◎ 第066夜 犯した禁忌
赤赤赤赤赤……
見渡す限り赤色の世界。気持ち悪いほど赤色だ。
炎の赤。それはより広く…。
鮮血の赤。それはより濃く…。
また、この光景だ。赤く燃え盛る家々。灼熱の炎を身に纏ってもなお、戦い続けている人々。そしてどんどん倒れていく人々。その度に上がる悲鳴、その度に広がっていく血だまり。
もう、やめて。これ以上縛らないで。
やっと分かったんだ。まだ私は戦っていけるって。
お願いだからこれ以上、記憶に憑り付かせないで。
《…無駄…だ…》
その声と共に戦場だった空間が一瞬にして変わり、私は暗い闇の中へと立っていた。周りには何もない、ただ闇の世界だ。
《忘れ…るな……お前には必要…なんだ》
必要?
聞こえてくる声は誰だか分からない。声質そのものがないのだ。頭に響くような低い音として、それは伝わってくる。
《何故忘れる…?何故拒む…?何故…何故…?》
やめて。やめて。そんなこと分からない。あの夜…憎しみを思い出したあの夜、いくら考えてもそれは分からなかった。何故拒みたくなったのかなんて分からない。
でも、戦っていけることは分かったんだ。それで…いい。もう、それでいいはずなんだ…っ!!
《支えに…してきた…だろ……生きる、支えに…》
そうだよ。憎しみを支えに今まで生きてきた。倒れた仲間の数だけ、それは憎しみとなって今まで私の中に積み重なってきた。その憎しみを生きる理由にしてきたんだ。
復讐を、成すために…――
《じゃあ…何故拒む?何故苦しむ?》
何故…?何故、苦しいんだろう。何故過去が苦しいんだろう。
仲間が殺されたことを思い出したくないから?故郷が消え去っていくのに耐えられないから?
違う。それは、違う。もっと別に理由はある。
でも、それが分からない。何故思い出すことがこんなにも苦しいの…?今までは憎しみに変えて募らせてくれば楽だったのに…
《分から…ない?》
分からないよ。今まで自分のすべてだったものを思い出して、何故素直に受け入れられないの?この苦しみは一体何なの?自分のことなのに、分からない…
《…じゃあ…聞けばいい。聞いて…思い出せ》
私の身体は金縛りにでもあったかのように一気に締め付けられる。
後ろから誰かが覆いかぶさってくるような重さが体中に加わった。
私はそれに震えながら、耳元で誰かが息吹いたのが分かった。
《聞け…》
耳元でその声は囁き、言葉を紡ぐ。
それは次々に私の頭に流れ込む。
そして次の瞬間、私のいる世界がぐらついた。ボロボロと周り全てが崩れていく。
………ウソ…だ…
勝手に崩壊しているわけではない。私が崩壊させているのだ。
ウソ…違う。
違う!違う…!そうじゃないッッ!!
《違わ…ない。お前は…》
ぐらつきだした言葉だったが、それが途切れることは無かった。
《裏切り…者だ》
私は悲鳴を上げた。
次の瞬間、ついに私のいる空間が壊れた。
囁かれていた声が遠くなるのを感じる。
《思い出せ…本当のお前を。思い出せ…》
思い出せ…思い出せ…
その言葉は何度も私の頭の中に響く。
そして私の身体は闇の奥深くへと取り込まれ、やがて意識は遠のいた。
☆★☆
ガバッと私はベッドから飛び起きた。
夢を見ていたことは夢の中ですでに認識していたため、そのことに関してはさほど動揺はしていない。
『はぁ…は…ぁっ』
だが息がかなり上がっており、鼓動が早く、どっと汗をかいていた。
私は無理やり息を整えようと胸を押さえ、前に体を倒す。
夢の中のアイツの言葉がずっと消えずに頭の中を巡っている。
『……っ』
私は振り払うようにガバッともう一度、布団にもぐる。
だがあの声は現実に戻ったこの世界でも私の頭の中に執拗に囁いてくる。
あの声は私に囁いた。私が苦しむ理由を。
私はゆっくり、目を閉じる。
《…お前は、過去以上に今を愛しているから…
今の時間を、壊したくないからなんだ……――》
『………』
過去以上に、今を愛している…それはつまり、私が故郷の思い出よりも教団の皆と過ごす時を強く想っている、ということ。アレン達エクソシストや、教団の団員。皆と教団で過ごしている時間は、過去以上に幸せだということだ。
過去にけじめをつけ、今の幸せをかみしめる…それは人にとって最高のことだろう。過去に囚われず、今を生きていけるのだから。
だがそれは…私にとっての禁忌。
教団に復讐を誓った私が、教団での時間を愛してはならない。けじめをつけず、過去に囚われなければならない存在なのだ。愛し、生きるべき時間は今ではなく過去でなければならないのだ。
故郷よりも、今を愛してしまったら最後…復讐が、壊れてしまう。彼女の、皆の死に何もしてやれないことになってしまう。それだけは、絶対にダメだ。
彼女や皆は教団のせいで死んだ。その不条理な死に報いる者は私の他に誰がいるというのだ。私以外の誰が教団に裁きを下すというのだ。
もう、私しかいない。一族は滅びてしまったのだから、私しかその無念を晴らしてやれる存在はいない。
私がやらなくてはならない。一族に報いる復讐を…――
――だったら…
私は自分の肩を強く抱く。
『何故、過去から解き放たれたいと思ってるの…』
宿命を背負う覚悟とは裏腹に、その気持ちは私の中で暴れまわる。
もう、自由になりたい。もう、縛られたくない。そう思う理由は、皮肉に思うほど簡単だった。
あの声の言うとおり、私は今を愛してしまったから…――
これが、答えだったのだ。
アニタの店で夢を見たとき、過去を思い出したことに私は怯えた。それは私が憎しみに負け、復讐を成し遂げてしまったら、と思ったから。突然甦った憎しみに呑まれ、アレン達を殺してしまったら、と思ったからだ。
怖かったのだ。アレン達を殺すことが。今の時間が、壊れることが。
だが、結果的に私は復讐を成し遂げなかった。いくら憎しみが深くても、愛してしまっているから。憎しみよりも、ここで積み上げたものがあまりに大きすぎたのだ。
分かっていたはずだった。入団してから数か月が経ち、自分の変化に本当は気づいているはずだった。
だが、気が付きたくなかった。受け入れられることが出来なくて、拒み続けたのだ。
それでも、全て突きつけられてしまった。裏切りものだと、自覚させられてしまった。一族の裏切りに、私が走っているということに…――
『…ダメだな、もう』
もう、私はダメだ。今を、教団を愛してしまった私は裏切り者だ。
彼女はもしかしたらこのことを言いたかったのかもしれない。
戦う意味…それは、復讐。
私が復讐を忘れているということを、彼女や今の夢の中で聞こえたあの声は言いに来たのかもしれない。
確かに忘れていた。埋もれていた。それがダメだったのだ。アレン達の優しさにすがってしまったから、ダメだったのだ。
もう駄目だ、全部。
私は布団をのけ、立ち上がった。
『捨てるしかない、今を…』
ここを出ていこう。今の私に壊すことは出来ないが、捨てることなら出来る。
教団を抜けよう。ここから抜け出そう。
もう私はここにいてはならない存在だ。復讐者の私が、その対象である教団に焦がれてしまったのだから。
この気持ちが消えるまで、憎しみが再び募るまで、私は消えるべきだ。そうしないと、復讐が果たせない。
復讐は必ず成し遂げなければならない、絶対に…――
第66夜end…
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