*おにはうち?(二)
 

「……なにやってんのアンタ」
 目を開けるなり視界に飛び込んできた金色の目の持ち主に、あたしは低く問いかけた。
 キョトン、とした瞬きが返ってくる。
 相手が角の生えた鬼だろうが何だろうが断固として追及してやる、という決意と共に、射殺さんばかりの強さで睨む。
「汗をかいたようなので、着替え、おっ?」
 眠っていた――覚えているところからなら、たぶん気絶した、というのが正しいんだろうけど――あたしに跨がって、衣服に手を掛けていた鬼を足を振って蹴り落とす。
「この変態鬼野郎!」
「乱暴な。熱があると言うのに、おとなしくせんか」
 ベッドから床に落ちた彼がぶつくさ呟くのに、あたしは真っ赤になって怒鳴る。
「無断で人の服を剥ごうとする輩におとなしく振る舞う義理はないッ!」
 お腹の半ばまでボタンの外されたパジャマの胸元を握りしめ、――ハタと気付いた。
 ……なんでパジャマなの。
 あたしは確か中学指定のセーラー服を着ていたはず。はず……。
 惑ったまなざしの先に何故かビニールのカバーに包まれて、壁にかけられているセーラー服が。
 あれは、クリーニングショップの袋?
「ああ。お前の“せえらあふく”とやらなら、汚れていたので洗濯屋に出しておいた」
「せ、洗濯屋……そりゃどうも……じゃないいぃ!! なに勝手なこと、っていうか、まさか、まさか着替え――」
 他にも色々ツッコミたいことはあったけれど、乙女としての最重要項目を先に口にする。
 否定してくれ! という願いをこめて。
 はたして。
「その寝間着であっているだろう?」
 いつも寝るときに着ているものは。自分は間違っていないはずだ、と不思議そうにする鬼に、いや変質者に向かって、あたしは無言で拳に集めた霊力を解放した。
「死ぃーにぃーさぁーらあぁせええぇーーー!!!」
「じゃじゃ馬が過ぎるぞ、明日香」
 渾身の一撃をあっさりかわされ、勢いのまま殴りかかっていたあたしは鬼野郎に受け止められる。
 ふらついた身体を抱き上げられて、またベッドへ逆戻り。
「お前は昔から無茶をし過ぎる。監督するものがいなければ暴走して何かにぶつかるまで止まらないんだからな」
 あたしのことよく知ってるみたいに言うんじゃないわよこの変態ストーカー鬼!
 怒鳴りたかったけど、寝かせたあたしの額に触れたその仕草が、瞳が、優しくやわらかすぎて、言葉を飲み込む。
 ――なんで、そんなに嬉しそうなの。
 なんで、そんなにあたしを愛しげに見るの。
 アンタは誰なの、どうしてあたしを見ていたの、何故――
「腹が減っただろう。粥を持ってきてやる」
「待っ、」
 背中を向けた彼の服の裾を咄嗟に掴む。
 なにやってんの、あたし。
 相手は鬼だっていうのに。
 行かないで。そばにいて、一人にしないで―――そんなことを思うなんて。
 自分の行動に戸惑って、だけど離せない手をじっと見ていると、ふわりと頬を大きな手のひらで挟まれる。
 額に落とされる、唇。
 一気に顔に血が昇るのがわかった。
 驚きとむず痒い恥ずかしさに口をぱくぱくしているあたしの顔を覗き込んだ彼は、至極麗しく微笑む。
「案ずるな。独りにはせぬ。兼英との約束まであと二年あったが――見守るだけなどもう我慢できん」
 カネフサ? 兼英って、それはあたしのお父さんの名前で……ハイ?
 そういえば。
 別のことに気を取られてて気付かなかったけど。
 ここはあたしの家、あたしの部屋ではないか。
 ストーカーだから知っててもおかしくない、けど、鬼避けの結界が張ってあるのに、鬼が何で入れたのよ。
 破った……ってわけでもないか、機能してるし。
 しかもコイツなんだか家を勝手知ったる風に行動してないか。
 カユって粥?
 作 っ た の か 。
 疑問が顔に出ていたらしい。
 うむ、と頷いた彼は偉そうに述べた。
「お前が成長するまで暇をもて余していたから、色々勉強したぞ。比佐女からも“今時の男は家事が出来た方がウケる”と言われたのでな」
 比佐女というのは母のことで――だから! なんでアンタがうちの親を親しげに呼ぶのよ、なんであたしにつきまとっていたのよ!?
「お前が我の巫女だからだ」
 みこ? ナニソレ。
 首を傾げたあたしが訪ねる隙を与えずに、触れる――
「むーーー!!?」
 油断しまくっていたあたしは、まんまと唇を奪われ、あまつさえたっぷりと味合われてしまった。
 ちょ、あたしのファーストキスーー!!
 やっと唇を離されたときには息も絶え絶え。
 涙目で再びぱくぱく。
 あたしを見下ろす鬼は壮絶な色気を振り撒いていて。
 今すぐ逃げ出したくなる笑みを浮かべた。
「今すぐは食わぬ。もう少し育ってもらわんと、我もつまらぬからな」
 汗で首筋に張り付いた髪をすくった指が鎖骨を撫で、ドサクサにふくらみに当てられ――意味を悟ったあたしは再度変態鬼を蹴り転がした。
 いつもその視線を感じていた。
 常に一定の距離を保ち、お互いが許せる領域ギリギリの場所にいる、鬼の青年。
 きっと、あたしを喰らうために隙を狙っているのだ。
 だから、自分が彼に覚える気持ちは間違っていると思っていた。
 彼と対峙しなければならないその時が来るのを恐れ、待ちわび、そして――

 ……食うは食うでも違う意味だなんて思うわけないじゃないのー!

 そのあと、甲斐甲斐しくあたしの世話をするヤツが語ったことによると。
 亡き両親と旧知の仲だなんて知らないよ!
 なんで父、うちの鍵なんか渡してるのよ!
 巫女、つまり鬼からすると嫁、ってあたしは了解した覚えはない!

 全力で拒否するあたしをいなし、いつの間にか家事の一切を取り仕切るようになった奴は――――鬼は、今もまだうちにいる。


 終.

初出:2010/02/06;拍手お例文

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