長編 | ナノ

 第068夜 恐れが今、



――…ウォーカー?
神田は今、アレンの事をそう呼んだ。
だが、それは明らかにおかしい。神田はアレンを一度もその名で呼んだことがない。神田がアレンを呼ぶ際は、必ず“モヤシ”だ。
ということは、こいつは神田ではない。別人だ。


『…お前、誰』
「あちゃー、バレたか」
『黙って。名乗って姿を見せろ』


思えば、こいつは神田の口調を真似ていただけで、神田としての返答は一切していない。それは私と神田の間にあったことを知らなかったからだ。私が神田に本性をバラし、教団への復讐を誓っていることを知らないからである。
だとしたらかなりまずい。教団の人間に知られてはならないことを私は今、目の前の何者かにかなり口走ってしまった。相手にとっては抽象的な説明でしかなくても、その意味は伝わってしまっているはずだ。


「擬態を解く気はねェぜ」
『だったら無理矢理にでもその化けの皮剥がしてやろうか?』
「フン…お前の化けの皮は今の時点で剥がされたがな」
『…っ』


やはりこいつは私の話の意味を理解してしまっている。私の本性がこいつにバレたのだ。
何を考えているか分からない神田はともかくとして、誰とも分からない奴にこの事が知れ、告げ口されれば私はどうなるか分からない。ここを出ることすら叶わなくなるかもしれないし、万が一脱出出来たとしても、エクソシストの耳にこの事が入ってしまうかもしれない。
もうこれ以上、誰一人として私の事を知られないためにも、殺すしかない。
私は双燐に手を伸ばす。
こいつが神田でないなら、仲間でないのなら、殺すのを躊躇う理由は何もない。私の目的を知られた今の状況では、殺す他ないのだ。


「ホント、お前は勝手だ」


神田の姿をしたそいつは言った。


「自分の目的を遂げるために教団に入ったくせに、それが出来ないと分かったら出ていく…勝手すぎると思わねェのか?」
『ハッ…誰かも分からない奴に言われても別に何とも思わないね。生憎だけど私は説教を受ける気もここに居続ける気もない』
「例えお前にその気がなくてもここを出て行かせるわけにはいかねェな」
『…あっそ』


どうやら私を大人しく行かせてくれる気はないらしい。
だがその気があろうがなかろうが、私のことを知られた以上、こいつを殺さなければならない。
ここから出て行くのを認めないということろから見て、こいつが教団側の者である事は間違いないだろうが、ただそれだけだ。いくら私がアレン達を殺せないといっても、こいつはその感情の対象外だ。
こいつなら、殺せる。
私が双燐の柄を握り、ギッと目の前の人物を睨む。


『お前は神田じゃない。だから殺す』
「神田だったら殺さねェのか?」
『そう。だって…仲間だから』


確かに私は教団に焦がれたが、この“黒の教団”に焦がれたわけでは決してない。
私の全てを奪った、教団なんて大嫌いだ。滅び、消えてなくなればいい。
私が過去を捨ててでも求めたいと思ったもの、それは仲間が…アレン達がいる世界だ。
アレン、ラビ、リナリー、神田、皆…目を閉じれば鮮明に浮かび上がる皆の顔。数か月間、教団で過ごした皆との時間。死を覚悟した瞬間ですら、走馬灯を見るようにその映像は頭の中を駆け巡った。
私は今までこの仲間に守られ、共に戦ってきた。時にはぶつかったし、時には心からこの居場所を幸せに思った。
私が手放すのが怖かったのは、この世界だけなのだ。凄惨なこの聖戦の中で、私が唯一汚れて見えなかったのは、この世界だけなのだ。
――だから、私は…
私は双燐から勢いよく鞘を抜き捨て、発動する。


『大切だった。だから、私はこの世界を捨てると決めた。もう二度と戻らない。お前を殺して、ここから出て行く』


焦がれたからこそ、捨てなくてはならない。大切だからこそ、手放さなければならない。
エクソシストとの世界を真の居場所にすることなど、私には決して許されないのだ。私には、そんな資格すらないのだ。
私は双燐を構え、地を蹴ろうとする。
だがその様子を見た相手は手のひらを前に突き出してきた。


「ちょっと待てよ。別に戦うなんて言ってねェぞ」
『…戦わない?』


私は表情を曇らせる。


『おかしなこと言うね。もしかして私が本気じゃないように見える?何なら試そうか?』
「別にそうは言ってねェよ。本気で殺すつもりだってことぐらい分かるぜ」
『分かってるなら尚更疑問だね。言っとくけど、私は説得を受ける気はないよ。何を言われても私の心には響かない』


言葉など、意味が無い。この凍てついた感情は言葉でどうにかなるようなものではない。そうであったなら私はとうに復讐から解き放たれていることだろう。
そんな簡単な事でも、単純な事でもない。
表面上の意思伝達など、今の私には不必要だ。真の憎しみを顕す言の葉など、この世には存在しない。唯一それを顕現出来るものは、戦いだけだ。


『戦い以外のものは今の私には不要だ。お前のその気がなくても私はお前を殺す』
「殺る気満々なところ悪いが、戦う気もあっさり殺されるつもりもねェよ」
『くどいねあんたも。戦わずに私を止める方法があるわけ?』


ぜひ試してもらいたいものだが。
相手は私の問いを聞き、そしてニヤリと笑った。


「あるぜ。多少手荒だけどな。――出てこいよ、バカバク」
『…っ!?』


相手が発した言葉に耳を疑い、その視線の先を負うように、私は背後に振り向いた。
私の視線の先には、バクとウォンがいた。


『……っ』


――…な、ぜ……
私は自分の表情があっという間に歪んでいくのを感じた。それは恐怖か。悲しみか。それとも絶望か…。
私は無意識に後ずさる。


『……っいつから…』


動揺とも言える呟きだった。
私の疑問にバクもウォンも、そして神田の姿をした誰かも答えない。
沈黙の中、その問いは私の判断に託されていた。
――…まさか、最初から…
私がここへ辿りついた時から、神田と思ってこいつに言葉を紡いでいたその時から、2人はいたというのか。
だとしたら全て見て、聞いていたのか。
――全部、聞かれていた…?
私の目的、私の目論みを全て。


『ぁ…あ…』


知らずのうちに声が漏れていた。
だが言葉が出ない。身体が震えだす。
この世の全てが終わったかのように思われ、もう自分が死んでしまったかのような錯覚に囚われた。
ウォンは悲しそうな表情で俯き、その隣でバクは冷静な視線で私のことを見つめていた。
だがその冷静さも今の私には冷徹さにしか思えなかった。戦闘上で敵のどんな脅威にも臆することがなかった私だったが、それはどんなものよりも恐ろしく感じた。
沈黙が、冷静さが、冷たい全てものが…怖い。


「悪いが、全部聞かせてもらった。キミは…教団を裏切る気なんだな」
『………』


バクはここ、アジア支部の支部長だ。教団の戦力を分散した1つである支部のトップであり、重要な役職だ。
そんな奴が私の目的を知ってしまった。
今まで幾度も危機は乗り越えたが、こればかりはどうすることも出来ない。もう、終わりに近いのかもしれない。
――…終わり、なのかもね。
スッと私の中から先程から心の中を覆っていた恐怖が消え去った。
開き直ったとでも言うのであろうか、先程までは怖くてまともに視線を向けられなかったものが、今では鮮明に捉えられる。それらはあまりに鮮明で、しかし実に不鮮明に感じられた。
私は、はぁ…とため息を吐く。


『…バクとウォン。2人しかいないところを見ると、私を出すつもりは最初からなかったんだ』
「その通りだ。キミがウォーカーを置いていくなんてどう考えてもおかしいだろう」


確かに、不自然すぎたかもしれない。早くここを出たい一心でいい加減な態度を取ってしまったことが仇となってしまった。それがバクの警戒心を煽ってしまったのだろう。
コムイ程まではいかないが、こいつもそれなりに頭がキレる。昨日の私の態度も含め、私が教団に対して何かを思っていることは感じ取っていたのかもしれない。そして、もしかしたら先程の時点でこうなることを分かっていたのかもしれない。
まんまと私ははめられたのだ。


「ウォーカーはキミの部屋で見つけた。まだ目は覚めていないがな。どんな理由があったとしても、キミがウォーカーに乱暴するのは予想外だったよ」
『…本当に悪いことした。全力じゃないっていっても、痛かっただろうから…』


あんなこと、するべきではなかった。乱暴などするべきではなかった。いくら不意に出会してしまったとはいえ、自然にやり過ごすべきだったのだ。
――…でも……
私は俯き、目を閉じる。
乱暴はしたくなかったが、どうしても伝えておきたかった。伝えられる時はもう二度と巡ってこないかもしないから。また後悔することになるかもしれないから。
だから、どうしても伝えたかった。


アレンが一番大切だった、と。
アレンの存在が、私の中で一番大きかったのだ、と。


別れの言葉を言ったのに、それ以降会っていいはずがない。だから気絶させたことはやむを得ない対処法だった。
私は目を開け、バクたちを見る。


『腹は手加減したけど、頭はかなり強く殴ったから、治療は念入りにお願いね』


何にしてもアレンを気絶させたことに何の意味もなくなってしまったわけだが。最後には皆、全て水の泡に終わってしまうのだ。
もしかしたらこれから私のやること、全てが無駄な結果に終わるのかもしれない。現に私が心から望んでしてきたことは全て、最低な結果に終わっているのだから。
それでもやり遂げようとがむしゃらになる私は誰よりも馬鹿で、何よりも愚かだ。
私は自分をおかしく思い、クスッと一人笑った。
その様子を表情一つ変えることなく見つめるバクと、神田の姿をした誰かと、ウォン。この場にいる全員の、私を見つめる目は同じものだった。
裏切り者を、見つめる目だった。


「フィーナ・アルノルト。キミをエクソシストから外し、この支部に隔離する」





第68夜end…



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