青い鳥(2)
 
 帰国してすぐには、彼女に会いに行くことは出来なかった。
 まず社へ足を運び、留守にしていた間の情報整理、レイリオールへの書類提出、藤岡の件の各理事への状況報告、苦情処理。
 茅乃さんが頭となって行なった全校生徒への説明は、なんとか無事に済んだらしい。細かい問題は多々あるが、とりあえずは一日休めるくらいの仕事を終わらせ、自宅へ帰れたのは深夜を回る頃。

 私が不在の間、茅乃さんにつかせていた警備からは、特に変わった報告はなかった。
 強いて言えば、丹羽の令嬢が接触したとあったが、友好に別れたということだったし、美雨伯母には何度も縁談を受ける意思はないと告げている。
 千鶴嬢の気持ちは知っているが、応えられない以上どうするつもりもない。
 だがそれで、ますます茅乃さんとの関係をハッキリさせなければならないと、踏ん切りがついた。
 そろそろ学園は期末考査の準備で忙しくなるだろう。その前に彼女に会わなければ、と段取りを考えていると、車の中で、警備からの連絡を受ける。

「――彼女が家に?」
【はい。一旦帰宅されたあと、暁臣さまの部屋へ向かわれました】

 今まで、合鍵を渡していたとはいえ、茅乃さんが自ら鍵を使うことはなかった。
 それが、何故。
 その答えを知っているが、理解したくなかった。
 覚悟をした、などと言いながら少しも出来ていなかったことを思い知らされる。
 だが逃げるわけにも行かず、私はドアを開けた――



「お帰りなさい」

 明かりの灯った廊下。暖められた部屋。キッチンにいたらしい茅乃さんが、ひょいと頭を覗かせて迎える言葉を口にする。
 錯覚しそうだった。

「……ただいま戻りました」
「なにか口にした? 外寒かったでしょ、粕汁作ってあるけど食べる?」

 半ば呆然として、リビングに入った私は、意識しないまま頂きますと応えて。
 学校の仕事をしていたのか、テーブルには立ち上げられたままのノートパソコンに、書物やプリントが散乱していた。テキパキとそれを脇に寄せ、茅乃さんが小さな握り飯と、香の物、温められた汁物を置く。
 上着を脱いで、席についた私が食事を始めると、彼女は彼女で仕事の続きに没頭し出した。

 ――入れ直したはずの気合いが抜けてしまった。
 目の前にいる茅乃さんは、何の気負いも感じられず、至って平然とした態度でいる。
 顔を合わせれば即、関係の清算の話になると思っていた。
 その為に色々考えていた筋書きが、どれもつかえなくて途方にくれる。

「私の帰る時間が、よくわかりましたね?」
「うん、廉くんに連絡取って確認したから。昨日レナードからもメール来てたし」
「……は?」

 前半はいい、前半は。
 従兄弟の廉は今秘書修行中で、大学の講義がないときは、会社に来させて私付きで仕事をさせている。スケジュールは把握しているはずだし、茅乃さんとも面識がある。
 彼女を私の恋人だと思っている廉が、帰宅予定を教えても支障はない。
 だが。

「レナードが何故茅乃さんにメールを……」

 低く唸ると、彼女がきょとんと瞬いた。

「春から時々連絡してきてるわよ? だいたい、暁臣くんのあっちでの様子とか、ただの馬鹿話とかしてくるんだけど」

 ほら、とメール画面を見せられて、そこに写る自分の姿を確認する。
 ウィンスレット城を見て回っているときの姿や、ミーティング中のもの。いつ撮られていたんだか気付きもしなかった。

「……あの野郎……」

 今度会ったときは一発殴らねば気がすまない。憮然としてひとりごちた私に、茅乃さんが軽く笑った。
 後片付けをする彼女を視界に納めながら、持ち帰った書類をチェックする。
 気もそぞろなまま。
 先伸ばしにしていた話をするために、彼女が家に来たのは間違いないだろう。
 そのわりには行動が親密すぎて、戸惑う。まるで、普通の恋人同士のようじゃないか?
 期待してしまう、してはいけないと自分に言い聞かせる。
 そう、この始まりでさえそうだった。
 憤りや拒絶を持っていたが嫌悪は見せず、それとは別にこちらを気遣う素振りさえあった。
 それは私の仕事の忙しさであったり。
 立場であったり。
 どこかで、彼女の領域に私がいることを許されていると感じられたから、甘えていたのかもしれない。

 茅乃さんの考えがわからない。
 わかっていたことなど一度もなかった。
 それは彼女も同じだろう。
 わかりたいと、わかってほしいと、心を通じ合わせる前に、始める前に、壊したのは、私だ。
 今さら何を、虫の良いことを。

「暁臣くん?」

 書面に目を落としたまま、ぼうっとしていた私の前で彼女がヒラリと手を振る。
 我に返ってまばたきすると、呆れたようなため息を吐き出して。

「仕事中毒も大概にしないと先に身体を壊すわよ? ちゃんと休んでないんでしょ」

 違う。
 眠れなかっただけだ。
 思考に空白を置くと、ろくでもないことばかり考えてしまうから。
 貴女の口から、別れの言葉を聞く、そんな光景を、夢にでも見たくなくて。

「あき――」

 何か言い掛け、開かれた唇を塞いだ。
 引き寄せて、腕に閉じ込めて、彼女の息を感じて、飢えていたことに気づく。

「茅乃、さん」

 また、言葉を惜しんで行為ばかりを押しつけるのかと、自分を止めようとして――抗うかと思われた彼女の腕が背中に回り、シャツを握ったことで、箍が外れた。
 唇を貪る。
 呼吸を求め、苦し気に喘ぐ間も奪って、絡めた舌を食んで、潤む瞳に煽られて、彼女をソファーに組敷く。

 抵抗はなかった。
 私がすることに対する諦観でもなく、寛容でもなく、受け入れて、求められる。
 同じ渇望を、その瞳に感じて、止まらなくなった。

 口づけを繰り返しながら、衣服を剥ぐのももどかしく、繋がる。
 まだ高まっていなかった彼女の身体は痛みを訴えたようだが、乱れた呼吸を整えたあと、自ら動いて、私を全て飲み込む。
 しがみついて私の名前を呼び、媚態めいた仕草すら見せる彼女に、頭の神経が焼き切れそうだった。
 まるで何かに追われるように。
 求めて、求められて、肌をぶつけて、混ざりあう。
 不在の間に消えてしまった痕を、再び肌に印していく。
 しなる背を抱き止めて、幼子のようにその胸に、顔を埋めた。

 ベッドに場所を移したあとも、時間を忘れ抱き合った。
 甘えるようにすがりつく、いつもなら有り得ない彼女の態度に、どうしたのか訊ねる余裕もなく、疲労しきっていた身体はじきに眠りの淵に沈む。
 無意識の不安を表すように、彼女を強く抱きしめたまま――様子がおかしいことに気づいていながら、そうしてまた、私は過ちを犯したのだ。



 ブラインドから射し込む陽光の強さに、覚醒し、飛び起きた。
 腕の中捕まえていたはずの、彼女の姿がどこにもなかった。状況を把握した途端、血の気が引いた。
 夢ではない。
 昨夜の情交の名残は身体に残っているし、ベッドには共に眠ったあともある。
 先に目が覚めたとしても、まだそんなにはたっていないはず。
 おざなりに服を身に付け、焦るままドアを開け、――リビングの窓際に佇む茅乃さんを見つけた。
 安堵は一瞬。すでに身支度を整えた姿に、駄目だ、と知らず呟く。
 激しい音を立てたにも関わらず、驚くことなくゆったりと彼女はこちらを振り返る。
 私の焦燥など予想していたかのように、淡く微笑んで。
 次に紡ぎ出される言葉を聞きたくなくて、いっそ耳を塞ごうかと思った。
 ただの時間稼ぎにしかならなくても――

「全理事伝てで渡された書類は、私の一存ですでに処分させていただきました。写しはないと、信じています」

 他人行儀な改まった言葉使いが、彼女の決心をこちらに告げてくる。
 あんなに、溶け合うようにひとつになっていた身体は、今は別々の鼓動を刻んで。
 互いに分けあっていた体温すら、もう違う温度で。
 彼女までの数歩が、遠い。

「――終わりにしましょう」

 嫌です、と喉まで出かけた言葉は音にすることは出来なかった。
 微笑んだ彼女が、今までのどの時よりも美しくて。その強い瞳に何も言えなかった。
 無言を肯定として、彼女はこの部屋のキィをテーブルに置く。 いつもどこか頭のすみにあった、光景。
 その時を考える度に、幾通りも自分のとるべき行動を模索していた。
 すがりつくか。
 再び威圧するか。
 素直に詫びて、新たな関係を築けないか、想いを告げるか。
 ――だが、いざその時を迎えると、何もできない自分を思い知った。
 何者にも屈しない、そんな彼女の瞳を見れば、卑怯な自分が何を言えるはずもなかった。

「さようなら、――理事長」

 静かな笑みに、応えないのがせめてもの抵抗。
 少なくない荷物を手にして、彼女が窓から身を離す。
 部屋を横切り、軽くこちらに頭を下げて、そのあとは振り返りもせず、背を向けて。
 足音が遠ざかる。
 鍵を開け、ドアを開き、外へ。
 消えてゆく、気配。

「――――っ」

 嵐のような激情を、吐き出すことも出来ず、手のひらで顔を押さえる。
 追うことも、許されない。
 魂の一部を抉り取られたような消失感に、ただ、呻いた。

 どこで間違ったと言うなら、最初から。
 今までにやり直す機会は何度もあったのに、失うことを怖れ、臆病な心にばかり従って、結局、手のひらをすり抜けて行ってしまった。

 そうして、鳥籠の中、ひとり――


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