◎ 第081夜 僕らの希望
《愚かな…愚かな…》
暗い闇の中、頭の中に低く暗い声が響いてきた。この声は以前も聞いたことがある。私が裏切り者だ、と宣告した、あの声だ。
《あまりに愚かな…何故、自ら闇に飛び込む?逃げ出したのに、何故?》
愚かだなんて言われる筋合いはないね。
例え他人から見て愚かなことだとしても、私自身はそうは思わない。
私は私の意思で決断した。アレンを助けると。
例えそれが闇の中だとしても、私はアレンを見殺しになんてて出来ないんだ。
《また…裏切りに、走るのか?》
確かに、裏切りだ。私のやっていること、これからやろうとしていることは全て裏切りだ。
だけどアレンを見殺しにしたらそれこそ大きな裏切りだ。
私には皆、大切なんだ。
私はこれ以上、誰かを傷つけたくはない。未来を、道を選択するその時まで、皆、私の大切な仲間なんだ。
《裏切り者め…裏切り者め…ならば、苦しむがいい。いずれやってくる苦悩に、苦しみ続けるがいい》
私は口元を釣り上げる。
――上等だ。
次の瞬間、暗闇の世界は弾け、代わりに久々に体感する空間が広がった。土に囲まれ、外界から遮断され、地下へと切り替わった、その空間が。
☆★☆
私は閉じていた目を静かに開き、暗闇から解き放たれた世界を見る。見えたのはたくさんの白だった。
小さな白が、大きな塊となって真下を移動している。そしてそれは耳障りにバラバラの叫びを上げている。
落ち着いて。早く。逃げて。助けて。助けて。
嗚呼、シロアリとはこんなにも高速で五月蝿く移動する生き物だっただろうか。こんなにも自身の恐怖を意味なく訴えかける生き物だっただろうか。
ぼんやりとする意識でそんなことを考えてもみたが、結局それがシロアリでない、何であるかはこの空間に出た時から既に分かっている。
私は空中で身を反転させ、ストッと近くの渡り梯子の手すりに着地する。
――人、だよね。
落ち着いた半眼で周囲を見渡すと、血走るのではないかと思うくらい目の見開かれた白衣の人間が、目の前でどんどんと通り過ぎていく。
声をかけようと小さく口を開くが、通り過ぎていく人間の叫び声にかき消されてしまう。
『………』
私は静かに手を出してみる。
不意に現れた手を、ある者は邪魔だと言うようによけ、またある者は目障りだとばかりに弾いていった。
そこで思う。この光景は異様だと。明らかに、矛盾していると。
助けを求めているはずなのに、誰一人目の前に差し出された手を取らない。声も聞かない。
こいつらは一体何がしたいのだろう。本当に助けを求めているのだろうか。
走っていく者の中には、見覚えのある人物もいた。かつての冷静さを失った、恐怖に歪んだ表情で私の前を絶叫しながらすり抜けていった。
私はその背中を無言で見送った。どうぞ、ご無事で。心の中でそう呟いて。
≪緊急事態発生。アクマ、支部内に侵入!!場所は北地区中心部≫
私は顔を上げ、真上でやかましく鳴り響くスピーカーを見上げる。
大体、支部内がここまで混乱しているのは、現在の状況を繰り返し通告して恐怖を煽っているこのスピーカーのせいでもあるのではないだろうか。
叫ぶことも、結果的には自身や他人の恐怖を煽るだけだというのに。
逃げているくせに、自ら恐怖を煽るその様からは何がしたいのか、本当に分からない。人間としての感性が欠落してしまっているのかもしれないが、私には分からない。
だが、今自分が何をするべきかは分かる。
こんな奴らではない。こんな馬鹿な人間共ではない。私は、助けるべき仲間を救いに来たのだ。
私は青嵐牙を片手に、渡り梯子から下の通路へと降り立つ。
『私は、助けに来た』
人ごみを縫う。波に逆らう。
『大事な人達を。誰よりも、大事な人を』
足を踏み出す。抵抗を押し返す。
『だって、今までの道の軌跡には、必ずその人がいたから』
最奥に辿り着く。足踏みを止める。
『だから、今からお前を倒しに行く』
私は顔を上げ、向こうを見る。
――この先に、いる。
大きな柱が2つ。北地区への入口だ。
向こうの方から殺伐とした気が放たれている。
殺させてくれ。そう、訴えている。人に、戦いに飢えている。
私はフッと笑う。
『いいよ。おいで。私が満たしてあげる』
一番にアレンに会って無事を確かめたかったが、仕方がない。
バクもフォーもいるのだ。きっとアレンも無事でいることだろう。
私は私で、アレンを守る手段を取らなければ。
私は1歩、柱の向こうへ踏み出そうとする。
そこで、聞き覚えのある声が耳を打った。
「フィーナ!!」
私は振り返る。途端に体当たりのようなものをくらい、体が傾ぐ。
『うぉおっ!?』
何とか大勢を立て直せば、見覚えのある三つ編みが目の前で揺れる。
蝋花が勢い良く抱きついてきたのだ。
「フィーナ…っ!」
『………蝋花』
蝋花は何か言いたそうだったが、混乱しているせいか、うまく言葉が出てこないらしい。
私は静かにその頭を撫でる。
正面を見れば、見開かれたいくつもの目が私のことを見つめていた。
その中でも、バクの顔は一際強ばっている。
「フィーナ…キミは…」
私は視線をわずかに下に傾ける。
ゆっくりと蝋花の体を離し、前に出る。
ぐったりとするフォーを背負ったバクの前で、私は止まる。そして、言う。
『助けにきた』
「フィーナ…」
『アレンを、皆を守りに来た』
私はニコッと笑う。
強ばっていたバクの表情が、心無しか安堵に染まったような気がした。
言葉が出ないような状態だった他の者も、緊張がようやく解けたのか、私に駆け寄ってくる。
「大丈夫?怪我とかは?」
『ティエドール部隊と合流してた。神田達が守ってくれたよ』
「ティエドール部隊と…?」
「フィーナ!それよりもウォーカーが…」
李佳の言葉に私はその背に乗せられるアレンにようやく視線を向ける。
アレンは何故か体中の色素が薄くなった状態で、フォーと同じようにぐったりとしていた。アクマの攻撃を食らったのだろう。
どうやら今回のアクマは稀に見る特異的な能力の持ち主のようだ。しかもレベル3なのだ、格段に能力のレベルが増しているだろう。
私は一歩、アレンの元へ歩み寄る。
頬に手を添えると、閉じられていた瞳が静かに開かれた。
「……フィ…ナ…」
アレンの表情は苦しげだった。今にも壊れてしまいそうだった。
『…また、間に合わなかったね。ごめん』
悲しさや苦しさ、悔しさや虚しさ、その全てを孕んだ笑みを、私は浮かべる。
いつもアレンが危ないときにそばにいてあげられない私は、何と無力なのだろう。助けられず、無力を思い知らされるのは今回で一体何度目なのだろう。
責めるだけで変われない自分自身にはもう、うんざりだ。
自分の表情が自嘲へと変わりつつあるのを感じる。
そこで、不意にアレンがその頬にある私の手を握ってきた。
そして、笑いかけてきた。
「無事…だったんですね…よかった…」
『アレン…』
「…ずっと…待ってたんですよ…?」
苦しげながらもアレンは笑みを向かえてくれる。私の帰りを、迎えてくれた。
やはり、ここは私の大事な大事な居場所なのだ。
『ありがとう、アレン』
――だから、守らなきゃいけないんだ。
私はアレンから離れ、バクに向き直る。
『私がアクマを抑える。アレンを頼んだ』
「待て!キミのイノセンスは北地区の研究所の中で、今、取りにはいけないんだ」
『だったら青嵐牙で戦うよ。ねじ伏せてやる』
「あのアクマはレベル3だ!イノセンスじゃなければ倒せない」
『この武器なら倒せる。知らない奴には分からない』
「知ってるから言っている!」
『何…?』
「バク様!!」
私が聞き返そうとすると、向こうからウォンが走ってきた。
「フィ、フィーナさん!?」
『あー、久々だね』
「ウォン、彼女についての説明はあとだ。報告を」
「は…はい。北地区の支部員はすべてこちらに避難しました!」
「そうか。よし!」
そう言うとバクはフォーを下ろし、自身の腕を切りつけた。
この通路を塞ぎ、北地区を隔離するという。
「召喚!」
バクが叫ぶと、2つの柱の間に岩石が生えてきた。これでアクマのいる向こう側とこちらのエリアを完全に遮断するということだろう。
私は作られた壁に手を添え、軽くさする。
『…こんな岩石、すぐに破られる。日本の障子一枚張り倒すぐらいの脆さだよ』
「そんなに脆く作ったつもりはないがな。その対策は1つだけだ。フォー!」
「よっしゃ」
バクの呼びかけにフォーはフラフラと立ち上がる。
ズン、と頭に鈍痛のようなものが走った。やっと理解したのだ。バクが、フォーが何をしようとしているのかを。
「ウォーカー」
フォーが呼びかける。
アレンはうっすらと目を開く。
「しっかりしろよ。お前、見た目より全然根性あるから大丈夫だよ。きっと発動できらぁ、がんばんな」
フォーはアレンの姿に擬態した。宙に浮き、壁の向こうへと行ってしまう。
やはり、フォーは1人でアクマと向い打つ気なのだろう。自分の身を犠牲にし、アレンが逃げる時間を稼ぐ覚悟で行くのだろう。
止めろと暴れるアレンの声を隣で聞きながら、私は拳を握る。
『その覚悟なら、私にだってある』
私はダッと駆け出す。
「フィーナ…!?」
「フィーナ!!待て、止まるんだッ」
私は青嵐牙を振り上げる。
『私ね、守るために来たの。私を助けてくれた皆を』
持ち手を握る力を強くし、勢い良く振り下ろす。
『見殺しにする気なんて、さらさらない!!』
ゴオォッを私の目の前の岩石が弾け飛ぶ。
障子1枚とまでは流石にいかなかったが、やはりアクマやエクソシストの力にかかればこれは相当脆い。
徐々に閉じていく穴に、私は転がるように入り込んだ。
「やめろおぉおぉおおおおお」
背後から響いてくるアレンの声に、私は静かに目を閉じた。
ゴォン――
岩石が完全に閉じられ、向こう側からは何も聞こえなくなった。
私はゆっくりと起き上がり、壁の向こう側を見る。
『大袈裟だな、アレンは』
私は笑って言う。
尤も、この向こう側に戻れない確率があることは、私自身が一番よく分かっているのだが。
笑みを湛えたまま立ち上がると、上の方からフォーが降りてきた。
「フィーナ、お前…」
『…そう言えば、まだ直接言ってなかったね』
私は青嵐牙を取り出し、フォーに刃を向ける。
そして、戦意を込めた笑みで笑った。
『私に自由をくれて、ありがとう。お礼に一緒に戦ってあげる』
私の言葉に、フォーは何か言いたげだった。
だが言葉に詰まり、複雑そうな顔をし、終いにはため息をついた。
「…ったく、お前だけは死んでも返さねェと、ウォーカーが泣くからな」
フォーはため息混じりに笑みを浮かべ、上を見上げる。
私もそれに続いて上を、宙に浮いているアクマを見上げた。
「追いかけようと思ったのに、つまらない」
私は青嵐牙を構える。
フォーもアレンと鍛錬していた時のように、腕を変化させ、武器化した。
「バイバーイ、バク…」
小さく、そんな声が聞こえた。
そして私は柱を蹴り、アクマの元へと向かっていった。
第81夜end…
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