「ぎゃー!」
その場からヒョイと抱え上げられて、奥に運ばれる。この荷物運びは一生治らないのかな!
ジタバタする足を押さえたフミタカさんは、捲れたスリップの裾を引っ張って、愉快げに唇を曲げた。
「誰のプレゼントだ、これ? うちの奴らか」
「ぶぶー。幼馴染みたちだよ。これで旦那を悩殺して逃げられないようにな! とか失礼なメッセージ付きだったよ」
ニヤニヤ笑いと共に渡されたときのことを思い出し、あたしがぶうたれながら言うと、フミタカさんは肩を揺らす。
「悩殺してくれるのか、そりゃ楽しみだ」
できるわけないってわかってて言ってるのがまたムカツク。どうせセクシーナイティ着ても色気がないのは承知の上だよ、もう!
てっきりそのままベッドへ直行かと思ったら、そうではなく、ソファへ下ろされた。
面したテーブルにはグラスとシャンパンボトル、おつまみのチーズやハム、ボリュームのあるサンドイッチ。
いつの間にセッティングしたんだろうと目を瞬いていると、フミタカさんがグラスにシャンパンを注いで、あたしに目配せした。
示された通りに、掲げられたグラスを軽く打ち合わせて、涼やかな音に唇が綻ぶ。
「お疲れさん」
「でした」
ものすごーく長かった一日に乾杯する。
ささやかな晩餐てとこかな。
こちらの味覚に合わせてくれたのか、シャンパンは仄かに甘くて果実の風味が強い。
やり遂げたあとのお酒は美味しいねえ! とばかりに二杯目を注いだあたしをよそに、珍しくフミタカさんが食事を優先している。
サンドイッチをあたしが一つ食べる間、に三つくらい片付けてた。
まじまじ見ていると額を小突かれる。
「お前は披露宴でも二次会でもバクバクバクバク食ってたが、俺はほとんど食ってないんだ」
「あー、みんなにお酒ばっかり飲まされてたもんねー」
逆にあたしはあまり飲んでいなかったので、きっとお高いのだろうシャンパン存分にを堪能することにした。
蜜色の中、ふわふわ揺れる泡を眺め、ふと笑みをこぼす。
うん? と問い掛ける目をしたフミタカさんに、なんでもないよと首を振って。
あの日まで、フミタカさんとこんな関係になるなんて思いもしてなかった。
彼と出会った頃のあたしに、「将来このひとと結婚するんだよ」と言っても、ありえないって笑い飛ばしただろう。
それくらい、近くにいても遠い存在だった。
――今は、どんなに遠くにいたって、一番近いひとだって言える。
距離じゃなく、心が。
くすくすと笑いやまないあたしに、もう酔ったのかとフミタカさんは呆れ顔。杯を取り上げられる。
あんまり酔われても困るからな、ってどういうことかしらー。
いい気分だけど、酔ったわけじゃないのに。
不満に唸り声を漏らして睨んだら、ミネラルウォーターを渡される。
グラスを持った手に、対の指輪。あたしの指にも同じものがあるのをチラリと見やってから、呟いた。
「ホントに結婚したんだよねぇ……」
「何を今さら」
「感慨に浸ってるの。ずうぅっとお互いに対象外だった相手と結婚するとか、ちょっと前までのあたしなら担がれてるのかと思うとこだよ」
というか、プロポーズだって信じられなくて逃げたし。
半年前の逃走を思い出したのか、眉をひそめてフミタカさんがあたしの頬を抓る。
「対象外だと思ってたのはお前だけだろ」
「だって、あたしフミタカさんの好みとかけ離れてたじゃんか」
美人でー、スタイルよくてー、理性的でー、と指折り数えながら彼の恋人の条件を提示してみると、そうだなと悪びれもせず肯定が返ってくる。
正直すぎるだろうと背中を拳骨で叩いた。
「――だが、一生側にいて離したくないと思ったのはお前だけだぞ」
グーしたままの手を握り、鼻先に軽いキス。
甘いこと言って懐柔しようとしても、そうはいかないんだからねっ。
ムッと尖らせた唇にも、口づけを落として。
「そういう鈴鹿の“好みのタイプ”は聞いたことがなかったな?」
言ってみろ、とニヤリ笑う。
ぎえー、ヤブヘビだっ。
「いや特に。考えたことなかったし? 選り好みできるほどの者でもありませんし?」
ジリジリと後退りして逃げようとするものの、フミタカさんの腕は簡単にあたしの腰を捕まえて、逃げないように膝に乗せられた。
「好みがないということは好きになった俺がタイプということだな」
「なんでそうなるかな!?」
フミタカさんレベルが普通にタイプって、高望み過ぎるでしょ!
満足げに頷いているフミタカさんの背中をもう一回叩いて、否定の意を示すも、構うようなひとではなかった。
そういうことにしとけ、なんて嘯いてキスが深くなる。
「……理想と現実は違うんだよね……違う意味で」
「どういう意味だ」
全く余裕のフミタカさんは、酸欠でグッタリしたあたしに悪戯のようなキスを繰り返す。
普通のあたしは、普通のひとと、普通に結婚して、普通の家庭を作るんだと思ってた。
こんな、一般的にハイレベルなひとと、愛し合って、玉の輿ともいえる結婚をするなんてこと、夢見がちで現実が見えていない少女のころはいざ知らず、本気で叶うとも思っていなかったのに。
いずれ会社の頂点に立つひとの奥さんですよ。イケメンハイスペックな旦那様ですよ。呆れるくらいあたしにベタ甘ですよ!
あたしにしてみれば、理想が普通で現実が普通じゃなかったってことになるのかな。
もちろん現状に文句があるわけじゃない。全然ない。そんな贅沢言ったらバチ当たる。
まあ、ちょっとときどき遠い目になっちゃうこともあるけれど。
普通とか普通じゃないとか全部放り投げて、残るのは、想っているひとに想われている、幸せ。
でも、自分が幸せだな〜って能天気に思う反面、ちゃんとフミタカさんもそう感じてくれているかなって、ふと弱気の虫に付かれるんだ。
愛されてる分、ちゃんと返せてる?