はにー・むーん

*7
 
 イルカはかわいかった。イルカはかわいかったけど――はっきり言いましょう。
 めっちゃくちゃ邪魔でした! 誰がって、言わなくてもわかるよね!
 背後で、こっちの思わず上げてしまった歓声にいちいち相槌打ってきたり話しかけてくる野郎のことだよ!
 あたしはひとりごとあるいはフミタカさんに話しているのであって、知人とも呼べぬ偶然三回行き合った男には何も言ってないんだよ! 他人の間にクチバシつっこんでないでテメエは己の恋人に集中してろという!
 どんどん冷えてくるフミタカさん周りの空気とずっと無言の彼女さんがひたすら怖い。
 なのに馬鹿は空気を読み取ることなく無邪気にはしゃいでくださっているわけですよ……!
 空気読めない人間がこんなにイラつくものとは……ごめんなさいごめんなさいこれまであたしの空気読めない振る舞いでご迷惑をかけたみなさまごめんなさいー! 人の振り見て我が振り直せー!
 奴のせいで心から楽しめず、拍手もおざなりになってしまったことをスタッフさんたちにお詫びしたい。
 ショーが終わりぞろぞろと観客が去っていくなか、あたしたちだけ無言でその場に残っていた。
 海風が寒いね……。
 もう無視して帰りたい、しかしまたついてこられるかもと考えたらなんか嫌だ。
 何故楽しい新婚旅行でこんな気苦労を覚えなければならないのか。
 ひきつった笑顔で固まったあたし、目の据わったフミタカさん、真顔の彼女、笑顔の野郎。
「イルカショーで急いでたのかー、なんだろと思って走っちゃたよ。でもついでに観覧できてよかったね敦子さん!」
 こいつ一人がどういうわけかご機嫌だし。なにがついでなのか。そういう聞き方は彼女の発言を封じてしまうということに気づけ。
 本当に、なんで、この男は恋人と一緒の旅行で全くの他人に絡んでいるのですか。
 こんな美人さんを恋人にしておいて、旅行まで来て独り占めできるっていうのに、毎時見つめていないともったいないとは思わんのかコラあたしが代わりに見つめるぞ!
 恋人であるはずの男にないがしろ(あたし比)にされている彼女さんは見れば見るほど以前のフミタカさん好みのお姉さまです。要するにきりっとした知的系美女。
 初日にきちんとまとめられていた髪は軽くウェーブを描いて背中に流され、お化粧も淡くうらやましいくらいの自然な美しさ。出過ぎず引っ込まずのスタイルは、リゾートを意識したゆったりめのチュニックブラウスにざく編みのカーディガン、ワイドパンツ、全体的に大人イメージで装われているけど、足元の幅広リボンがアクセントになったヒール低めのシューズで甘さもプラスしている。
 さりげなく素敵で女のあたしだって見惚れてしまいますのに、相手がコレってやっぱりもったいなさすぎる。
 あたしはフミタカさんとか神代さん、室長と外見も中身もカッコイイ大人の男を知っているから基準が厳しくなっていると思うんだけど、まあ、この野郎だって見目だけ言うならそんなに悪くない。
 背の高さもあるし、学生時代はスポーツでもやっていたのかそれなりに身体もがっしりした感じ。あたしはここ最近、本当に鍛えた人というのはどんなものなのかを間近にしていたので、あくまでも『それなり』という評価ですけども。
 顔立ちはアイドル系っていうのかな。男らしさよりも愛嬌の良さが先にくる。
 接近したのがこんな状況でなければ、まあまあ好感を覚えるくらいには、イケてるのではないかな。
 偉そうに人様のことを述べているそーゆー自分(オマエ)はどうなんだというツッコミは今は聞かないよ!
「……お二人は、水族館はもう回られたのですか」
 あたしが頭の中で彼らの診断を下している間に、無視しても無駄だと悟りを開いたのか、このままでは膠着(こうちゃく)した状況から好転が見られないと思ったのか、営業用の対人技能を面に張り付けたフミタカさんがうすら寒い笑みで訊ねる。
「ええ、朝方に……」
 フミタカさんの表向きの社交姿勢に応じて、彼女さんがほんのり微笑んだ。それに乗っかって、あたしも会話をつなげる。
「ジンベイザメの給餌ってご覧になりました? わたしたち、時間が合わずに見逃したんですよねー」
「とても興味深いものでしたわ」
「水槽を上から観るツアーにも参加してきたけど、あれも面白かったよ!」
 お前は口を開かなくてもいい。ちょっとそれくわしく聞きたいけど、どうせなら彼女さんから聞くし、いいから黙ってろ。
「裏方などなかなか見ることはできないでしょうしね――と、失礼。まだ名乗ってもいませんでしたね。私は来生史鷹と申します」
「来生鈴鹿です」
 フミタカさんからの目配せにより、あたしは旅行先でも手放さないマイ手帳から彼の名刺とあたしの名刺を二人に差し出した。
 企業の重役という事実をどこでどう利用されるかわからないので、素性の知れない相手に知らせるなんてこと不用意にはしないのだけれど――許可が出ましたからね。フミタカさんが何を考えているのか、いくつか見当がつくし。
 彼女さんは名刺を差し出した瞬間、自然な様子で姿勢を整え受け取られたあたり、お勤め先ではそこそこの立場にいらっしゃるのだろう。あたしたちの肩書を見て目を見張った彼女は、そう思った通り、同じようにバッグから名刺ケースを出してこちらにもお返しされた。
 ――食品会社の開発部係長さんとは、若い女性なのになかなかすごい。
「ご丁寧に……私、三田敦子です」
「津野勇次です。俺名刺持ってきてないんですけど、えーと、敦子さんの部下やってます」
 新社会人かと意地悪を言いたくなる軽さで一礼する野郎に、彼女さん――敦子さんは、ちょっと苦い顔。
 旅行先だからかと思ったのに、まさか普段でもこの調子なのか……!
 常日頃あたしの間抜けさに渋い顔をしていらっしゃる先輩方に聞かれたら「お前が言うな」と突っ込まれそうだけど、言うよ!
 それで大丈夫なのか津野とやら! そしてまさかの男女逆・上司部下カップル! やっぱりもったいないー!
 まあ、個人の自由ですけどね……。うん、他人のこと言えないし……。
「こちらにお勤めですか。よく利用させていただいていますよ」
 これは嘘じゃない。彼女たちの勤める会社は食品販売だけでなく関東中心にカフェレストランをチェーン展開されているところだ。お値段はリーズナブルなものからすこし高級なものまでの品揃え、誠実な作りで、こうるさいフミタカさんがめずらしく気に入っていたりする。よくつれていってもらいました。
 とりあえずあちらの素性に対するとっかかりは手に入れたので、あたしもフミタカさんも外面笑顔を全面出しで彼らと別れるべく会話を切り上げにかかる。
 ――が、またここで奴が希望通りの反応から外れてくださった。
 津野が名刺を覗き込んで好奇心たっぷりに目を向けてくる。
「副社長さんてすごいですね! ええと、会社の名前が来生って、もしかして」
「ええ、身内の会社です。小さなものなのでお恥ずかしい」
 フミタカさんの整った顔に浮かべられた完璧な笑みは、謙遜と牽制を含んだもので、おそらく他の人ならば踏み込むことはせず、その時点でひいただろう。
 しかし彼は無邪気に「スッゲーっすね! 次期社長ってことですか! 奥さん玉の輿じゃん!」とあたしに笑顔を向けたので、フッと笑い返してやった。
「うらやましいか」
 余計な一言をつい漏らしてしまったあたしの背中をフミタカさんがつねる。
 つい。ついなの! なんかこいつ言い返したくなるんだよ!
「しかも秘書かー、社長さんと女性秘書で結婚とか、お話みたいだね」
 つねづねあたしもそう思ってるよ。作り物のようにロマンチックな展開ばかりじゃないですけどね、主にあたしのせいで。
 フミタカさんの手がまだ背中にあるのでつねられてはかなわないとお口にチャックしたまま、笑顔を保った。

読んだよ!

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