Side he
 
 まるくやわらかなバリアに囲まれた君の静かな世界。
 俺はそれに触れてみたかったんだ――。

 小さな石が飛んできて、俺の頬に当たった。
 意図を持って投げられたそれは跳ね返って石畳に落ちる。
 ちいさなまるい、月の光のようにやわらかい明かりを秘めた、君に似た石が飾られた銀の指輪。

「や、なあに? 先輩、だいじょうぶ……」

 隣にいる後輩の声も耳に入らず俺はそれが投げられた方向にいる彼女を見つめて呆然としていた。

 ―キレイ。ありがとう―

 指にはまったやわらかな光を見て、はにかむ君の嬉しそうな笑顔。
 やっと君の世界に俺がいると感じたあの日。
 あの日の幸せが、表情を無くした君のなかで歪む。
 何も言わず、何も感じさせず、踵を返して走り去る背中を見て、失敗した、と悟った。
 指輪を拾い上げて、試合のときと同じ力で――いや、それ以上の力で足に命令を下す。

 走れ。
 追え。
 失う前に捕まえろ―――。

 好きだと言ったのも、
 付き合おうと言ったのも、
 俺から。
 サッカー部の俺と、図書委員の君と、クラスメイトとしての接点がなければ話すこともなかっただろう俺たちは、付き合い始めた当時異色のカップルとして騒がれた。
 なんであんなのと?
 と失礼な質問をされたのも一度や二度ではない。
 別にいいと思っていた。
 関係ないやつらが言うことなんて、放っておけばいい。
 彼女の良いところも可愛いところも俺だけが知っているという優越感もあった。
 彼女がささやき続けられる陰口に傷ついていることも気づかずに。
 ――いや、気づいていたのに放置して。

 頼って欲しかったんだ。
 泣きついて欲しかった。
 物分かりの良い彼女じゃなくていいから、俺に、その気持ちの全てをぶつけて欲しかった。

 彼女との久しぶりのデートの日。
 それを知っていて、退部する奴の餞別を買いに行く計画を立てる、仲間たちに思うところがないわけじゃなかった。
 サッカーを知らない女が俺の彼女だということを不満に感じているらしい部員がほとんどで、俺に気があるマネージャーとくっつけようと企んでいるのも知っていた。
 どう言われようが俺の気持ちが変わることがないのは、自分がよく分かっていたので気にしていなかったが。 しかし、さすがにこれはないんじゃないか。

 当日の朝になってデートをキャンセルする俺に、あっさりと許しを与える彼女に気落ちしながら、部員たちとの約束の場所についた俺を待っていたのは、着飾ったマネージャーひとり。
 その時点でハメられたことに気づいたが、電話で文句も言ってくれなかった彼女に当て付ける気持ちもあって、「みんな都合が悪くなって」という白々しい言い訳にも何も言わなかった。
 はしゃぐマネージャーに空返事をしながら、何も言わないお前が悪いんだからな、嫌だって怒らないお前が悪いんだから、と見当違いの責任転換をして、後ろめたい自分の気持ちを誤魔化した。

 買い物が終わったらすぐに行くから。
 俺だって嫌々義理を果たしているだけなんだから。

 そんな自分に都合のいい言い訳をして。
 デートをキャンセルしておいて、他の自分に気のある女の子と二人でいるなんて、彼女が見たらどう思うか考えもせずに。
 嫉妬するかな、してくれるかな、なんて軽い気持ちで。

 俺から始めた二人の関係、気持ちを強く主張しない君に不安を感じていた。
 俺のこと、本当はそんなに好きじゃない?
 俺が強引だったから、オーケーしたんじゃない?
 だから、部活を優先しても平気なのか?

 本当の本当は、
 俺をどう思ってる――?

 心の中で揺れる不安という名の水玉模様。
 ゆれて、揺れて、君を試す日々。

 その結果がこれ。

 ―もう、いい。

 諦めたように力なく呟き、ホロホロと水を落とす君を見て、どんなに傷ついていたのか初めて知った。
 相手の気持ちを読み取ることに長けた君が自分のワガママを通すことなんて出来ないと知っていたのに。
 そういう君だから好きになったのに。

 試すようなことをしてごめん。
 君の気持ちを疑ってごめん。

 だから、
 別れるなんて言わないで――、

 泣き落としに似た謝罪に、捕まえてすがり付くように抱きしめた身体からこわばりが解ける。
 この期におよんでまだ気をつかう君を、三回に一回どころか最優先にしようと密かに決めて、ささやく。
 ――好きだよ。

 まるくやわらかな君のバリア。
 その中に無理に入り込むんじゃなく、それごと包み込んで君を大事にしようと思った、

 水玉模様の日。


初出:2008.11/12ブログSS
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