長編 | ナノ

 第070夜 時と闇と絶望と



『……3日と13時間30分』


私は暗闇に包まれる牢屋の中で1人、呟いた。ここに入れられてからの日数と時間だ。
ここ数か月、私は戦闘の訓練と同時にある別の修行も定期的に行なってきた。それは身体を使った経過時間の測定だ。何もしない安静な状態を保ち、脈と感覚を使って行っている。
眠っている間でもその時間を認識できるようになったのは約1か月前くらいだろうか。
さすがに緊張状態の続く戦闘時に意識を飛ばしている時間を図ることは不可能なため、ほとんど使わないが。
だが洞窟に閉じ込められた時に一番不便に思ったことが、時間が全く分からなかったことだ。同じドジを踏まないためにもこの方法を書庫で見つけた本から学び、以後修行を続けてきた。
まさか本当に役に立つ時が来るとは驚きだが、恐らくこれも集中力が切れるまでのことだろう。あと、もって2日というところか。
私は息を吐き、ふとベッドの横の椅子に置かれた食べ物を見る。


『…明白すぎ』


私は鼻で笑い、その食べ物を払いのける。
ゴロゴロッと地面に転がる皿の音を聞きながら、寝返りを打つ。
この3日間、何も食べていない。おかげで頭が回らなくなってきたため、30分ごとにこうやって口ずさむ始末だ。
だが、何が入っているかわからない食べ物は口にするべきではない。自白剤を入れられているものを不用意に食べてしまってはアウトだ。アジア支部にそんなことをする輩がいない事など十分に分かっているが、それでも他の仲間を守るためならバクは危険が及ばぬ範囲で何でもやってみせるだろう。
私だって自白するぐらいなら断食など上等だ。腹の音など、もう既に聞こえていないため、飢えはきつくてももう気にならない。
私は重い自分の両手を持ち上げる。


ジャラ…


重い鉄の音が静かな牢屋の中へと響く。ここに入れられた時に手枷を付けられたのだ。これではまるで飼い犬のようではないか。縛られてただ寝そべっていることしか出来ないのだから。
――…いや、飼い犬の方が幸せか。
ちゃんと飼い主に散歩へ連れて行ってもらえ、決まった食事と幸福を与えてもらえる。そんな時間がある飼い犬の方が、今の私よりもずっと幸せだ。
こんなことを考えて早3日。ヤケになっていないという事実がかなりの支えだ。二か月閉じ込められて平気だったのだから、三日ぐらい別にどうでもないのだが。
私はフッと笑った。
そういえばアレンはちゃんと武器化出来ただろうか。グレてやめていなければいいが。
だがリナリー達の元へと戻るためなのだから、きっと今もフォーと戦っていることだろう。
早く戻ってほしい。早く戦ってほしい。
――私の分まで、戦場で…


ギー…


『…誰』


誰かが入ってきたらしく、暗い部屋に薄く光が入る。
だがその光でさえ暗闇の中にずっといた私にとっては眩しすぎるくらいだ。
私は顔を上げ、重く開いた扉を見る。


「僕だ」


目が光に慣れてきたようで、バクの顔がようやく見れた。


「コムイに連絡を取ろうとしたが、生憎仮眠中だそうだ。安易に誰かに伝えていいことではないから、キミが幽閉されているという事実は、アジア支部内での極秘事項だ」


バクは淡々と言うが、今はそんなこと、どうだっていい。
私はジャラジャラと重い鎖を引きずりながら、鉄格子の近くに寄る。
私が幽閉されてから初めてバクは姿を見せた。
それまでここに来たのは白衣の男数名で、何時間か尋問された。怒鳴られようが諭されようが私は全く無反応だったわけだが。
おかげで聞きたいことも聞けずじまいだったのだ。


『アレンはちゃんと修行してる?武器化出来た?リナリー達から連絡は?無地に日本に着いたの?』
「待て待て。慌てるな」


バクはもとから置いてある椅子に座る。


「ウォーカーはまだ武器化は出来ていない。だがフォーと戦ってるし、戦闘は怠っていない。リナリーさん達はまだ海の上だ。日本はかなり先の地点だろう」
『そう』


取りあえず聞きたいことはそれだけだから安心した。
自然と笑みが零れる私を、バクは複雑そうに見つめてくる。


「だがウォーカーは休憩の度に必ず僕の所へ来るよ。フィーナは大丈夫か、フィーナに会わせろって」
『…そっか』


やはり心配してくれているようだ。本当に嬉しいが、それで十分だ。
私は手の鎖を持ち上げ、鉄格子を掴む。


『アレンに言っておいて。私は大丈夫だから、アレンは自分の左腕のことだけを考えてて。もう私のことは忘れていいからって』
「…分かった。だがキミを忘れろと言ってもウォーカーが了承するとは思えんな」
『…そだね』


だがアレンにはもうこれ以上の重荷を背負わせたくない。日本に向かっている仲間のことだけを考えてほしい。
もう私は、アレン達の仲間ではないのだから。


「キミは…一体何を考えてるんだ?」
『え…?』


――何を…考えている?
頭が回っていないせいだろうか、その問いを理解するのに数秒間時間を要した。
だが質問は理解出来ても、何を言いたいかということまでは分からなかった。
私は黙ったバクを見る。


「キミは教団に思い知らせると言ったな。それは何故だ」


沈黙。


「血族、というものが関係あるのか?僕達がそれを奪ったとは一体どういうことだ?」


沈黙。
バクは大きくため息をついた。


「重要なところは黙秘、というのは本当のようだな。頼むから教えてくれないか?教団を狙うキミの目的は一体なんだ?キミは伯爵の味方ではないんだろう?」


バクは真剣な顔で聞いてくる。
門の前で私と会話したとき、私を捕えたとき、そして今。バクは事務的な口調で平静を装っているが、辛いと感じているのは丸わかりだ。私をこんな形で閉じ込めているのがたまらないのだろう。
だから早く私の目的を聞きたがっている。場合によっては出してあげられるかもしれない、そう思っているから。
だが私は一切口を開かない。この3日間の尋問にも私は一切言葉を発しず、口を割らなかった。
教団を狙う目的など、言えるはずがない。たとえ口が裂けても、私の過去を誰かに語る気などない。それが教団の奴なら尚更だ。


「…じゃあ質問を変えよう。教団を狙うキミが、何故ウォーカーやリナリーさんの心配をするんだ?エクソシストは君の攻撃対象じゃないのか?」


――…対象に、決まっている。
むしろエクソシストを殺すことを一番に私は教団へ入団したのだ。本当に復讐しなければならないのはエクソシストなのだ。
だがその決意が揺らいでしまったから、私は今こうしている。逃げ出そうとして逆に捕えられてしまっている。
こんなこと、話す気はない。


「どうなんだ。キミはエクソシストを狙ってはいないのか?」
『…別に』


私はフイッと視線をそらし、吐き捨てるように言った。
それにバクはブチッと額に青筋を走らせた。


「いい加減何か話してくれ!もう3日間、閉じ込められっぱなしなんだぞ!これ以上キミをこんな目に遭わせたくはないんだ!」


キレてつい本音が出たな。
それに気付いたのか、バッとバクは自分の口を塞ぐ。
――本当は優しいくせに…
私をここへ閉じ込めたのも、ほかの仲間に危害を加えられることを防ぐため、仕方なくしたことだ。私を攻撃して捕えた、バクが一番辛かったはずだ。
私はバクの目を見、笑う。


『ありがと、バク。でも私は何も話す気はないよ。話したところであんた達がここから出すとも思えない』
「それは…っ」
『使徒はこの聖戦において貴重な存在だから私の処分は十分検討されるだろうけど…でも一番マシな処分は私の無期限の幽閉。最悪で拷問の末、処刑。どの道私がここから出られることは無い…でしょ?』


バクは黙って俯く。
入団当初は私が何をしでかそうが教団は使徒の数を守るために私を殺せない、そう思っていた。
だがここ数か月過ごしてみて分かった。教団はこれからその存在が最悪の悪影響に繋がると判断すれば、その命は惜しみもなく断ち切る。例えそれが使徒であろうとも。
目的を知られた今、私はいつ処刑されてもおかしくない立場なのだ。
ここで万が一バクが私を解放したとしても、中央庁の命で元帥やもっと上の奴らが私を捕えにやってくるだろう。
結局私に自由はない。
たとえ生きていられるとしても、死ぬまで牢獄で…――


『私は自由になりたい。縛られたくない。外に出たい』
「………」
『でも、それは叶わない。私が教団に危害を加えないっていう保証はないから。だからもう私に何を聞いても無駄だよ。私を縛るあんたらに、話すことは何もない』


私はそう言い切ると鎖を引きずって鉄格子から離れ、ベッドへと寝転がる。
もう誰と話しても無駄だ。誰に何を語っても無駄だ。
私が自由になる手段など、1つもないのだ。
私はゴロンと寝返りを打ち、バクと反対方向を向く。


『…この後私、どうなるの』
「恐らく1週間後くらいに中央庁がキミの身柄を引き取りに来る。そしたら…」
『採決の末、私の処分は決定。それまでずっと幽閉生活、か。いつまで発狂しないでいられるかな』
「……っ」
『あ、冗談だよ。私は自分を失ったり自分から命を絶つ勇気はない。何処へ行っても多分、私は私で変わらないから心配しないで』


中央庁。行ったことは無いが、あそこがどれだけ最悪なところか知っている。
そこへ行けば待っているのは今のような甘い隔離の生活ではない。光も届かなく、体の自由も一切きかない、そんな世界が待っているのだろう。
精神、病まないかな?などと呑気なことを考えている自分が不思議で仕方ない。


『聞きたいことは全部だよ。出てって』


私がそう言うとバクはしばらく黙っていたが、やがて立ち上がり、出て行った。
再び光が絶たれ、また暗闇の空間に戻る。
こんなところにいると「絶望」という言葉がより深く私の頭を掠める。もう外に出られることは無いという、そんな事実から生まれる絶望感が、再び押し寄せてくる。
この先生きていても意味はあるのだろうか、と思いたくなるが、私はアレンに言った。もう死を近くに見据えるのはやめる、と。
安易に死など選択していいものではない。たとえ絶望しかない未来でも、わずかな可能性に託して生きていかなければならない。
私は1人、皮肉気味に笑う。
ため息を吐きたくなるのを押さえ、


「……3日と14時間00分」


と、小さく呟いた。





第70夜end…



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