「フミタカさん、先にお風呂入っていーい?」
本日のお宿に着いて、あたしは早速とばかりにヒールを脱ぐ。
ゴールドっぽいベージュのワンピースに合わせてですね、ネイビーの丸っこいフォルムのとっても可愛いハイヒールを履いていたのですが、これが可愛さに比例するように足に負担のかかるもので。
辛うじて靴擦れは出来ていないものの、爪先が曲がりそうなくらい痛かったんだよ。
ソファーでだらけているフミタカさんの生返事を背に、ストッキングも脱ぎ捨て、裸足になったあたしはバスルームへ向かった。
服を脱ぐ前にバスタブにお湯を溜めて、その間に化粧を落とす。
プロがメイクした化けの皮はこの時間になっても崩れることなく残っていたけれど、躊躇せず剥がしますよー。
一日ずっと作っていたから、顔の表情筋も表面も疲れた。
指の腹を滑らせて、化粧を浮かせてよく洗い流す。ゴシゴシしてはいけません。熱いお湯もダメです。必ずぬるま湯で流してください。
式前に通ったエステのお姉さんの指導が脳にこびりついている。こわい。
いやいや、平凡顔だからこそスキンケアには人の倍気を遣うべきよね。数少ない美徳であるもちもち肌を、なるべく長く保つために!
誰に主張してるんだか、と自分で自分に突っ込んで湯気の立つバスルームに入った。
洗い場のあるバスルーム。白いバスタブ、金色の蛇口はピカピカ。
気のせいでなくデジャヴュを感じるゴージャス仕様のバスルームには、あのときはなかった薔薇の花が窓辺に活けられている。
チラッとしか見なかったけど、同じように部屋のあちこちに花が飾られていたのは新婚仕様なのかな。フミタカさんならそれくらい手回ししそうだ。
バスルームから見える夜景は変わっていなくて、だけど決定的に変わったものがあって、あたしは忍び笑いを漏らした。
半年前にあんなにテンパって、ギャーギャー悶えながら彼に抱かれる準備をしていたのに、今のあたしのこの落ち着き様ってば、十年もたったみたい。
フミタカさんも、プロポーズしたときと同じ部屋をとるとか、どこまでロマンチストなんだか。
はじめてのときも、贅沢だよって言ったのに。
『――女の子はこういうシチュエーションが夢なんだろ?』
得意そうに言った専務に、あたしは嬉しいのと悔しいのとが混じりあった思いを抱いたんだったか。
妹扱いじゃなく、女の子として甘やかされるのは嬉しい。
でも、他の子にもこんなことをしてあげたのだと思うと、複雑。
そりゃ彼が結構な数の女性と付き合っていたことはよぉーく知ってるし、昔のことを気にしたって仕方がないってわかってる。面白がったりもしてたあたしが、今さらムッとする資格はない。ないけどね!
変な顔をしていたあたしに、照れているのかとキスをくれた彼に、そんな不満は言えなかった。
だけどそのモヤモヤした気持ちは、次に彼が呟いた言葉できれいさっぱり吹っ飛んでしまう。
『ニブいお姫様にはこれくらいしないとわかってもらえなかっただろう? 下調べに貴重な休みを費やした俺の苦労を思い知れ』
他に考えていたところは、などと続く専務の作戦話は右から左へ、あたしにとって重要だったのは、彼があたしだけのために、プロポーズにまつわる演出を考えたってことで――
それを知って、馬鹿みたいに単純に、あたしの気分は浮上した。
前は前。これからの彼は、あたしのものだと言っていいのだろうか。いいんだよね――?
そんな自問自答を繰り返し、今日に辿り着いたんだ。
ゆっくり感慨に浸っていたかったけど、痺れを切らしたフミタカさんに突入されても困る。
バスルームから出たあたしは、手早く髪を乾かしてまとめたあと、とある紙袋を前に腕を組んだ。
こちらに見えますは、持ち手が可愛らしくリボンに結ばれた、お洒落な紙袋でございます。二次会で友人たちに頂いた逸品でございます。
中に見えますは総レース使いのナイトドレス。肩紐にお花と蝶々のアップリケが施されており、フロントや裾には小花柄の刺繍やプリーツリボンが重ねられ、ロマンティックな一枚となっております。
って、ス ケ ス ケ じゃないかこんにゃろう!!
一瞬床に叩きつけたくなったが、進物品であるがゆえに衝動をグッと堪えた。
胡乱な目付きのまま、指先でそれを取り上げる。
繊細なレースや工夫を凝らしたリボンは可愛い。確かに可愛い。お花と蝶のモチーフも、乙女心がとってもくすぐられます。
だ が !
し か し !
なんでスケスケなんだッ!
思わず空になった紙袋をぶっ叩いてしまう。
いけないいけない。衝撃で転がった紙袋を取り上げると、まだ中に何か入っていたことに気付いた。
底に蟠っていた布を引き出すと、シルクサテンのインナースリップが出てくる。上品なベージュ色で、布地のテカりでゴールドにも見える。
ああ……。レースは黒だから、合わせるといい感じにきゅーとにせくしーですね、これは。
みんなあたしをわかってるよ、ホントにね! これなら着るだろうという思惑が透けて見えるよ! 着るよ、着ればいいんでしょー!
ついでにセットされていた下着も着けて、肩にバスタオルを羽織り、どっからでもかかってこーい! とリングに向かうレスラーが乗り移った勢いでドアを叩き開けた……ら、今まさにノックしようとしていたポーズでフミタカさんがそこにいた。
「うおっ」
「湯船に沈んでるかと思ったぞ。……ははあ」
これが原因か、と肩紐を引っ張られて反射的にあたしはその手を叩き落とす。
フミタカさんが、にっこり笑った。
おおう…………。