結界(一)
空気が揺れる気配にシーアはふと微睡みの淵から浮上した。
薄く開けた眼に映る月光。わずかに開けられた窓の隙間から漏れた光が、一筋の線を描く。
ぼんやりとした思考に、わずかな引っ掛かりを覚えて緩く瞬いた。
しんと冷えた外の匂い。
――昨夜、窓はしっかり閉じて眠りについたはずだ。
枕の下の短剣を握ったシーアがそれを振るうより速く、黒い影が彼女に覆い被さる。
声を上げようにも手のひらで口は塞がれ、武器を持った腕は押さえ込まれて身動き出来ない。
王女の寝所に容易く侵入を許すなど衛兵は何をしている、と腹立たしく思いながら、シーアは集中した。力をぶつけてやるために。
だが。
「――驚かせてすみません、姫」
ですから実力行使はお止めいただけますか、と知った男の声が囁いた。
リストリアの城塞は丘陵の上に築かれている。
城の眼下に広がるのは森となだらかに隆起する大地と平野。あと数時で遠く夜明けを示す太陽が地平の境から顔を出し始めるだろう。
そんな時分、日の光も届かない城の地下、暗闇に灯りを翳しながらシーアは王族と一部の者しか知らない通路に足を踏み入れた。
後について従う青年に鋭いまなざしを向ける。視線に気づいたアレイストが「まだお怒りですか」と苦笑した。
当然だ。女性の部屋に、しかも眠っているところへ先触れも許可もなく侵入してくるなど、警護の兵を呼んで斬らせても許される。彼なら笑って逃れそうだとも思うが。
だが、自分を驚かせたかっただけで忍んだわけではないとわかっているので、苛立たしい気分を飲み込み、叩き斬る想像だけで済ませる。
いつも余裕の態度を見せていた彼が、旅装を解く時間も当然彼女に払われる礼儀も捨てて現れたのだ。生半可な理由ではない。
「外出していたと聞きましたが……」
「――民もあちらの地に落ち着きましたので、お約束の件を果たそうと」
シーアは足を止める。
妹姫の結婚式を終えたあと、彼の一族が巫の地へ移り住んでしばらく。
寄越される文から読み取るところ、彼らも民もお互いの距離を計りながらなんとかやっているようだ。
一族の力が通用しない人々を前に、アレイストは対面してすぐ気づいたようだったが、愉快げな表情をしただけで一族に忠告する様子はなかった。
いまは家畜と侮っている者たちが、その裏で行動を操ろうとしていることなど、思いもしないだろう。命じたものの、シーアとてこれから続く時間の中、巫の民が彼らにとってどういった存在になるのかなど予想もできないのだ。