青い鳥(1)
 

「――終わりにしましょう」

 嫌です、と喉まで出かけた言葉は音にすることは出来なかった。
 微笑んだ彼女が、今までのどの時よりも美しくて。その強い瞳に、何も、言えなかった。
 無言を肯定として、彼女はこの部屋のキィをテーブルに置く。
 いつもどこか頭のすみにあった、光景。その時を考える度に、幾通りも自分のとるべき行動を模索していた。――だが、いざその時を迎えると。
 何もできない自分を思い知る。

「さようなら、――理事長」

 応えないのがせめてもの抵抗だった。



アオイトリ 最終章
〜青い鳥〜




 今から思えば、全てが後手に回っていた段階で、おかしいことに気づいてもよかった。だがその頃の私は、休む間もないスケジュールに追われて、いつもの情報確認を怠っていたのだ――。

「暁臣さま、帝樹さまから至急とご伝言が」

 知らせを受け取ったのは、来春オープン予定の、ウィンスレット城ホテルに滞在していたときだった。
 時刻は深夜。秘書も私もまだ就寝には至らず、城の一画に作らせた簡易オフィスで仕事を片付けていた。
 基本的に、自分が指揮を取らない仕事に関してはこちらに任せきりの父が連絡を寄越す、それ自体に違和感を感じる。至急、とわざわざ言い置いているのは、その通り連絡しろということ。
 一旦手を置いて、父の直通にコールする。すぐに繋がり、開口一番、端的に告げられた。

「暁臣、厄介事だ。藤岡教諭がヘマをやらかした」

 抹殺したい男の名前に、瞬時に状況を把握する。
 あの男が犯すヘマなど決まっている。

「……バレましたか」
「ご丁寧に、回覧板回してくれちゃったぜぇ、ガキ共」

 回覧板、ということは学園のWebニュース。報道部経由か。ちらりと抹殺したい男その二の存在が頭を過った。

「どうする、お前戻って来れねぇだろ。十時から臨時会議だが」
「ジェットを飛ばしても無理ですね。代理を頼めますか」

 自ら連絡を入れてきたことから、最初からそのつもりだったのだろう、あっさり了解の言葉が返ってくる。
 父のスケジュールがどうなっていたか、記憶を掘り起こし、会食程度ならキャンセルしても大丈夫かと判断し、余計なことは言わなかった。
 父も二年前までは学園に関わっていたのだ。どうせなら自分が口を出したいのだろう。

「藤岡教諭関係の書類は甲斐田に管理していますので。今の段階で、どの様な処分か目されていますか?」
「いや? 今データを送らせたが、言い訳しようと思えば出来る程度だ。――まあ、しないだろうが」
「そうですね、クソ真面目ですから」

 忌々しいことに。内心で付け加えていると、向こう側の父が笑い声を立てる。

「やっぱ元恋敵だ思うと穏やかじゃないか」

 からかいは無視して続けた。

「出来れば大事にしたくはありません。時期が時期ですし、解雇、退学ということになれば生徒の動揺を誘うでしょう。幸いというか……彼が弁明するかわかりませんが、女生徒の親は関係を了承しています。それで情状酌量を狙ってください」
「親が? ――ああ、高原――琴巫女の家か」

 情報を確認しなおした父が不快を表す。
 一般とはまた違う意味で、上流世界の裏で有名な家名。それだけで大体を把握したらしい。書類を見れば詳細はわかるので、それ以上は言わなかった。
 藤岡の事情がどうであれ、茅乃さんにした仕打ちは許せるものではない。
 彼女が自分を守る為に、私に身を捧げたことも知らず、のうのうと友人面をしていたことも、こんなバレ方をしたことも。
 だが、それでも。
 やはりあのひとは彼を庇うのだろう。それが一番憎らしい。

「――父さん、情報処理部に寄る時間はありますか? 部下に言付けますので、学園から会議の状況を通信してください」

 怪訝な顔をする父に、部下が説明しますから、と通話を切った。
 次に、向こうでのこの時間なら出勤しているだろう部下に連絡を入れ、指示しながら、これからのことを考えた。

 秘密が秘密でなくなった。
 茅乃さんを縛っていたものが、明るみに出てしまった。
 いま、どういう気持ちでいるのか、聞きたくて、聞きたくない――



 通信機器の向こうのやり取りに耳をすます。部下に手配させ、父に持ち込ませたそれから聞こえる声に意識を割きながら、半分はこちらの仕事をして。
 会議は藤岡を救う方へ流れている。
 この期に及んでまだ藤岡を庇う茅乃さんにも苛立ちを感じたが、それが彼女だ。そういったところも好きだから、仕方ない。
 しかし今までのんきにいられたのは誰のお陰かわかっているのか、あの男は。

【――いっそのこと、報道部のパパラッチ根性を逆手に取って、“熱愛発覚! 婚約発表インタビュー!”なんてさせるのはどうですか?】

 茶化すように抑揚をつけた彼女の声が、距離に隔たれたこちらにもはっきりと響く。
 話術に優れている彼女のペースに巻き込まれ、会議の空気も前向きで明るいものになる。
 唐突に彼女を指名した父が、それを意識していたのか疑問だが。
 私と彼女の関係、そのいきさつもおそらく調べただろう父のことだ。半分以上面白がっているに違いない。

【……逆にオープンにすると?】
【うちの校風を鑑みるならば、それがベストだと思うんですけど】

 笑みを含んだ父の意地の悪いからかいも、真っ正面から対して彼女が答える。
 話は私が想定していた範囲内で解決を迎えそうだった。
 会議が始まる前、父に渡していた案と、さして変わらぬ解決策を彼女が差し出して――これで問題は最少に済むだろうと、気を抜いた瞬間。

【と、いうことだが、お前の意見は?】

 明らかに楽しんでいる声音のクソ親父が、“こちら”に言葉を投げてきた。その場にいられない以上、裏方に徹して成り行きを見守るつもりだったが、そうはいかなくなってしまう。
 眉をしかめた私に、画面の向こう側で会議の様子を中継していた甲斐田が、どうしますか? と問うてきて――諦めて、口を開く。
 結局、衛星通信を利用して会議に介入した形になった私に、(なにやってるの)という彼女の呆れた声が聞こえた気がした。
 盗み見た彼女の様子に、いつもと変わったところはない。
 状況が状況で、個人的にコンタクトを取ることも出来ない。
 先送りにすればするほど、彼女とのこれからが難しくなるようで、気ばかり焦る。

 学園の関係者に今回の件に対する根回しや連絡を入れながら、こちらの仕事も進め、やっと手が明いたのときは昼を過ぎていた。
 あちらは深夜。茅乃さんはまだ起きているだろうか。
 痺れるような疲労が頭の働きを鈍くしていたが、ここで引くわけにはいかなかった。
 コールする。十を数える辺りで、彼女が出た。

【――はい】
「茅乃さん、」

 やっと連絡できた。
 ホッとして呟くと、クスリと笑む気配。
 すこし元気がない様子なのは夜のせいか、それとも気がかりがあるのか。
 私とのことか、それとも別の――、

 会いたい。
 触れたい。
 早く抱きしめたい。

 次に顔を見て話すときは、関係に決着をつけなければならないとわかっていても、やはり、ただ、会いたかった。
 話しているうちに調子が出てきたのか、昨夜から寝ていないことを彼女に看破され叱られて。
 ちょっとでもいいから横になりなさい、と気遣いながら命じる彼女の言葉が途切れ、空白ができる。
 通話が終わりる直前、意を決して告げた。

「もう数日したら、そちらに帰ります。……その時に、お話があるので」
【――ええ。私も、話したいことがあるわ】

 抑揚なく答えた彼女の静かな声に、何故か不安を覚えた。



 ウィンスレット城の改修は、金に糸目はつけないレオのお陰で、有り得ないほど短期間で終了していた。彼の一族がこの地を支配していた頃より数百年、古城は何度か住み良いように改築されていたことも、理由かもしれない。
 現当主であるレナードとその使用人たちは、城が建てられた当時のままの姿を残す母屋に変わらず住まい、表側は、いかにも城といった外観を活かしたホテルに。
 客室二十五、完全予約制だが値段はリーズナブルに設定し、当主の望み通り若い女性が好む雰囲気を心掛け、春のオープン時には若者を中心に好感度が高い女優を起用した広報が行われる。城内にある教会も修復され、いずれはウェディングにも利用する案が出ていた。
 レイリオール本社から手配された支配人へ引き継ぎが住めば、私の仕事は終りだ。

『ご苦労だったな、アキ』

 滞在中、拠点にしていた一室で帰国の準備をしていた所へ、酒瓶を片手にレオがやって来る。ご丁寧にグラス付きで。
 私の応えも待たずにソファーに座り、手酌で酒を飲み出す。彼の城だから我が物顔で振る舞うのは当然だが、一応は客室でその態度はどうなんだ。

『お前な……、俺は明日早いんだが?』
『労いに来てやったんじゃないか、相手ぐらいしろ』

 労いに来た相手に命令するな。と言っても聞くような奴じゃない。荷物をまとめる手を止め、諦めてグラスを取った。

『間違ってもホテル客の前でその俺様を出すなよ、城主』
『ふふん。俺を含めた全てがこの城の売りだ。相応に振る舞ってやるさ』
 今回のプロジェクトは、レオの――ウィンスレット一族の希望を見出だすための試みだと、私だけが知っている。
 レオがレイリオールに出した条件は一つだけ。
“若い女性が好みそうなホテル”にすること。
 難しいことではなかった。城はロマネスク様式で、野風の庭園は薔薇が咲き乱れている。古から手付かずの自然が美しい景観。街とは距離があるため、アクセスだけが不便だが、送迎車を用意し、特別感を出す。従業員の制服をクラシカルなもので誂え、非現実空間を演出する。
 おまけにホテルのオーナーである城主は、いくつかの爵位を持つ際立って容姿の優れた青年貴族だ。
 話題性は十分、女性が好みそうな要素は揃っている。
 それもこれも全て“喪われた花嫁”を探し出すための布石。
 ここまでしておいて、本人はただの気休めだと言う。自信家の彼らしくないが、それは見つからなかったときの、自分自身に対する言い訳なのだろう。

 強い望みは、叶わなかったときに大きな絶望に変わる。
 最初から、諦めていたと思い込んでいれば、傷は深くない。

『オープン前にカヤノでも連れて来ればいい。友人特権でタダにしてやるぞ』
『誰がお前にちょっかい掛けられるためにワザワザ来るか』

 ただでさえ、危うい関係だというのに。
 私の不機嫌な返しに、レオが意地の悪い笑いを見せる。

『なんだ。まだ捕まえていないのか。いい加減逃げられるぞ?』

 わかっていないくせにわかったような物言いが、余計に腹立たしい。

『――帰ったら、プロポーズするつもりだ』

 自分に言い聞かせるように、告げて、グラスに揺れる琥珀色を飲み干した。


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