを知らせる音に、私は唇をへの字に曲げた。
 もう一度チャイムが鳴る。のろりと椅子から立ち上がる。
 十中八九、誰が来たのがわかるのは、愛の力なんて理由じゃない、ただの経験則だ。

「おはようございます、茅乃さん」

 玄関のドアを開けたそこにいたのは、ご機嫌麗しい笑顔の理事長兼愛人――もとい、恋人の彼、だった。
 たしか直接会うのは二週間ぶり、一昨日はフランスにいるようなことを言っていなかったかしら。どうしてここにいるのかしら。仕事はいいのかしら。
 ぐるぐると考えつつ私が返したのは、「おはよう暁臣くん」というオウム返しかつ間抜けなもので。
 ニコニコした彼に当たり前のようにこめかみにくちづけられて、その超ご機嫌っぷりに内心引いていた。
 暁臣くんがテンション高いときって、たいがいめんどくさいんですけどーーー!
 嫌な予感に襲われている私を尻目に、暁臣くんは手を差し出す。そして、言った。

「デートしましょう」


  ***


 今さら改まってなんなの、って思うじゃない。
 彼はいくつもの役職を抱えた忙しい人間だ。会える時間はとても少ない。
 私もそれなりに忙しいから、会えなくても不満はないし、会うたびに濃密な時間を過ごさせられているので足りないどころかぐったり…………ええと、とにかくあまり「久しぶり! 会いたかった!!」と感慨を抱くほどでもない。
 まして、「仕事と私、どっちが大事なの?」なんて言うわけがない――というか、ウッカリすると私のほうが言われかねない。「生徒と私、どっちが大事ですか」とか訊かれて、正直に口ごもらないようシミュレーションしておかねば……。
 もちろん、会いたくなかったなんて思ってはいないのよ? 顔を見て変わりないことがわかれば安心するし、忙しい合間に時間を作って、何とかして会いに来てくれているのだってわかってるから、そういう気持ちは嬉しい。
 嬉しいんだけど、それとこれとは別、なのだ。

「……あのね、暁臣くん。だからね、出かけるたびにその日着る服を買うなんて、無駄が過ぎると思うのよ」
「たまにしかお会いできないんですから、恋人としてこれくらいさせてください」
「物を与えるのだけが恋人じゃないでしょう」
「もちろんです。ちゃんとほかの恋人らしいこともさせていただきます」

 暁臣くんが言うと何か別に意味が含まれているようにしか聞こえないんですが。
 私たちのやり取りを心得顔で聞き流す店員に囲まれて、これ以上会話を続けるのは危険だと判断した。
 私の予定など訊かぬふりで、まず彼が連れてきたのは、古賀グループ系列のブランドショップだった。

「こちらも似合いそうですね。出してください」

 シックかつさりげなくゴージャスなソファにゆったり座った殿下が、カタログ片手におっしゃる。
 抵抗は諦めよう。私は素早く手渡された次の服を持って、フィッティングルームに入る。これで何着目だろうとか考えるのを放棄して。
 いつだかに似たようなことがあったわね。彼の友人であるレナードに引っ張り回され着せ替えさせられた時のことを思い出して、暁臣くんが嫌がるであろう一言が、とてもとても言いたかった。
 あんたたち類友! 行動パターンが一緒よ!

「やっぱり茅乃さんは青がお似合いだ。それもいただきましょう」

 金は天下の回りもの金は天下の回りもの、湯水のように金を使う男とうまく付き合う呪文を心の中で唱えつつ、ようやく終わるかと肩の力を抜いた。
 はあ、やれやれ。

「ふぅん。なかなかだね、詩歌の次に合ってるかも」
「次に、は余計ですよ」
「詩歌のドラマのためにつくった服だからさ、二色展開しかしてなかったんだよね、ソレ。結局藤色が採用されたから、売れるのもそっちばっかりで」

 詩歌と一緒の服を着たからって詩歌になれるわけでもないのにねー。
 爽やかに毒を吐く姿に、古賀はこんなのばっかりかと遠い目になる。
 暁臣くんが選んだ今日の一着に着替え直してフィッティングルームを出ると、ソファに美人が増えていた。
 色素の薄い長い髪と瞳の色と天然の傍若無人な雰囲気が、どなたかの血族であると証明している。
 暁臣くんが載っていたりするのは主に経済誌だけれど、こちらの方はだいたい女性誌を賑わわせている人物だ。相楽潔氏、暁臣くんの年長の従兄弟、ファッションブランドK/Sの社長様。
 種類は違えどよく似た生き物が和やかに会話しているようでいて、それぞれ好きなことを言っている光景に疲労を覚えた。

「茅乃さんは、はじめてでしたね。従兄の潔です。廉の兄と言ったほうがわかりやすいでしょうか。人品に問題はありますが、創るものだけはうちの弟と同様に素晴らしいので、生きているのを許されている類いの人間です」

 あ、暁臣くん……?

「よろしくー、人格に問題のある従弟の婚約者さん。僕の詩歌には負けるけど、僕の服を素敵に着こなしてくれる女性は大歓迎だよ」

 そのさっきからやたら主張されている『僕の』詩歌(職業女優・歌手)さんですが、先日スッパ抜かれた社長様との熱愛発覚の記事に、辺りが静まり返る美しく冷ややかな笑みで「人類が滅びてもありえません」って答えてませんでしたっけー。目が死んでたわね。
 わかるわかるぅ〜、この一族の野郎と関わるとそんな感じになっちゃうわよねぇ〜、とブラウン管のこっちで頷いた私だ。
 矯正はもう無理だし、外見と肩書き財力をあまりあるほど備えている者共を、一般人がどうしろというのだ。諦めるしかないだろう。
 でもさ、理解するのと納得がいかない気持ちは別なのよ。この際だから抗えるところまで抗ってやろうと思っちゃうのよ。
 不穏な気配を感じ取ったのか、暁臣くんが眉をひそめる。

「茅乃さん、何かおかしなことを考えてません?」
「考えてない考えてない」

 皮一枚笑顔の仮面を被った私は無我の境地で答えた。


 さて次にドレスアップした(させられた)私が連れてこられたのは、お料理もサービスも超一流のフレンチレストラン。
 一族のテリトリーであるレイリオールや会員制でもない、人目のある一般のお店で。
 化粧はしているけれど、誰だかわからないくらいに化けていない自分が、暁臣くんと堂々と出歩いていることが、なんとなく居心地が悪かった。
 理事長と雇われ教師でも、御曹司と謎の愛人でもなく、彼とお付き合いをしている女として、ここにいることが、何かの間違いじゃないの? って――……、正直に言っちゃったら、暁臣くんが世にも情けなさそうな顔をするので思うだけにしておくけれど。
 暁臣くんと関係を持ってから(ちょっとこういうと淫靡ね、間違ってないけど)二年、恋人同士にシフトチェンジして一ヵ月。
 未だに、暁臣くんがどうしてそこまで私に想いを傾けてくれたのか、よくわからないでいる。
 目新しい、自分の思い通りにならないものが珍しかったのだろうと、考えたこともある。
 恋人になっても私の態度が甘いとはかけ離れたものだという自覚はある。
 でも、しょうがないじゃないって言いたくもあるのだ。
 会うときはいつも、突然で、こっちの都合なんてお構いなしで。デートと言うよりも、逢引という言葉の響きが似合う時間を過ごしていた。
 それだけじゃないときもあったけれど、あんな経緯があった恋人関係で、デートとか。
 いまさら。
 わざわざ宣言してするのが、ヘンな感じ。

「仕事は大丈夫なの? 週明けからまたあちらに行くんじゃなかった?」

 今日一日休める時間があるならゆっくりしていればいいのに、と言外に含ませて訊ねると、にこりと有無を言わせない笑みが返ってくる。

「大丈夫です。どうせ仕事もそこそこにレオの我儘に付き合わされるだけなので。逆に『仕事』と言うのが申し訳ないくらいですよ」

 暁臣くんはここしばらくウィンスレット・レイリオールホテルの夏の開業に向けての準備や何やらで日本と英国を行ったり来たりしている。
 本当は彼が口を出す段階はとうに終わっているのに、問題児であるウィンスレット城主が余計なことをやらかさないように――あるいはやらかしたときの人身御供として、いまだに役目から解放されていないのだ。ご苦労様です。

「茅乃さんに叱られてしまいますから、無理はしません」
「そ、そう……」

 ヘンな感じといえば、これもだ。
 愛人やってたときはスルーできた彼の甘ったるい笑みや言葉が、いたって本心から垂れ流されているものだと理解してからは、むず痒いことこの上ない。
 こっちは長い間秘めることを美徳としている文化で育った純正日本人なのよ!
 お芝居や台詞だと思えば軽く受けられるのにね、困ったものだわ。

「私の余暇は茅乃さんと過ごすために取ると決めているので、以前より休みは多いくらいですよ」

 休みは休みましょうよ。別に放っておかれても気にしない……

「あなたを放っておくと、私との関係を気の迷いだったかな、なんてことにしてしまいかねませんし」
「……いくら私でもそれはないわよ」

 たぶん。
 相変わらず読心術でも使っているのかという読みの鋭さを見せる彼から目を逸らす。
 まあ、メールや電話のやり取りは頻繁だし、そんなこと思う暇もないっていうのもあるけれど。ウザイとか思ってないわよ、ホントよ。
 若干、恋人に向けるにはふさわしくない疲労の表情を隠しきれなかったのか、暁臣くんは圧しの強い笑みを深めた。

「レオをうまく抑えられたら時間もできますから、改めて茅乃さんのご両親にお会いしたいと思っていますので」
「え、ええぇ……別にいいわよ……」

 そんなに慌てて周りを固めなくても。
 できるだけ面倒を先延ばしにしたい私の煮え切らない態度などお見通しらしい暁臣くんは、遠慮の言葉など聞かなかったように話を続ける。

「以前はろくにご挨拶もできませんでしたし、今後ご迷惑をおかけすることも多々あるので」

 そう、多々あるの。ご迷惑は確定事項なの……。
 とりあえず突然こんな殿下が家に来ちゃったら父の血圧が上がりそうだから、徐々に根回ししておかないとまずいわ。
 暁臣くんが望んでいるのは雇用主としてじゃなく恋人としての紹介だろう。
 ……無理! どんな顔して“これ”を交際相手だと言えばいいの!
 だらだらと脂汗を流す私を知ってか知らずか、暁臣くんがキリリと頷く。

「ご両親に気に入っていただけるように、がんばりますね」

 ……追い詰められている気持ちになるのはどうしてかしら。

 
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