長女気質が災いするのか、はたまた生まれ持った気質か。
いつも男は私を『しっかりしてるから』『強いから』『独りでも大丈夫』だと決めつける。
確かに、そういう事を言って逃げる男に頼るより、自分で何とかした方が早い。グダグダ言ってるヒマがあるなら行動しなさいよ、なんて思うし。
だけど、私だって、誰かに寄りかかりたいと思う時も、あるのだ。
カッコ悪い私も、しっかりしていない私も、弱い私も、全部さらけだして、許してくれる誰かを求める時が。
素直に、他人に甘える事が私に出来れば、の話だけど。
楠木茅乃、二十七歳高校教師。現在恋人無し、
愛人契約中の男が、一人。
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……やっぱり戻って来るんじゃなかった……。
「茅乃はまだ嫁にいかんのか? はよう子ども産まんと、もう若くないしなぁ!」
笑いながら言う、赤ら顔の酔っ払った親戚たちに、殺意が沸き起こる。
余計な上に大きなお世話だ。
年末年始、久しぶりに実家に戻ったのは良いけれど、当然ながら挨拶回りの親戚たちが集まることを予想してしかるべきだった。朝から酒を飲んだくれている彼らは、やっと昼になろうかと言うこの時間に、すっかり出来上がっていた。
構って欲しい勢いのまま、集中攻撃を受けている。今ここにいる未婚の娘が私一人なのも悪かった。どうしてこういうときって、みんな同じこと言うのかしらね?
繰り返される結婚まだか、紹介してやろうかの押し売り。会う人会う人に、結婚はまだかと訊かれ、うっとおしいの何の。
家族は結婚手前まで行った彼と破局したのを知っているから、あまり煩くは言わないんだけど。
とっととアパートに帰ろう、と思うものの、酔っ払いどもはなかなか私を離してくれない。
一人寂しく寝正月してるんだったー!
後悔に身もだえていると、絡まれるのを恐れ、別室に逃げていた弟が顔を出した。
「姉ちゃん姉ちゃん、携帯鳴ってるぞ」
おぅ救いの神。
これ幸いと宴会場になった座敷から離れ、弟から居間に置きっぱなしにしていた携帯を受け取る。そのまま、ウザオヤジ共から逃げられた嬉しさで、相手も見ずに電話に出た。
――後から思うと愚かなことを。
「は〜いもしもし茅乃です〜」
[明けましておめでとうございます、茅乃さん。いま大丈夫ですか?]
はぅっ!?
携帯越しに響く低く甘い声に、思考が止まる。
この声は。り、理事長……。
[茅乃さん?]
「あ、はい、あけましておめでとうございます、今年も宜しくお願いします……?」
何故疑問形。
彼もそう思ったのかクスクス笑いながらも、宜しくお願いします、と返答。
正月からお呼びだし、て訳じゃないわよね? 確か理事長、会社の新年会あるって言ってたし……わざわざ新年のご挨拶?
[申し訳ありません、茅乃さん、ご実家に戻られているんですよね。お忙しいですか]
「え? いえ別に。すでに親類一同、宴会になってますし、私はもうアパートに帰ろうかと」
理事長らしくなく急いだ口調を怪訝に思いながら、答える。時折、雑音が入るのは車の中だからか。
[帰られてからのご予定は?]
「……ない、ですけど……」
じわじわイヤな予感が這い上がって、次の瞬間現実のものとなる。
[良かった。お願いがあるんです、今からそちらへ行きますね]
「はッ?! いや、こっちに来るって、ええ!? 私実家なんですけど!」
[ええ、あと二十分ほどで着きますから。用意しておいて下さい]
ぎゃーーー!!!
本気だ、本気で来る気だよこのひと! ていうか私の実家をいつの間にッ! は、そりゃ知ってるか、雇い主……。
どう拒否したものか悩んでいる間に、理事長は自己完結。
[では、茅乃さん、また後で]
「いやいやいやちょっと待って理事長ッ?! 暁臣さんっ!!? ……切りやがった……!」
と、いうことは、この家の前にドドーンと高級車が乗り付けられるってこと?
真っ青になった私は荷物を取りに階段を駆け上がった。自室に置いていたバッグをひっつかみ、再び下へ。
居間でお正月番組を見ていたらしい弟が、私の勢いに怪訝な顔を向けた。
「姉ちゃん? 何ドタバタしてんの」
「あ、正之ゴメン私帰るね、お父さん達に言っといて!」
すれ違いざまそう言い残して玄関へ走ったけれども、今度はその手前で母に行く手を阻まれた。急いでるのにぃ〜!
「茅乃? お酒の追加持って来てちょうだい」
「もう飲ますな! てかそれどころじゃ……」
ない、といいかけた私を遮るように、チャイムが鳴る。早いよ! あと五分あるよ!?
あらお客様、とスリッパをパタパタ鳴らしながら、玄関へ向かう母に焦って追いすがった。
「おかーさん、出なくていいからっ、いいからお迎えしないでぇえッ!!」
私の叫びも虚しく、母は戸を開け。
「はい、……」
「明けましておめでとうございます、お忙しい時間にすみません。古賀と申しますが、茅乃さんはご在宅でしょうか」
今日も隙なく高級スーツを身に纏い、キラキラしい微笑みを浮かべ我が家に現れた殿下を、ポカンと見上げて固まる母。
うげぇ、と覗いていたらしい弟の声。何だ何だと座敷から湧き出る親戚たち。父の顔を見る勇気はなかった。
私は天を仰ぐ。
いっそ殺せ……。
「何のイヤガラセですか新年早々っ! 私が出てくまでどうして待てないんですかッ! みんなに目撃されちゃったじゃないですかああああ!! しばらく家からの電話に出れない〜〜!」
半ば蹴り入れるように理事長を車に押し込み、私は座席に倒れ伏した。
本日は運転手付きの車、頭を抱えて苦悩する私を眺めて、理事長は横で飄々と答える。
「いえ、せっかくご実家まで来たのでご挨拶をと」
「しなくていーっつの! うああああ、どうしよおおお、言い訳きかないじゃんーーー!」
しかもまんまと連れ出されてるし。
「……そんなに迷惑ですか、私がご両親に会うのは」
「常識で考えて下さいよッ! 家の玄関先にいきなり王子みたいなのが現れたら何事かと思うでしょっ」
「……おうじ……?」
微妙な顔をした理事長が呟き、同じタイミングで軽く吹き出した気配に、ふと我に返る。運転手さんが肩を震わせていた。
ム、と理事長が睨むのに、運転手さんはケホケホ咳き込むふり。
「松岡……」
「暁臣様、お時間はよろしいのですか? お嬢さんに説明がまだのようですが」
松岡と呼ばれた三十代後半のけっこうカッコイイ運転手さんは、サラリと理事長の勘気を受け流し話を逸らした。見習いたい技だ。
ん、説明? そういえば……
「お願いってなんです? それに、今日は新年会って言ってませんでした?」
「ええ、これから……、ええと……あのですね、茅乃さん、……実は折り入ってお願いが」
歯切れ悪く、これまた珍しく言いよどむ理事長。
「だから何です?」
「……その、」
視線をさ迷わせ、目を合わせない彼にしびれを切らしてずずいと顔を覗き込んだ。
「あーきーおーみーく〜ん?」
「……私のパートナーとして、一緒に出席して欲しいんです」
………………。はぁああぁっっ??!
「……本当は妹で誤魔化すつもりだったんですが、逃げられてしまって」
誤魔化すとか逃げられて、て、どうゆう兄妹なの。
理事長の言い訳をバックに、私は鏡の中の自分に向き直る。
キュッとアイラインを濃く入れて、眼差しを強く。ゴールドのアイカラーと、ローズレッドのルージュ。重ね付けしたマスカラにラメを入れて、チークは控えめに。アップした髪にストレートロングのエクステを付け、調節したら出来上がりだ。
問題は、急遽用意したカラーコンタクトに、いつまで私が我慢できるか、だけど。
「オンナ避けって、こんな感じでいいですかね?」
ドレッサーから離れて、衝立の後ろで私の着替えを待っていた理事長の前に姿を見せる。
「……すごいですね茅乃さん」
ラメの入った黒のタイトドレスに身を包み、顔を作った私をボォッと見つめる理事長。
うんよしよし。元を知っている理事長がこうなるってことは、充分騙せるわね。
強引なお迎えの理由に最初は断固拒否する構えだったけど、パーティーで寄ってくる女性達を避けたいのだ、と困り果てた理事長があんまり情けない顔をするものだから、負けてしまった。
素のままの私が出席する訳にもいかないので、変装を条件に。
姿見の前でストールを整えてクルリと最終チェック。
変装コンセプトは気位の高いお嬢様。知り合いが見ても楠木茅乃とはわかるまい。
私は女優、私は女優。
「呼び方はどうします? 暁臣さん? 暁臣? いっそ様付けとか?」
「……さん、で良いです……」
呼び捨てにも惹かれますが、とブツブツ言ったあと、気を取り直したらしく、いつもの落ち着いた笑顔に戻り手を差し延べてくる。
「うちは外資系なので外国の方も多くいらっしゃいますが、会話のは大丈夫ですよね?」
「まぁ一応英語教師ですから」
てゆーか、あまり話しかけられるようなら逃げてやるし。
「では、貴女は婚約間近の私の恋人、ということで」
「……ボロが出ないように頑張ります」
私は女優、ともう一度唱えて理事長と腕を組む。
滑らかなエスコートで、数時間限りの舞台へと足を踏み出した。
はあ。
御曹司ってタイヘン。
パーティー会場に着いた途端、彼の周りに人が集まって、次々に挨拶が交わされる。
私は理事長の横で上品に見える微笑みを浮かべてれば済んだけど、彼はいちいち相手に見合った言葉を掛けて、対応していた。もしかしなくても全員の名前と立場を覚えてるんだ?
現在、理事長のヒヨウ社内での肩書きは情報システム課の部長。いずれ社長になると目されている彼とお近づきになっておきたい人が後を絶たず、やっと解放されたのは会場に入ってから随分時間が経っていた。
これが理事長のいつもの世界か。
そりゃストレスも溜って、私を弄びたい気分にもなるわ。
飲み物を取って来ますねと理事長が私から離れた隙に、待ちかねていたかのようにどこぞのオジサマ方に囲まれた。
少し離れた所に居られる着物娘さん達のお父様かしら? 玉の輿狙い? お約束だな。
「暁臣さんのパートナーのようですが、一体どちらの御令嬢でいらっしゃいますか?」
「最近は妹君をエスコートしていた彼がお連れになるほどだ、将来の……?」
上から下まで品定めの目が走り、表面はやわらかだがねちねちした詮索の言葉が投げ掛けられる。
「申し訳ありません、わたくしからの名乗りは控えさせて頂きます。暁臣さんから正式な紹介があるまでどうぞご容赦を……」
微笑みながらソソと答えて、人波を泳いだ。
あ〜〜、女優の仮面が剥がれてくる。
理事長どこまで飲み物取りに行ったのよ? ていうか立食なのにがっつけないのが悔しい。
「貴方どこの方?」
トゲのある女性の声が私にかけられる。振り向くと、全身お金の掛ってそうな美女。
おうおう来た来た〜。
ニンマリしそうになった顔を、あやしくないくらいの笑顔に保ち、おそらく理事長の過去のオンナだと思われる彼女に、何か? と可愛いらしく首を傾げてみせる。
「名前を聞いてるの。どこのオンナ?」
明らかに私を見下してかかる美女に、私は無礼に無礼で返す。
「わたくし、自分から名乗らない方に教える名前は持ち合わせておりませんの。失礼致します」
余裕の笑みで背を向ける。
恨みを買いそうだが今の私は楠木茅乃じゃないのでへっちゃらなのだ。しかしオンナの趣味悪いな、理事長。形は良いけど性格悪そう。
……自分に返って来るからやめよう。
正体を探る視線、単に女を物色する視線を何でもないようにかわしながら、理事長が向かったはずのビュッフェコーナーまで移動する。
周りより少し高い金髪を見つけて――慌ててUターンした。
理事長は、社長(前理事、つまり現理事長のお父様だ)と他の偉そげな方々とお話している最中。
戻ってこられないはずだ。
ヤバいヤバい。前理事は、私のこと学園に雇用された時からご存知だし、下手に顔を見せたらばれちゃうかも。
仕方なく壁際に寄って、目立たないように料理を楽しむことにした。
それくらいしか楽しみがないもの。
お料理をあらかた頂いて、一息つく。鈍痛のするこめかみを押さえた。
さっきの部屋に戻っちゃ駄目かしら。コンタクトがそろそろ合わなくなってきたのか、眼が疲れて頭痛がする。人いきれにも酔ったのかも。
別世界だもんなぁ……。
休憩用の椅子に腰掛け、理事長とこんな関係にならなければ見なかった光景を、傍観者気分で眺めた。
きらびやかな会場を行き交う、要するに上流社会の人々。
何だか本当に舞台の上にいるみたい。確かに今、私は理事長の恋人役をしてるけど。
作り物めいた笑顔が交わされるこの場所にいれば、何が本当かわからなくなる。
――彼は、そんなことないのかしら?
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