#4
 

「――たく、ま」
 呼んだ途端、夢が覚める。
 いつも、そうだったから、あたしは慌てて口を閉じる。
「果林」
 大丈夫だと言うように、口を押さえた手を取られて――封じたのはもう忘れかけていた唇の感触で。
 コロリと涙の粒が落ちた。
「琢磨……琢磨っ……」
 腕を伸ばす。
 しがみつく。
 夢。
 夢だ。
 夢でもいい。
 いかないできえないでそばにいて。
 あの頃、何度も呑み込んだ言葉が再び喉を焼く。
 夢だとわかっていてさえ、容易く音にできない文字の連なり。
 だって。
 誰よりもそう思っていたのは琢磨のはずだ。
 逝きたくない消えたくない傍にいたい――
 あたしを抱いて息をする毎、声に出さずそう叫んでいた。
「――夢の中でくらい、言えよ」
 桜吹雪は空間に溶けて、白い世界に立ち尽くす。
 困った感じに微笑んだ幼なじみは、別れたときのままの年齢で、時が過ぎたあたしを見つめた。

 そう。
 幼なじみの琢磨、
 あたしの琢磨は、ずっと前に、
 時を止めてしまった――

「果林は俺の我が儘ばかり叶えようとして、それじゃ不公平だろ?」
 ワガママ、なんて。
 琢磨は言ったりしなかったじゃない。
 荒れたのなんて、一度きり。余命を告げられて、自棄になって、あたしを初めて抱いたあの日だけ。
 死にたくないと泣き叫ぶことすらせず、最後の日を待ってた。
 あたしもおばちゃんたちも、そうしてくれた方が、どんなに楽だったか。
 琢磨があまりにも静かだったから、こっちも泣き叫べなかった。
 弱く首を振る私に、十八歳の琢磨が手を伸ばす。
「じきにいなくなるのがわかってて、お前を俺のものにした。苦労するのがわかってて、お前に証を残した。いなくなったあとも、お前を縛り付けて――解放できないままでいる」
 包み込むような抱擁を受けながら、首を振った。
 だって、それも全部、あたし自身望んだことだ。
「――受けちまえよ。矢坂にプロポーズされたんだろ。癪だけど、あいつなら、いい」
 ……どうして知ってるの。
 夢だから?
 あたしは、琢磨にそう言って背中を押して欲しかったの?
 だから、こんな夢を、見てるの――

 ――病状が進むと次第に見舞いの足も遠退いた人たちとは違って、矢坂くんは最後まで琢磨に会いに来ていた。
 時が過ぎ、琢磨を置き去りにしていく人々の中、今も彼は友人でいてくれている。
 その彼に、結婚を申し込まれたのは先日のこと。
 琢磨がいなくなったあとずいぶん支えられたし、好意を持たれているのはほのかに感じていたから、意外だけれど意外でもなかったと思う。
 矢坂くんのことは嫌いじゃない。
 どちらかと言うと、好きだと思う。
 あたしには勿体無いくらい、優しくて素敵な人だ。
 きっと穏やかな家庭を作れるだろう――
 でも。
 わかってる、とでも言うような大人の笑みを浮かべて琢磨が笑う。
「もう、俺のことを気にしなくてもいいんだ。それくらい、お前に時間は過ぎたんだから」
 ―――違う。
 背中に回された腕を振り払った。
 やるせない憤りのまま、叫ぶ。
「……みんなっ! 誰も彼ももう十五年もたったんだからって、もう忘れてもいいのよって、ずっと、偉かったわねって――私が無理してるみたいに! 違うのに! 琢磨まで、そんなこと言うのっ!?」
 私の激情を叩きつけられても、波立たない表情が憎らしい。
 駄々っ子を見るような目なんかで。
「無理なんてしてない、忘れないようにしてるわけでもない! 義理でも、あの子を気にしてるわけでもない! ただ、まだ、……好きなだけなのにっ……」
「果林」

「どうして、無理に琢磨を忘れようとしなきゃいけないの……!」

 
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