長編 | ナノ

 第080夜 帰団の決意



「おい、起きろ」


神田の声が聞こえ、私はゆっくり目を開ける。もう朝か。
私は目を擦って起き上がる。


『ふぁー…よく寝た』
「そりゃよかったな」
『アンタ達のお陰。それで何、出発?』
「それもある。取り敢えずそっち見ろ」


私は首を捻って神田の指差す方を見る。そこにはハチのような体をしたアクマが私達を見下ろしていた。


『わっ!』


寝ぼけていた頭が一瞬にして覚醒し、私は素早く青嵐牙を掴み、右半身を引き下げる。


「あー、待って待って。攻撃はダメ!」


元帥は慌てて私を止め、武器を下ろさせる。


「大丈夫。このアクマ、改造アクマみたいだから」


元帥の言葉に私はきょとん、とアクマと目を合わせる。


『…改造アクマ?じゃあ、私達を運んでくれる奴?』
「ああ、そうだぜ。待たせたな」


だったらそうと早く言え。
一瞬にして緊張が緩み、私はため息を漏らす。


「随分長くかかって悪かったな。最近ノアやアクマの動きが活発化してるから動きづらくてな」
「お疲れだったね。ここに来たってことは僕達を日本まで送ってくれるのかな?」
「ああ、クロスの命令だ。だが日本はもう伯爵様の国だぜ。生きて出られる確率は限りなく低い」


アクマの声はかなり低い。本当のことなのだろう。伯爵の手足であるアクマが密集している日本国には、もう安全な場所はない。既に人間はほとんど殺されているのだろう。


「それでも向かうのか?」


ある意味試すような問いをアクマは静かに投げかけてくる。それはあまりに複雑で、しかしこの状況においては実に単純なものだった。
私は緩めていた拳を握り直し、そして、口角を釣り上げた。


『愚問だね』


振り向く3人の間を縫うように私は前に出る。


『向かってやるよ。それで戦う。皆、きっと待ってるから』


私の言葉に元帥は微笑む。


「決まりかな。行こうか、日本へ」


はい、と神田とマリは同時に返事をする。
そこでアクマは自分の背に乗るように促してくる。アクマは能力により異なるが、かなりのスピードで移動できるものが多い。どんな乗り物に乗るよりもその背に乗って移動することは明らかに上等な手段だ。
私はアクマにある凹凸に手をかけ、よじ登ろうとする。


ジリリリリリン!!


そこで、もはや聞きなれたベル音がやかましく鳴り響いた。
私達は、ほぼ同時にその音源に視線を向ける。


「…神田のゴーレムだね」


元帥が言った。神田が頷く。
突然鳴り出したのは神田の真っ黒なゴーレムだった。
神田はほんの少し躊躇ったようだったが、すぐに着信に出る。


「誰だ」


私はアクマから手を離し、会話を聞くことにする。


《オレだ。久々!》
『弥七…!』


聞こえてきた声は弥七のものだった。予想外だったが、つい嬉しくなって自分の顔が綻ぶのが分かる。
だがよく考えてみれば、この連絡は負のものである可能性が高い。弥七はここ数日間ずっとこちらに戻っていないわけだし、何かあったらゴーレムで知らせるように、私が頼んでいたのだから。
私は恐る恐る聞く。


『何か…あった?』
《…あぁ。今、レベル3が支部の中に入っていった》
『なっ…3!?何で…っ』


何故アクマがアジア支部の中に侵入するのだ。支部は門番のフォーが守っている。いくら高レベルの奴とはいえ、フォーがあっさりとアクマの侵入を許すはずがない。


『数百年支部を守ってきた門番だよ?普通に破るのは容易なことじゃない』
《確かに普通なら無理だ。だが“方舟”なら可能になるんだ》


突然出てきた聞きなれない言葉に私は顔をしかめる。


『はこ…ぶね…?』
「そう、ノアの方舟だ」


――ノアの方舟。
それはもう大昔の話だ。
かつて栄えた人類達は腐敗に満ちた世で生きていた。人を信じもしない。怠惰の中で生き、怨みや妬みを理由に殺し合い、醜く醜悪な生き様しか出来ない者達で溢れかえっていた。
どんどんと堕ちていく世を何とかすべくした神は、殺戮という手段で人類に制裁を下すことにした。
そこで神が創造したのは方舟という、巨大であり強固な箱だった。
神は人類の中で最も善良だったノアという人間と、その家族、そして世の中に存在していた動物達を1組ずつ方舟に乗せた。
そうして次の世界を創る夫婦達を乗せた船は出航し、残った生物は神によって引き起こされた洪水によって全滅した。
洪水が引き、全ての物がリセットされた世界で、方舟に乗っていた住人達は新たな世界を築いていった――と、これがノアの洪水伝説だ。


人として色々疑問に思うこと、突っ込みたいことは多々あるが、これが一般的に方舟に伝えられている伝承だ。
だが、そんなもの本当に存在するのだろうか。
ノアが方舟伝説に関係した“ノア”であることは初耳だが、そのノアは確かに、居る。
だがそんな太古の乗り物が今なお存在しているという事実はどうも疑わしい。
しかし、弥七はあるという。


《あれに乗れば空間を移動することが出来る。何処でもいけるんだ。それを使って侵入したんだろう》


神聖なる旧約聖書の伝承に出てくる方舟に空間移動機能が搭載されているという事実は本当に聞き捨てならないことだが、ここは黙殺しなければならない。
どんなに疑問があろうと一つ、言えることがあるからだ。
それはアレンが今、危険にさらされているということだ。


『…くそっ』


私は爪が食い込むまで、拳を握る。
リナリー達はアクマの巣の真只中にいるため、今すぐ向かわねばならない。
だがアレンが危なくなったのだ。恐らく私達が生きていることが何らかの原因で向こうへと伝わってしまったのだろう。アクマの狙いは仕留めそこねた私とアレン捕獲…または殺害のはずだ。
あそこには誰一人としてエクソシストがいない。アレンを守れるのは一番近くにいる、私しかいない。


「フィーナ…来るんだろ?」


弥七の問いを聞き、私は自分の拳が震えるのを感じる。
――…行って、入って、助けて…そしたら、どうなる?
また捕まって隔離されるのではないか。逃走を図ったのに再び舞い戻ったら、今度は本当に出られなくなる。
戦う道は閉ざされてしまう。これから選ぶ未来すらなくなってしまう。
やっと日本にいけるという時に、こんなことになるとは本当に予想外だった。


『どう…すればいい…?』


私は一体、何を優先させるべきなのだ。私はこれから何をするべきなのだ。
私はしゃがみ、片手で顔を覆う。


《何迷ってんだ、フィーナ》


ゴーレムから低い声が発せられる。その声は確かな怒りを帯びていた。


《戻れなくなるのを怖がってる場合じゃないんだぜ。下手したら一生会えなくなるかもしれねェんだ。助けてやれよ》
『弥…七……』
《フィーナ、お前さ…アレンに会いたかったんじゃなかったのか?》
『………』
《ずっと、会いたがってただろ》


私は俯き、今まで震えていた拳を見つめる。
そして、笑った。


『はは…はっ…』


――何考えてたんだ、私。
自分の未来が何だったというのだ。戻ることの何を恐れる必要があったのだ。
アレンは自分の未来を捨ててでも、いつも私を助けてくれたじゃないか。何よりも私を優先させて、いつも助けに来てくれたじゃないか。迷う必要など、なかったじゃないか。
私はぐっと拳を握り、顔を上げる。


『今すぐ向かう。弥七、隠れてろ』
《分かった!すぐに来いよ!》


ゴーレムの通信が切れ、私は後ろの3人、そして改造アクマに振り返る。


『…ごめん。そういうことだから、私はまだ日本にいけない。アレンを助けにいく』
「そうだね。いいよ、行ってきなさい。改造アクマくん、フィーナを先にアジア支部へ」
「まかせとけ」


改造アクマは私に乗れ、と促してくる。
私は頷き、地を蹴って一気に背中に飛び乗った。


「待てよ」


神田に不意に呼び止められ、私は顔を覗かせて下を見る。


「忘れもんだ」


神田はヒョイっと私に何か投げてくる。
見るとそれは青嵐牙で、私は慌ててそれを受け取る。青嵐牙は私以外のものには物理的な重さの影響が出る。よく投げられたものだ。
少し癪だが、感謝する。


『…ありがと。リナリーやラビ達、守ってあげて』
「ああ」


神田は珍しくまともな返事をする。
神田は何かと言いつつもかなり強い。必ず皆を守ってくれる。
私はアクマの背を軽く叩く。


『アクマ、行って!』
「分かった」


アクマは勢い良くその場から飛び上がり、羽を広げる。
そしてそのまま高速で支部の方へと向かっていった。



☆★☆



アクマの背に乗って5分弱、見覚えのある光景が私の視界を埋め尽くす。私が支部から逃走を図った際に、見た光景だ。
アクマに降下を促すと、岩陰に隠れている人間の姿の弥七の姿を確認できた。


「いたな」
『ここまででいい。あとは弥七と行くから』


私はアクマから飛び降り、近くの大岩へと着地する。


『ありがとう。戻って3人を日本へ』
「分かった。気をつけろよ」


改造アクマはビュッと上にまで飛び上がり、そのまま来た方向へ飛び立っていった。
それを確認し、私は足場に気をつけながら岩を下る。


『弥七!』
「お、来たな」


私の姿を確認すると弥七はアクマの姿に体を転換させ、私を腕に乗せる。


『弥七、アクマの入った場所は?』
「…この黒い入口だ。分かるか?」


弥七が示してみせるのは今まで見たこともない、不思議な数個の黒い多角形だった。その一番大きな多角形に57と示されている。周囲が殆ど自然で囲まれているこの地にはあまりに電子的すぎるものだ。


『57ってどういう意味?』
「ここへ通じるゲートの番号だ。この中に入ればアレン・ウォーカーのところへ行ける」


この中にアレンがいる。
侵入してまだ間もないはずだが、アクマが侵入したことで中は惨事になっていることだろう。
人間がうじゃうじゃといる場所で暴れないアクマなどまずいない。早いところ行って食い止めなければ。


『弥七、行くよ』
「…いいや、オレはいかない。お前1人だ」


弥七の返答に私は目を見開く。


『…どうして?弥七のことは私が守る。誰にも手出しさせない。だから…』
「そうじゃない。もうオレも、限界だから、さ」


弥七の体が小刻みに震えている。必死で何かを押さえ込み、耐えているような様子だった。終わりが近いことは、すぐに分かった。
――そん、な…
私は奥歯を噛み締め、弥七に触れる。


『弥七…嫌だ、壊れないでよ…』
「…悪いな。でもオレは犠牲になって死ぬんじゃない。お前の力になって死ねるんだ」
『弥七…』
「最後にお前の役に立ててよかった。行け」


ビキビキとさらに弥七の体が震え始める。もう、離れねばならない。
私は目を瞑り、頷く。


『色々ありがとう。弥七のことは忘れない。私、ちゃんと生きてみせるから』
「あぁ。オレ結構楽しかったぜ。アレン、絶対助けてやれよ」
『本当…ありがと。さよなら』


私は弥七に笑顔を向けると、黒い入口の中に青嵐牙と共に飛び込んだ。
体がどんどんと闇に吸い込まれる。





ドオォォン!


爆音が聞こえたのは、それから数秒後のことだった。
私はぐっと拳を握り、これから先の未来だけを見据え、また闇へと落ちていった。





第80夜end…



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