(二)
 

 折角の三連休、茅乃さんとまったりベッドの上で過ごすつもりだったのに。
 このクソ親父が……!

「お前が楠木センセイに堕ちるとはねェ。オンナの趣味良くなったじゃん」

 じゃんとか言うな、いい年して。
 茅乃さんを義母と妹に取られ、父に強制連行された書斎。イライラと俺は父を睨みつけた。

「で、用件はなんですか。わざわざ書斎でなんて」

 ん〜、と面倒くさそうに父が取り出したのは、立派に装丁された……釣書。

「いりません」

 手にも取らずに言うと、

「見るくらいしろよ〜、オレにも建前ってもんが、」
「見るだけでも茅乃さんに対する裏切りになります。彼女以外を娶るつもりはありませんから」
「惚れ込んだモンだなぁ。じゃあとっとと嫁にしちまえ」

 面倒そうに言われたその言葉に眉をしかめる。
 自分だってそうしたい。しかし、茅乃さんが嫌がる以上、出来ないも同然。
 最低の考えだと分かっているが、子供でも出来ればなしくずしに持って行けるかと思えば、キッチリ自己管理されてしまっているし。
 そんなに嫌なのかと思うとヘコむ。
 そういった説明をわざわざするのも疲れる気がして、ため息をついた。

「……色々あるんですよ。もういいですか」

 以前の接点があるからか、茅乃さんは父に気に入られているようなので、これ以後、ある程度の縁談は私の所に来る前に止めてくれるだろう。
 逢瀬に踏み込まれ最初は腹も立ったが、こうなれば幸い、この機会に茅乃さんの居場所を古賀家に作ってしまえ。
 どういう訳だか、いつもヨソのオンナには厳しい朔耶がすぐ茅乃さんに懐いたから、障害はないだろうし。
 と、考えて、今、家で一番の問題児を忘れていたことに気付く。

「――宵暉は今、家にいるんですか」


 ***********
 

 ――どうやって取り入ったの?
 宵暉くんの唐突な発言にキョトンとすると、とぼけていると思ったのか、彼は薄く笑った。

「楠木茅乃センセイ、あなた、この間まで同僚の藤岡とかいう男と婚約していたんでしょ?」

 いやまあ、確かにそうですが。部外者の君がなぜそんなことを知っているの?
 ……調べたのか。調べたんだな、暁臣くんの弟だもんな。

「清潔そうな顔してヤルじゃん、前のオトコ捨てて兄に乗り換えるなんてさ」

 あからさまな蔑すみの視線と、侮蔑を隠さない言葉に、息が止まる。
 順番逆だし事実と違うけど、端から見ればそういう取られ方をするのか、この現状は。

「……暁臣さんと付き合い出したのは彼と別れてからよ。フラレた私を慰めてくれて――」

 それで何でか手ゴメにされた。ホントに何でだ。

「モノは言いようだね。そうなるようにし向けたんじゃないの?」

 いや待って、どんな悪女なの私は。……というか、これは何を言ってもムダかなぁ。完全にそう思い込んでるし。
 ようやく反対する人が出てきたわけだ。
 望んでいたことなのにヘコむのは、多分理事長に似ている顔のせい。
 この顔に見下されて傷付きそうになるなんて、いつの間に、私は。
 自分の思考に嵌まり込み、ぼうっとした私に業を煮やしたのか、振り回すような強さで手を引かれた。
 ヨロけた先の彼の腕の中、壁に押さえ付けられる。
 ……なぁんか、嫌な予感。
 至近距離であざける笑みを向けられる。乱れて顔にかかった髪を掬うように掴まれた。

「あの暁臣が執着するなんてどんなご奉仕してるの。……僕にもしてよ」

 すう、と唇を指先でなぞられ。

「……っ…!」

 呪われてるのか私。
 こないだから襲われフェロモンでも出てるのか?

「……離してっ! 宵暉くん、悪ふざけは――ッんぅ」

 口の中に指を突っ込まれ、言葉を封じられる。

「噛まないでね? 一応芸術家の大事な手だからさ」

 舌を指の腹で押されて吐き気がこみあげた。
 私の両手を後ろ手に縛めた彼の手が、胸を掴んでくる。ただ、痛めつけることだけが目的の、辱め。
 脚の間に割り込んだ膝が、スカートの裾を押し上げて――

「――――宵暉!」

 鈍い音がして、拘束されていた躰が自由になる。へたりこんで、咳き込む。

「んっ……ケフ、は……、ぅえっ、」

 突然の解放にえづきながら、涙で滲んだ視界に宵暉くんの胸ぐらを掴みあげている理事長の姿を捉えた。

「どういうつもりだ……!」
「……そのオンナの方から誘ったんだけど?」
 そうきたか。

「ありえない。彼女を今までのオンナと一緒にするな」

 キッパリ言い切る兄に、弟は鼻じろんだ表情になって、唇をゆがめる。

「……ふーん……、すっかり骨抜きにされちゃって。ばっかみてー、オンナなんて皆一緒じゃん」
「――あの子の前でもそれが言えるのか」

 一瞬、傷付いたような光が宵暉くんの瞳によぎった。

「自分の事が思い通りにならない苛立ちを他にぶつけるな。いつまで腐ってる気だ。会いたいなら会いに、……っ」
「あいつは僕の顔なんか見たくないんだよ。口出しするな暁臣」

 叩くように掴まれた手を払って、自分の胸を突いてきた宵暉くんに、理事長が感情を無くした瞳を向ける。
 ちょ、何ですか、兄弟ゲンカ!?
 もういいから、こっちに来て、――抱きしめて欲しいのに。

「理事ちょ……、」

 止めるつもりで伸ばした手を、やんわり避けられ、

「茅乃さんには関係がないことです、黙ってて下さい」

 理事長は宵暉くんから視線を外さずに、私の言葉を拒否した。
 ……………………ぁあん?
 ……関係がない?
 じゃあなんで、怒ってるのよ、アナタは。
 私が弟に乱暴されそうになってたからじゃないの?
 なに? 単に、自分の玩具が取られそうになったから怒ってるの?
 弟が自分の言うこと聞かないから怒ってるわけ?
 誰のせいでこんなところまで来て芝居してると思ってるんだ。

 人の話を聞かないのも、
 自分の好きに振る舞うのも、
 誰かの気持ちを無視するのも、

「――いい加減にしなこのガキどもッ!」

 ガンッと壁を殴り、掴み合っている兄弟を怒鳴りつける。
 私の鍛えた声帯は、無駄に広いお屋敷にその声を響かせた。

「人を何だと思ってる! 他人はアンタ達のオモチャじゃないのよ、この幼稚園児以下兄弟!! もっぺん生まれたとこからやり直してこいッ!!」

 そこまでタンカをきってから、騒ぎに集まって来たギャラリーに目を向けると、面白そうな顔をした古賀父と目が会った。
 ……ンのぉ。
 そもそもアンタがこのバカ兄弟をちゃんと躾てないからこっちが迷惑被るんでしょうがッ。
 苛付いた気分のまま、刺々しい声音で私は宣言する。

「古賀さん、私、帰らせて頂きます。申し訳ありませんがこのアンポンタンどもの性根が変わらない限りこちらへ嫁に来ることなどありませんので。では失礼致します」

 一礼してバッグを肩にかけ、踵をかえす。
 若君二人を怒鳴りつけた私に、使用人さん達の驚異の視線が集まっていたが、知ったことではない。
 もう怒髪。
 振り回されるのはゴメンだ。
 関係ないと言うなら、そうしてやろうじゃないか。
 流されるままにしていた私も悪いけど、全て自分達の思い通りになるという育ち方をしてきた彼等に、これ以上付き合ってはいられないと決意。
 問題は片付いてないけれど、ソレはソレだ。
 とにかく、自分のペースを取り戻すために、もとの私にならなければ。

「茅乃さんっ」

 後ろを見もしないで去りかけた私を、引き留めようとする理事長を一瞥、怒りで逆に冷えきった頭が私に微笑みを作らせる。

「暁臣さん、しばらくお会いしないほうが良いかと。いつもの手でこられるようなら、私、全力で抵抗いたしますから。……ああでも、『関係ない』私に、用はございませんよね?」

 ぐ、とつまった彼からぷいと顔を背け、私はだだっ広い玄関を通り過ぎる。
 パタパタ軽い足音がして、悲しそうな顔をした朔耶ちゃんがキュッと私の上着を掴んできた。
 うおう……可愛いぃ……。

「帰っちゃうの? 茅乃さん……」
「ゴメンね、朔耶ちゃん。また今度、暁臣さんとは関係なく、個人的に会いましょう」

 素直に頷く頭を撫でて、別れを告げる。
 辞意したのだが、古賀家の運転手をされている松岡さんが、命じられましたので、と家まで送って頂くことになった。
 
 流れていく車窓の景色を見ているうちに、少し落ち着いてきた私はため息を付いた。
 短気起こしちゃった。
 何があんなに腹が立ったのか、本当はわかってる。
 ブブ、ブブ、としつこく鳴り続ける携帯をジッと睨む。
 何度か切れて、鳴るを繰り返すソレに、今朝抱き合っていた時のことを思い出した。
 手に取って、通話ボタンを押す。

[っ茅乃さ、]
「現在この電話は暁臣くんには繋がりません」

 言い置いて、ブチリと容赦なく通話を切った。
 茅乃さんッ?! という悲鳴が聞こえたけれど、知ったことか。
 電源を切って、ポイと座席に放り出すとクスクス笑う気配がして、顔を上げた私に松岡さんが言う。

「あまり苛めてあげないで下さい。暁臣様は貴女のことになると、いつもの判断力を無くしてしまうんですよ」

 そうかしら。
 躰は理事長の自由にさせることを許したかもしれないけれど、所有物になった覚えはない。
 この苛立ちも悲しみもせつなさも、全部私一人のもの。
 関係ない、だなんて、本当でも言って欲しくなかった。
 鍵をかけても蓋をしても、あふれ生まれる気持ち。
 あの時の、薄紅色の花びらが散り降り積もったような、この想いが。
 今、私の目の前で、淡く溶ける白い六花のように、消えてしまえば楽になれるんだろうか。


 ***********


 茅乃さんが爆発して、帰ってしまったあと。

「だーはっはっは、楠木ちゃんサイコー! 暁臣、お前絶対逃がすなよ!」
「おにーちゃん達のバカ! せっかく今日は茅乃さんと一緒に寝ようと思ってたのにぃー!!」

 笑い転げる父親と、聞き捨てならない発言をした妹は取り敢えず放っておき、上着から取り出した携帯で彼女を呼び出す。
 なかなか出てくれないことに不安がつのり、何回目かのコールで漸く繋がり――

「っ茅乃さ、」
[現在この電話は暁臣くんには繋がりません]

 ブツリと、即座に切られる。

「茅乃さんっ!?」

 理由はわからないが、今距離を置いたら取り返しがつかないような予感がする。
 焦る気持ちのまま走り出そうとした。

「……何なの暁臣。そんなに必死になることなの? オンナ一人に」

 気だるげに、床に座り込み、全てのことを投げ出してしまってる弟に目をやった。

「なることだよ。彼女じゃなきゃ俺の世界は回らない」

 お前もそうだろう、だから今、そんなことになっているんだろう、と言外に含ませて、今度こそ、駆け出す。
 これ以上は、弟の問題に自分は関われない。というか、自身のこともままならないのに――

 車を走らせ速度ギリギリのスピードで後を追う。
 先回り出来れば、否、ドアをこじ開けてでも彼女に会う。
 捕まえる―――。
 

 *********** 
 

 アパートの少し手前で降ろして貰い、雪がちらつき始めた空を見上げながら道を行く。
 そういや暁臣くんにたかるつもりだったから、食料ないや。冷凍庫に保存食残ってたかな……、
 ふわりとまつげに落ちた雪片に、瞬き、眼を前に向けた瞬間、
 桜の幻が見えた。
 ダークブルーの高級車、ドアを開けて、出てくる背の高い青年。
 いつもはきちんと撫でつけられている栗色の髪が乱れて、余程焦っていたのかスーツのネクタイすらしていない。
 王子が台無し。

「茅乃さん」

 何で追いかけて来るかな、もぅ。
 
「――茅乃さん」

 どうして姿を見ただけで、名前を呼ばれただけで、こんなに胸の奥が痛いの。
 彼の言いなりになるのはやめようと思っていたのに、顔を見ただけで揺らぐ自分が嫌だ。
 その胸に飛び込みたいくせに、私から発せられた声は刺々しいもので。

「アンポンタンは治ったんですか」
「いえ」

 つんけんした私に、彼はわずかに苦笑。

「しばらく会わないと言いませんでしたか」
「はい。ですが聞きません」

 傲慢とも思える拒否に私はマジマジと顔を見てしまう。
 何かを振っ切ったように綺麗に笑った理事長は、耳を疑うようなことを言い出した。

「茅乃さんに拒否権はありません。最初からそうでしょう」

 はぃ………?

「貴女と私は対等ではない。私が優位なんですから、貴女の言うことなど聞きませんよ。……それとも、」

 対等に、なりますか―――?
 理事長の言った意味がわからないほど、馬鹿じゃない。
 だけど。

「……理事長なんかだいきらいですよ。だって、脅して私にこんなことさせるんでしょう」

 首に腕を巻き付けて、私から唇を合わせる。
 だいきらいと言った言葉とは裏腹に、深いくちづけを交わして、強く抱きついた。

「……ズルイですね」

 彼は諦めたように微笑み、抱きついた私の躰を、隙間がないくらい、きつく、抱き締め返す。
 
 
 雪も溶けるくちづけが、言葉にしない気持ちを教えて。
 手に入るかも知れない。失うかも知れない。
 一歩踏み出せば、変わるのに。
 
 気付けばふたり、 同じ鳥籠のなか―――。

 

(2010/12/06改)
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