惑・madoi〜楽屋裏
 
れんちゃんはどー思う? 今までのお兄ちゃんの好みからいうと、あの人っぽいと、朔耶は思うの」

 パフェのスプーンを振りかざし、派手な美人を指す従妹に、俺はガクリと肩を落とす。

暁兄あきにいの彼女なんてどうでもいいよ……。で、朔が俺をココに呼び出したのはソレのため?」
「そだよ? 朔耶一人じゃ客観的に観察出来ないと思ったんだもん」

 きょと、と目を瞬かせる三つ下の従妹は、男をホテルに呼び出した意味を全くわかっていない。

「……まあな〜、いきなりうちの系列ホテルで、とは思わなかったけどな〜」

 男の純情弄びやがって……。
 最近、家族付き合いの悪くなったという、朔耶にとっては兄、俺にとっては従兄弟である古賀暁臣の、新しい恋人調査に俺は狩り出されていた。
 惚れた弱みというやつで、俺は朔耶には逆らえないのだ。

「あ、また女のひと来たよ」

 朔耶の声にそちらを見やると、清潔そうな、美人ではないがキレイな女性が俺達のいるラウンジに入ってくるところだった。

「いい感じの人だけど、お兄ちゃんの彼女とはタイプが違うかな?」
「ってかさ、歴代の彼女って、あっちが寄って来てんのばっかりで、別に暁兄の好みってわけじゃないだろ」

 なんとはなしにその女性を二人して見る。
 彼女が着ている女らしいカジュアルドレスに見覚えがあって、あれ? と思った。

「兄貴のデザイン……」

 最近名の知れたブランドになった兄の作った服を、そのひとは着ていた。
 芸能関係や、上流の女性にご贔屓されている物を身につけているにしては何ていうか、こう、普通のひとなので不思議に思う。
 よく似合ってはいたけれど。
 それに、あのデザインて……

「ん? あ、ホントだ。きよちゃんブランド好きなのかな? 親近感覚えちゃうね」
「ていうかアレまだ出回ってないやつ……」

 何種類もケーキを頼んだ女性は、携帯をテーブルに置いて、特に人待ち顔というわけでもなくお茶を楽しんでいるようだった。
 あの細い身体のどこにあんなに入るんだろう。おののきながら、俺は何となくそれを見守った。ケーキ四個目……。

「あッ! お兄ちゃん発見。廉ちゃん、作戦通りにねッ!」

 入口を見ていた朔耶がパッと身を翻した。暁兄が携帯で誰かと話しながら、こちらへ向かって来ているところだった。
 と、ケーキ制覇をしていた女性が携帯を手に、席を立つのが目に入る。
 いつの間にか全部平らげてる……! じゃなくて、まさか?

「結構早かったですね」

 俺の側を通り過ぎる際、彼女のそんな言葉が聞こえて。暁兄に目を向けると、溶けそうな微笑みで彼女を見ていた。
 位置的に俺も視界に入っているはずなのに、全く眼中にない。
 生まれてこの方あんな暁兄見たことねえぞ!?
 それだけ特別な相手、なのか。
 ……ヤバイ。
 朔耶の作戦がハマってしまったら、とんでもなく危険な事になるのでは。俺と朔耶にとって、危険な事に。
 慌てて朔耶を阻止すべく、腰をあげ――

「あっきおみっさんっ!」

 可愛らしい弾んだ声で、朔耶が暁兄に抱きつくのを目にする。
 ……間に、合わなかったか…。
 さようなら、俺の平穏な人生………。
 
“――お兄ちゃん連泊で部屋予約してるのよ。絶対彼女と泊まるつもりなの!”
 
 力強く断言した朔耶の、作戦名『お兄ちゃんにギャフンと言わせちゃうゼ〜浮気相手登場篇〜』は、そのまんま、暁兄が彼女と現れたところに、朔耶が浮気相手のフリをして、暁兄に絡むという計画だった。
 母親似の朔耶が、髪質以外暁兄に似ていないことを利用して、誤解をさせようとしたのだ。
 新しい彼女になかなか会わせてくれない暁兄に対する意趣返しだというそれを、俺はやはり止めるべきだった。
 よく考えなくても、誤解とはいえ恋人を傷付ける行為を、暁兄が許すはずもなく、まして彼女さんは何も悪くない。
 が、しかし、時すでに遅し。
 絶望に震える俺の目の前で修羅場が展開されようとしていた。
 待ち合わせをしていた恋人に、親しげな美少女がひっついている、という現場を見た彼女さんの様子を恐る恐る窺うと、
 ……アレ?
 まずいところに居合わせた、とばかりに暁兄から視線をはずし、そそくさとホテルを出ようとしていた。
 誤解……を、与えられたようだが、何だか思ってた方向と違うような。
 何でこの人が後ろめたそうなんだ?

「茅乃さん!」

 場所も構わず大きな声をあげて恋人を追いかける暁兄に、意外の念をかくせない。
 あんなふうに、誰かを追いかける強い感情を持っているなんて思わなかった。
 朔耶の、感心しない計画に乗ったのも、そんな暁兄の身内以外に対する無関心さを知っていたからで――

「もぉサイテー! お兄ちゃんの馬鹿ぁ!」

 振りほどかれた際に転んだ朔耶が、暁兄に文句を言いに行こうとするのを必死で止める。
 今、さらに邪魔をすれば間違いなく殺される。
 彼女を引き留めることが出来たらしい暁兄が、エレベーターへ向かう一瞬の間に、俺達へ刺すような視線を投げてきた。
 アレが身内に対する目かよ……。
 余程、彼女が大切らしい。
 初めて尽くしの暁兄の態度に、あれだけの執着を持たれる彼女さんが心配になったが、それよりも自分の身の方が危ないと思い当たる。
 ………。
 遺言を、残しておくべきだろうか……。
 
 
 週明け、月曜日の夜。
 暁兄に呼び出された俺は、裁きを待つ罪人の気分で古賀本家応接室の扉を叩いた。

「ああ、わざわざ悪いね、廉」

 暁兄の笑っていない笑顔に背筋が寒くなる。
 怖ぇえ……。

「今日来てもらったのはね、そろそろ廉にも古賀の仕事を手伝わせてもいい時期かと思って」
「は……? 俺、まだ大学生だよ、暁兄」

 戸惑って首をかしげる俺には全く構わず、暁兄は笑みを深くする。

「……金曜日の夜に女子高生と遊ぶ暇があるみたいだし、支障はないね。何しろ、家は人手不足で大変なんだ。頼りの若い男手はデザイナーやら画家やら、会社に全く関係ない職に就きたがるし、まさか廉までそんなこと言わないと思うけど。ちゃんと経営学部に進んでくれたしね?」

 未来の古賀財閥を、たった一人でその肩に背負うことになってしまった暁兄の言葉に、俺は何も言えない。
 もちろん、俺としても卒業後は暁兄の手伝いをするつもりでいたけれど、はっきり覚悟していた訳ではなく。

「…………。」
「そうそう、朔耶にも古賀の役に立ってもらわないと。いい縁談が来てるから、次の休みにでも見合いをさせようと思うんだ。取引先の方で、まぁ、朔耶よりも十五年上だけどあの我儘甘えた娘には丁度よい相手だと思わないか? 年上の男を振り回すのが好きみたいだし、廉もそう思うだろう?」
「あああ暁兄ッ! それはあんまり……!」

 俺の気持ち知ってるくせに――!!

「親の金で遊び歩いているぐらいなら、とっとと嫁に行かせた方が俺も邪魔されずにすむからなぁ。彼女に何を吹き込むつもりだったんだか、今となってはどうでもいいが」

 ひぃ。暁兄が俺って言ったよ! ヤバいヤバいヤバい昔に戻ってるよ!

「大変申し訳ありませんでしたぁ!! 二度と朔を野放しにはしませんっ! 暁兄の言うこと何でも聞きますから見合いさせるのだけは勘弁して下さい!!」

 土下座の勢いで頭を下げると、ふっと暁兄の気配がゆるむ。

「――あれで、彼女が俺から離れていたら、タダじゃすまなかったよ? わかっているね、そこのところ」

 一も二もなく頷いた。
 叔父と古賀家の権力を二分する次期当に逆らう度胸も才覚もない俺は、暁兄のいうとおりにするしかない。
 朔耶という人質をとられているからには尚更だ。

「じゃあ明日から、大学の授業がない時は会社で働いて貰うからね。スーツは持っていたかい?」
「兄貴のお下がりが何着か……」

 やっぱりこき使われるのは決定ですか……。
 あ、そういえば。

「ねえ、暁兄の彼女さんが着てた服ってさ、うちの兄貴の新作だよね。もしかして暁兄がプレゼントしたの?」

 あの日から疑問に思っていたことをついでに訊いてみる。と、微かに暁兄が朱くなった。
 うわ……珍しい……。

「あぁ……、たまたま潔に会ったとき見せて貰って、気に入ったんで、購入したんだ」
「うん、チラとしか見てないけど似合ってたよね」

 俺がそう言うと、暁兄はふんわり笑った。嬉しそうに、自慢そうに。
 それもまた初めて見る暁兄で。
 改めて、暁兄にとっての彼女の存在の大きさを感じる。
 出来れば、いつか。
 ちゃんとした形で、暁兄の大事な人に、会えることが出来たらいいな、と思った。
 
 ――ちなみに、罰を受けたのは当然俺だけでなく朔耶もで。

[信じられないっ、お兄ちゃんてば勝手にうちの校長に、わたしがボランティア志願してるって言ったんだよ! 期待に満ちた目で見られて、嘘ですとか言えないし! お陰で毎日校外活動で大変なんだから――ッ!!!]

 さすがというか、なんというか。
 人様の役に立ち、なおかつ朔耶の自由を封じる手段は見事としか言い様がなかった。

 

 
(2010/09/16修正,12/06再修正)
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