〜波紋(2)
 
 四角いディスプレイの中の暁臣くんに呆れた目を向けつつ、前理事がニヤニヤしていたのはこれのせいか、と思う。
 こういう手段が取れるなら、別にこの面白がりオヤジを呼ぶことなかったんじゃない? 暁臣くんのバツの悪そうな表情からすると、最後まで隠れてるつもりだったんだろうけど。

「古賀理事長、この度はご迷惑をお掛けします」

 改めて姿勢を正した藤岡くんが箱に向かって一礼する。脇から見ていたらおかしな光景なんだけど、私はヒヤリと凍る思いをしていた。
 暁臣くんは、藤岡くんと彼女のことをもちろん知っていて――彼のことだから、こうなったときの対処策を何通りも考えていたはず。私とのことは、置いといて。
 表面上は藤岡くんと穏やかに接していたけれど、あまりいい印象は持っていなかったみたいなのよね。生徒と付き合うような教師、と思ってたのかしら? 自分の行いを省みなさい。
 だから、こうなって彼が藤岡くんにどういった対応を取るのか、ちょっと、不安になったのだ。

【――不注意でしたね。生徒たちや、親御さんへの影響を考えると、通常は懲戒免職、】

 案の定、冷ややかというか、無表情に感情のない声がそう告げて。覚悟のあった藤岡くんは、さっきまでのように何も言い分けはしなかった。
 ですが、とディスプレイの暁臣くんが続ける。

【彼女の卒業後の予定がそのようなものならば、あちらの家は、すでに承知のことと思っても?】

 免職の言葉にも動じなかった藤岡くんが、初めて肩を揺らした。

「――ええ。すでに話は通っています。彼女の家での扱いは、藤岡家の婚約者と」

 二人だけの間に漂う緊張感の様なものを感じて眉を潜めた。
 何か、あるんだろうか。
 暁臣くんの用意周到さから、あの書類だけではない他のことも調べていたのかもしれない。藤岡くんが言及しないのは、――高岡さんに関すること?
 あとで追及する項目に頭の中でメモして、やり取りを見守る。

【では、おおむね楠木先生が仰った案を取ることにしましょうか。他の方々の意見は――校長?】

 中立を保つためか、特に自身の考えを述べず、こちらを静聴していた校長が頷いた。

「藤岡くんは勤務態度も良好で、生徒からの人望もありますし、婚約者相手につい気が緩んだということでしょう。教師としてふさわしい振る舞いではなかったと、本人も反省しています。皆様の意見が一致するようであれば、そのように」

 渋々、といった風な方々もいたが、減俸と注意で済みそうだ。
 確認の採決を取り、ひとまず会議は終了となった。
 ――もちろん、この処分が甘いと色々言ってくる人もいるだろう。
 特に、高原さんは色眼鏡で見られたり意地の悪い生徒たちから、からかいや悪意を向けられる可能性が大。内面のことは藤岡くんに支えてもらうしかないけれど。
 高原さんと仲の良い子たちに探りを入れておくべきかしら。
 会議室を出る間際そんなことを考えていると。

「楠木先生、ちょっと」

 前理事に呼び止められた。
 イヤな予感に引きつりながら振り返り、何でしょう、と営業スマイルを貼り付けて前理事の側まで歩み寄る。
 まだ部屋に残っている方々の視線を背中に感じつつ、(お願いだから妙なことは言い出さないで下さいね!)と念じて。
 その願いが通じたのかどうかは謎だが、前理事の話はこれ以後に対する指示だった。

「提案者の楠木先生から、報道部の生徒に話を通しておいてくれるかな?」

 報道部の顧問に頼んだ方が早いのではと言いかけて、顧問の酒井先生があの子たちを御せる訳がなかったと思い直す。
 ほぼ放置に近いもんねぇ。
 そうなると部活関係で関わりのある私が適任か、納得して「了解いたしました」と頷く。

「どんなシナリオを書くかは君に一任するので。――暁臣に相談してくれてもいいけどね?」

 ニンマリ笑いにひきつった笑みを返す。
 ここでその名前を出しやがりますかっっ!
 すでに接触を切られた箱を見て、そうですねー帰って来られるのに間に合えばー、と濁して流す。
 会議室には人がいなくなり、別室に移る藤岡くんにしっかりやれよ、と目で合図して、前理事に辞去を告げた。
 特にそれ以上からかわれる気配もなく、内心ホッとしつつ。

「――ああ、そうだ。君にこれを渡しておくよう頼まれていた」

 扉に手をかけたところで、再び呼び止められる。振り返ると、飄々とした笑みに、鋭いものをひそませている前理事と目が合った。
 時折、暁臣くんが見せる支配者としての冷酷さは、間違いなくこの父親から受け継いだものだ。
 挑むように見据え、秘書の方が持って来られた書類封筒を受け取った。
 ――これは。

「公になってしまった今となっては、必要ないものだからね。それを受け取った君が、どうするかも自由だよ」

 言外に含まれた意味を飲み込むのに、数秒かかった。

 ご存知なのか。
 私と、彼の始まりを。
 あの、取引を。

 彼が誰かに言うとは思えない。とすると、前理事独自でお調べになったことか。
 それはそうかもしれない。彼に彼自身の情報網があるように、前理事にも前理事の情報網があるに違いない。彼は、この父親を見て育ったのだから。

 暁臣くんが調べさせた職員の調査書。藤岡くんのそれが入っていると思われる封筒を手に、私は一礼して、今度こそ部屋を出た。
 扉を閉める間際聞こえた「出来れば、あの愚息を見捨てないでやって欲しいな、」という言葉に、眉をしかめながら。
 数枚の紙しか入っていないはずの封筒が、やけに重く感じた。



「ンの狸親父め……」

 扉を閉めてぼそりと呟く。喰えないとこはさすが暁臣くんの産みの親だよ! 喰いたくもないけど!
 どうしてこうもいろいろと一度にやってくるのか。
 考えなきゃいけないことは、たくさんあるのに。
 この書類を渡したのは、どういう意図あってのこと?
 前理事の言葉通り、必要なくなったから――それは、書類が? ――私との、関係が?
 いつもなら、面と向かって問い質せることも、距離に隔たれて推測することしかできない。
 なんて、実際に、彼がここにいたとして、今まで避けていた問題を本当に言葉にできるのか、わからないけれど。
 まだ、答えが出せていないの。

 会いたい。
 話したい。
 会いたくない。
 話せない。

 確かに想いはあるのに、私を動けなくさせる、その矛盾。
 考えなきゃいけないことが多すぎて、全て放棄したくなる。
 いっそ、そうできたら楽なのに。

 朝の喧騒が嘘のように静まり返った校内を、どこかに心を置き去りにしたまま、ボンヤリ歩いた。
 英科準備室に向かう階段を上がろうとしたところで視線を感じて足を止める。
 いぶかしがる間もなく、三年の部員たちが飛び出してきて、周りを取り囲まれた。

「茅乃ちゃん茅乃ちゃん! どうなったのっ」
「藤岡先生クビ!?」
「……あんたたち……」

 階段下の奥まったところに団子になって隠れて待ち伏せていたらしい。妙な真似を。

「自習してなさいって、言われてなかった?」

 見下ろして、ちょっと睨むと一斉にさえずり出す。

「教室なんかいらんないよー! みんな好き勝手言ってるんだもん、怒鳴り散らしたくなっちゃう」
「茅乃ちゃんがあまり焦ってないってことは大丈夫なの?」
「部室行こうよ部室!」

 さて、教室に戻れと叱るべきか、それともこの際だから報道部へ渡すシナリオ作りに協力してもらうか。
 視線をさ迷わせた私に、演劇部元部長は胸の前で腕組みする。

「言っとくけど茅乃ちゃん、藤岡先生とのことも理事長殿下とのこともしっかりばっちり今まで見守らせて頂いてたアタシたちを煙に撒こうだなんて考えないでね?」
「無駄なー抵抗はーよせー!」
「とりあえず一年と二年の子たちに、感じの悪い噂はそれとなく否定することと、基本的に静観を命じといたから」

 追求する姿勢をみせつつ、こちらの先を見通し、打てる手を打っておいたと報告する部員たちを見返す。
 担任を持っていない私には、この子たちが学園で一番親しい生徒になる。三年間の付き合いは伊達ではない。
 隠しているようでバレバレだった交遊事情を盾に取られ、私は降伏を選ばざるを得なかった。
 ホールドアップで宣言する。

「……わかった。部室に行きましょう」

 よっしゃあー! と静かな校舎に響き渡る勝鬨(かちどき)を上げた馬鹿者共をゲンコツで黙らせた。

 手にしたままの書類も気になったけれど、片付けにいくタイミングを逃してしまった。紛失しないように、一旦戸棚に仕舞い、忘れないよう覚えておく。
 連行されるように演劇部の部室に移動した私は、こちらを凝視する部員たちに向き直り、咳払いをひとつ。

「えーと、まず。もともと藤岡先生と彼女はご両親公認の婚約関係にあります」

 うぇっ、とか、はあ、とか感嘆なんだか驚愕なんだか声を上げる皆を置いて、続ける。

「彼女の卒業を待って結婚することになっていたそうよ」
「えと〜、それは、よんどころない事情があってのことだったり?」

 お腹を押さえて、一人が訊く。なにを考えているのだ。まあ、可能性が無い訳ではないけど、藤岡くんの様子を見る限りそれはない。そこまでヘマしてたら、さすがに庇いきれないし。

「ご・ざ・い・ま・せ・ん。ま、彼女の年齢から言ったら早いとは思うけれど、普通のお付き合いの流れでなんじゃないかしら」

 会議室での愉快なアレコレは省略して、サラッと二人の関係を説明した。これを納得していてもらわないと、今後の予定が立てられないし。
 と、呆れたようなまなざしが返ってくる。

「……茅乃ちゃんてば、全然コダワリないんだねー」
「茅乃ちゃんとは長い春だったのに、あっちとはあっさり結婚決められてムカッとしないわけ?」
「あんたたち言いづらいことをズバッと訊くわね……」

 そりゃ、藤岡くんと別れたのは一年と少し前だけど。嫌な言葉だけど、おそらく彼がフタマタしていたのが数ヶ月間。確か、夏前くらいに様子がおかしくなったから、その頃に彼女と関係を持ったんだ。
 正直、同僚として、生徒に手を出す教師どうよ、と藤岡くんを説教したくなる時もある。
 だけど、彼があえてそうした理由が、何かあるような気がしてならないのだ。
 単に、高原さんに告白されて、惹かれて――というくらいでは、真面目で律儀な藤岡くんが、在校生徒と関係を持つだなんて考えられない。せめて卒業を待つはず。
 あの書類を見れば、その理由がわかるんだろうか。その辺りまできっちり調べていそうだし。
 他人のプライベート、覗き見るなんてこと進んでしたくないけど。

「――藤岡先生とは、婚約者の前にいい友人でしたから。結婚も、私の都合で先伸ばしにしてただけだし?」
「それにいまは理事長殿下がいるもんねー」
「もしかして殿下があんなに押してるのに結婚しないの、茅乃ちゃんの都合? 焦らすのも大概にしないと、ああいう人何するかわからないよ?」

 それには同意する。いや、違う、何故私は十も年下の子たちに諭されなければならないのだ。
 というかこうもしっかり恋人認定されてるとかなりっていうかものすごく複雑なんですけど!
 あれ? 私たち一応、関係隠してたよね? ね? そりゃ、ときどき校内でヤバいことされてたけど人目はなかったはず、ですよね?
 油断ならない……。

「ってズレてる! いまは私じゃなくて藤岡くんのことでしょっ!」

 机をバシバシ叩いて軌道修正をかけた。

「結論を言うと、藤岡先生は減俸、彼女は注意ってことになったわ。クビも退学も免れました」

 藤岡くん贔屓の子たちがうんうん頷く。処分が軽いことに安堵したのか、再びさえずり出して、喧しいことこの上ない。

「ご家族公認の婚約者なら、淫行にはならないんだよね?」
「ギリギリセーフ」
「ん、校内アウト? そんなの言ったらバレてないだけでみんなやってるし、実際」

 ……この子たちに話させてるとヤバイ方向に行きそう。手を叩いてもう一度注視を集める。

「ゴチャゴチャとうるさいことを言う人もいるだろうけど、それは仕方無いわ。それでね、この際だから、報道部を丸め込んで二人の関係をオープンにしようということになったの。協力してちょうだい?」

 ガッテンだ、と頼もしい返事。無駄にハリキリ出した娘っ子たちを宥めつつ、今までの情報を詰めることにした。
 私たちが会議をしている間の生徒たちの様子を聞くと、興味本意で祭っているのが半分以上。交際に憤っているのがそのまた半分。同情して逆に騒ぎ立てている者に憤っているのが、残り。あとは我関せず、ということらしい。

「アレだよ。茅乃ちゃんから藤岡センセを略奪愛ったらしい高原さんに対して、けっこう酷いこと言ってるのもいるし」
「芝田のグループでしょ、茅乃ちゃんダシにしてるだけでアレ嫉妬じゃん。そもそも、アンタこそ何しに藤岡先生のとこ行ったんだっつうの」
「写真、額にチューでしょ。言い逃れしようと思えば出来たのに、藤岡先生も真面目だよね」
「藤岡先生と高原さんってとこがここまで騒ぎになった原因だからねー。両方とも、ファン多いしさ」
「でも、この記事煽りを促す書き方過ぎない? 悪意があるよ。報道部らしくない……って、ああ、部長変わったのか、面倒だなぁ」
「香坂ならもうちょっと配慮したでしょ」

 お嬢さん方の会話をフンフン聞いていた私は、出てきた名前にギクリとした。
 報道部の部長だった香坂くん――実は、苦手、なんだよねぇ。
 生徒として見れば、成績優秀品行方正だけじゃなく、自分ってものを持ったしっかりしたいい子なんだけど……。ちょっと、トラウマになってるかもしれない。
 そうも言ってられないんだけど。

「二人の事情に私を混ぜると話がややこしくなるから置いといて。なるべく、明るい方向にインタビューを持っていって欲しいのよね。あなたたち、報道部で仲のいい子いる?」
「あたしたちが接してたのって音響関係が多いからなぁ……記事を書いた奴に釘指すなら、やっぱりもと部長の香坂が一番いいと思うけど」

 ……そうなんだよねぇ。個人の興味のある方へ、てんでバラバラに動く部員たちをまとめるのが上手くて、彼が統括していた報道部は大きくなったんだった。

「まず香坂くんに話を通した方がいいか……」
「でもー、茅乃ちゃん、大丈夫ー?」

 心配げにする一同に目を瞬く。
 え、何ですか、まさか、私が彼を苦手としていることまでバレてますか。
 どうして? と内心のうろたえを隠しつつ訊ねると。
 茅乃ちゃんが気がついてないならいいんだよー、とナマ温かい視線を頂いてしまった。

 な、なにかな……?

 
「茅乃ちゃんてば香坂の横恋慕に気づいてないとは」
「もともと恋愛関係ににぶにぶだしね……」
「まあ、年齢差があるからまさかと思うんだろうけど」
「殿下で手一杯でしょ」
「変なコナかけられないといいんだけどねー」

 部室を出たあと部員たちの間でそんな会話がされていたことを、本人は知らない。




_27/43
しおりを挟む
PREV LIST NEXT
PC TOPmobile TOP
Copyright(c) 2007-2019 Mitsukisiki all rights reserved.

「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -