長編 | ナノ

 第085夜 restert



「教えてください、アクマ。誰に何処へ、僕を連れてくるように言われたんですか?」


アレンはアクマに問う。
そのアクマの姿はもう、見る影もなくなっていた。私の攻撃によってその硬質な体は無残に叩き割られ、アレンによって四肢は全てもがれ、さらにベルトのようなもので突き刺されている。これこそまさに生け捕りというのに相応しいだろう。
その様子を冷ややかに傍観している私も、我ながら残酷なことをしているのかもしれない。


『さっさと吐け。時間を割かせるな』


だが、容赦するつもりなどない。こいつはアクマ。悲劇の産物。千年伯爵の造り出した、この世界を終わらせるための手下共なのだ。
私はまだ、世界を終わらせるわけにはいかなくなった。この世界を生きていかなければならなくなったから、私達を殺そうとする存在を生かしておくわけにはいかない。


「くはは…助けテくれるナら、答エルよ!」
「いいですよ。教えて?」


アレンはニコッと笑って言った。嘘だとすぐ分かった。


「そんなキ無イクセに!この道化役者!!」


実に耳障りな叫びだ。耳を塞ぎたい。


「くくくっ、ノア様だ。ティキ・ミック卿ダよ!!」


アクマは狂ったように笑い出す。


「江戸じゃ今ゴロどうなっテルかなァ!?オマえらの仲間!!あそコにハ、ミック卿以外に4人のノア様ト、伯爵様ガイル!!」
「!!」
『伯爵が、江戸に?』


千年伯爵が、エクソシストの集結する日本に姿を現した?私達の強敵である、ノアを引き連れて。
千年伯爵は、いよいよ何かを始めるつもりなのだろう。流された戯曲に踊る役者は、既に伯爵の手の内の中にいるのだ。


「アァれ〜?ヤバイんジャなイ?」
「ありがとう」


アクマは左腕の爪の先端でアクマに突き付け、ピィと軽い動作で切り裂いた。
アクマはもがき苦しむかと思ったが、私とアレンに、方舟に乗っていくように伝えた。方舟に乗れば、空間を超えて日本にいけると。まるでアクマらしくない物の言い方だった。


「―――…どうしてですか?」
「ドウシテ…?ノア様の命令ダカラダヨ。イヤ…ドウダロウナ…ナンダカネ、気分がスコクイィンダ…」


アレンが引き裂いたところから光が溢れ出す。
それは十字架であり、やがてアクマの体を全て包むと、天へと消えていった。


「おやすみ」


消えたアクマからこぼれ落ちた光を見ながら、アレンは呟いた。


「ウォーカー、フィーナ」


背後からバクが呼びかけてくる。
私とアレンは互いの顔を見合わせ、バクの方に振り向いた。
バクと視線を合わせると、私達は同時に笑った。



☆★☆



私は口で包帯をくわえながら、バクの傷にガーゼを貼る。
消毒が染みるせいでバクは少し痛がっているが、我慢しろと伝え、綺麗の包帯を巻いていく。
最後にテープで留め、処置の終了を伝えた。
傷は深いが、この程度の傷ならばすぐに治ることだろう。
バクは礼を言い、立ち上がった。


「ウォーカーはウォンと一緒に検査に行ってくれ。新しいイノセンスやキミの体に異常がないか調べなければならんからな」
「分かりました」


私は、発動が解かれたアレンの腕を見る。
見た限り、その腕には以前のような脆さも武器としての不安定さも見られない。
教団としてはちゃんと調べなくてはならないものなのだろうが、主の覚悟を受けて進化を遂げたアレンのイノセンスには、恐らく何の異常も見つからないことだろう。もちろん、主であるアレンの体にも。
問題なのは、私だ。


「それとフィーナは…ボクと一緒に来てくれ」


自分の表情が強ばるのが分かった。
また、監禁されるのあろうか。それとも即中央庁へ輸送だろうか。バクの言い方からしても、あまりいい未来は期待出来そうにない。
もう逃げ出すわけにもいかず、されども動けなくなるわけにもいかない。私は一体どうするべきなのだろう。


「バクさんしばらく2人で話しちゃダメですか?」


突然アレンが口を挟んできた。
私は少し驚き、バクとアレンを交互に見る。
アレンの頼みにバクは賛成しかねるようで、顔をしかめて頭を掻く。


「それはなぁ…」
「少しでいいんです。お願いします」


アレンの真っ直ぐな瞳がバクを真っ直ぐに捉える。
バクはしばらく考え込んでいたが、やがて気の抜けたような笑みを漏らした。


「分かった。しばらく2人で話すといい」
『…いいの?』
「結果的にキミは戻ってきて、ボク達を助けてくれた。今は信頼するとしよう」
『…ありがとう』
「ありがとうございます」


バクは頷くと、ウォンと共に部屋から出ていった。


「…さて」


アレンは近くの椅子に腰掛け、私もアレンに倣って椅子に座る。
――…話さなくちゃ。
アレンには何も告げていないのだ。話さなければならない。一番話さなければならない人なのだ。
だが、何を話していいか分からない。話していいことと、いけないこと。それらが頭の中で混在していて、うまく整理できない。何があったのか、何のためにアレンを殴り、置いていったのか。言わなければならないのに、言葉が出てこない。全てを話さなくてはならないという義務を感じながらも、未来を壊してしまうのではないかという恐怖を捨て去ることが出来ない。
明らかに口ごもった様子の私を見つめていたアレンだったが、やがておかしそうに笑った。


「ははっ…挙動不審」


挙動不審。立ち居ふるまいが怪しげで、人に不審の念を抱かせること。まさに今の私はそれで、言い返す言葉すらない。
さらに口ごもる私の反応を見てか、今度は少し呆れたような笑みをアレンは浮かべる。


「そんなに気張らなくてもいいですよ。何も聞きませんから」


私は肘掛かけからずり落ちた。
当たり前のように、アレンはスラリと言ってのけた。
私は肘を元の位置に戻し、手を横に振る。


『いやいやいや、それはないでしょ。聞かないと。アレンが一番聞かないと』
「何故ですか?何を?」
『何をって…。とぼけないでよ。言わせたいの?』
「僕を殴ったことですか?」


平然と言い放ったアレンに、私は二の句が告げなくなる。


「急にワケの分からない話をしたこと、僕を気絶させた後にフォー達と戦っていたこと、たった1人で幽閉されたこと、逃げ出したこと、そしてまた戻ってきたこと、その手にはアジア支部には持ち込まなかったはずの武器があったこと…まだ、たくさんある」


アレンは少し目を伏せながら、まるで息継ぎしない人形のように文字の羅列を唱えた。
やはりアレンには疑問だらけだ。誰よりも、アレンは知らなさすぎる。
その目を見れば分かる。知りたいと、訴えかけていることに。


「だけど、無理矢理聞き出す気はないです。話せる時になったら話して下さい」


それなのに、アレンは嘘をつく。自分の気持ちを押し殺す。
――アレンは、優しい。
どんな時でも、相手の気持ちを一番に考えてくれる。今までだってそれに幾度も救われ、幾度も私を守ってくれた。
――だけど、
私はアレンの微笑んだ顔を見る。
――今は、それが苦しい。
私は拳を握り、うつむく。


『……何で?』
「え?」
『何で……何でッ!何も問い詰めてこないのッ!?』


静かだった部屋に、私の怒声が響く。
目を見開くアレンに、私はさらに怒声を浴びせかける。


『アレンを殴ったのは誰?アレンを置いていったのは誰?今までアレンに隠し事ばかりしてきたのは誰?みんな、私でしょ!責めて問いただせばいいでしょ!怒って、許さなければいいでしょ!』
「フィーナ…」
『一番辛いくせにッ!何も話してもらえなくて、アレンが一番辛いくせにッ!』


私は荒い息で呼吸をする。
アレンが私を許してしまうなら、私は何に対して十字架を背負えばいいのだ。アレンが自分の気持ちを押し殺してしまうなら、私は誰に対して償う道を選択肢に入れればいいのだ。
アレンの優しさには今まで幾度も助けられてきたが、今回ばかりは違う。
私は、誰かの自己犠牲に救われたいと思ったことは一度もない。


『おかしいよ。責めてくれた方が、楽なのに…』


全て、私が悪いのだ。全てを背負って、分かれ道がやってくるまで歩いていこうと思って、戻ってきたのだ。
それなのに、どうして私の一番の被害者が、私を責めないのだ。
――おかし、過ぎる。
私は奥歯を鳴らし、うつむく。
そんな私に、自分を責めることを求める私に、アレンは当たり前のように言った。


「おかしくなんかないですよ、ちっとも」


顔を上げれば、私の目に映るものはいつも決まっているのだ。
アレンの、優しい笑みなのだ。


「そりゃ、僕だって知りたいですよ。当たり前じゃないですか。いきなり腹と頭殴られるんですから。流石に驚きますって」


冗談に笑うような言い方だった。現に、本当におかしそうにアレンは笑っている。
だが、すぐにその表情は真剣なものに変わった。


「でも、フィーナを責めようとは思わない。僕は怒ってもないし、フィーナが悪いなんて思ってません。何も出来なかった僕も悪いんですから」
『違う。違う、私が!』
「それに…」


アレンは私の手を取る。
冷たく冷え切った私の手をその胸へと当てた。


「フィーナが辛そうだったの、分かってたから」
『!』
「分かってたんですよ、ちゃんと。隠してたつもりでしょうけど、バレバレです」


フィーナは感情を隠すのは下手ですね。アレンはそう言って笑った。
呆然としていた私も、思わず笑ってしまった。アレンに見抜かれるほどなのだから、余程下手だということだろう。
だが、嬉しかった。分かってくれていたことが。あの時、伝わっていたことが。望んでやっていないと知っていてくれたことが、嬉しかった。
私はその場にしゃがみこむ。


『…ごめんね、アレン』


私は謝る。


『ごめん…殴って、ひどいことして…置いていったりして、ごめん』


涙が出てきそうになるが、私は何とかそれを堪え、飲み込む。
小刻みに震わせている私の肩に、アレンはそっと手を置いてきた。
私が泣けないことを、アレンは何となく感じているようだった。


「いいんですって、もう」
『…本当に、ごめん。もう逃げないから。逃げずに戦うって、決めたから。大事な二つのこと、どちらか選ぶって、決めたから…』
「じゃあ、いつでも一緒にいますよ。フィーナが辛い時、そばにいます」
『アレン…』
「その二つ、ちゃんと選べたら…いつか選ぶことが出来たら僕に話せること、みんな話して下さい」


私はゆっくり頷く。


――いつか…
いつか必ず、話す時が来る。アレンはそう信じてくれている。もちろん、私も。
だが、アレンに全てを話す時、恐らく、アレンは…――


「あ…そういえば、まだ言ってませんでしたね」
『…何を?』


アレンは私の腕を持ち上げ、立たせる。


「おかえり、フィーナ」
『!』
「これからもよろしく」


微笑むアレンに、私も同じように微笑んだ。


『…ただいま。こちらこそ、よろしくね』


私達は互いに手を重ねる。


「…何か、ちょっと照れくさいですね」
『だね。バク達のところ行こっか』


私達は部屋を出、バク達のところへと向かう。
その間、私達はたわいもない話ばかりしていた。こんな当たり前の時間がずっと続けばいいのに、強くそう思った。


私が自分の過去を明かす時がくれば、恐らく、アレンは…――
アレンは、私を…――


――それでも。
私は上を見上げ、目を閉じる。


それでも、私はこの道を歩いていく。暖かいこの時間を、今は自分の意思で生きていたい。宿命とはまた別に、今はこの時間を失いたくはない。
未来を見据えることは出来ないけれど、今はこれから自分がするべきことを選択するため、そして今の時間を守るため、どんなに辛くても、戦っていく。
決して逃げずに、戦っていく。





第85夜end…



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