長編 | ナノ

 第078夜 蟠り



ガチャッと弥七が古びた木の扉を開ける。


「な…っ」


雨をよけて素早く中に入ると、最初に目に映ったのは神田の驚き顔だった。
帰りが遅いから待っていてくれたのだろう。


「どうしたんだい?キミ達」


奥から出てきた元帥は、私達の姿を見て急いで駆け寄ってくる。


「雨に打たれちまって…おかげでビショビショ…」
「そうだとしても、この子がこうなる理由が分からないよ」


元帥は私の体を弥七の背から下ろし、抱き抱える。
皆の顔が私に覗き込まれるのが分かるが、うまく瞼が開かなくてなかなか捉えられない。


「大分ぐったりしてるね。風邪ひいたとしても、ちょっと早すぎない?」
「なんか急に具合悪くなったらしくて…」
「どうしちゃったんだろうね。とりあえず休ませようか」


元帥によって私は自分の泊まる部屋へと運ばれる。
先程まではどうとも無かったのだが、帰路につく途中から段々と体から力が抜けてしまったのだ。


「医者を呼びましょうか」
「いや、いいよ。これくらいなら僕が診れるから」


さすが元帥というところか、最低限の医療的な知識はあるようだった。いや、ティエドール元帥は元々医療方面専門の知識を持っている、と誰かから聞いたような気がする。
私だって多少は知識がある方なのだが、自分自身の体の状態を診るほど今は余裕が有り余っているわけでもない。
私は自力で何とか着替えた後、すぐに元帥に体を診てもらう。
一通りの診察を終えると、元帥は顔をしかめて頭を掻く。


「うーん……栄養失調、かな」
「えっ…?」
「どういうことですか」
「僕も聞きたいよ。食事はちゃんと摂ってたはずでしょ」
『摂ってた…んで、戻してた』
「ダメだろ、それっ!!」
「静かにしなさい」


遠巻きに見守っている弥七に元帥がピシャリと注意する。


「それにしても大分痩せてるね。キミ、僕達と会う前からまともに食べてなかったでしょ」


――だって、監禁されてたもん。
自白剤が入っている可能性のあるものを容易に口にできるわけがないだろう。
だがそんな事情を話すわけにもいかず、取り敢えず水をもらう。


「んでも、オレが食べ物持ってきた時は食べてただろ?」
『あれも全部後で戻した。嘔吐したの、生まれて初めてだったからあれは驚いた』
「なるほどね…おまけに睡眠不足だ。よく今までもったものだね」


元帥は栄養剤と栄養ドリンクの2つを差し出してきた。
私はどうも、と言って受け取る。


「心身の疲れがきてるんだよ。今はゆっくり休んで疲れを取るしかない。食事は徐々にとっていけばいいから」
『…分かった。騒がせてごめん』


私は再び横になる。
それじゃあまた明日、と言って元帥は部屋から出ていった。


「行くぞ、マリ」
「ああ。私達も今日は寝ることにする。ゆっくり休め、フィーナ」
『うん、おやすみ』


神田とマリは出て行くが、締まりかけた扉がピタッと止まる。
神田が再び入ってきた。


「忘れるとこだった。おい」
『…毎回思うんだけど、私の名前って“おい”か“お前”しかないの?』
「そこに黒いマントあるだろ。フード付いてるやつだ」
『名前についての解説はなし?』
「新しく教団から届いたモンだ。明日からはこれ来て動くぞ」
『応答して』
「予備だからサイズまでは合わないだろうが、とりあえず着ろ。それと新しいゴーレムもそこに置いといた」
『だから応答し…』
「じゃあな」


バタンッ
何1つ私の問いに答えることなく、神田は出て行った。私に話しかけているはずだったのに、イマイチ存在を認識されていないような気がしてならない。


『全く…って、弥七。何で突っ立ってるの?座りなよ』
「…ああ」


弥七は珍しく遠慮気味にベッドの前にいる椅子に腰掛けた。
その顔は弥七らしくない、少し暗い顔だ。


「…何で黙ってたんだよ」
『食べられないこと?言ったところで治るとは思わなかったから』


気だるげに私は言い、腕を顔に乗せる。
確かに短時間に多くのストレスを溜め込みすぎたのかもしれない。
体からどんどん体力が奪われていくのは感じていたが、食事を受け付けないのではどうしようもなかったのだ。
私は更なる倦怠感に大きくため息を付くが、次の瞬間頭にゴツッと鈍い衝撃が加わる。
思わず飛び起きる。


『痛い!何するの!?』
「さっきも言っただろ。抱え込みすぎなんだよ。何で他人をもっと頼らねェんだ?」
『…頼ってるよ。こうやって話を聞いてもらってる。弥七のことは本当に頼ってる』
「それでも結果がこれだろうよ。力になりたいって言ったよな?」
『…そんなこと言われても、これ以上何を頼ればいいの?』


弥七には本当に助けてもらった。故郷にも帰らせてもらったし、こうやって一緒にいてくれている。
誰よりも、何よりも助けになっている存在なのに、これ以上何を望む必要があるのだろう。


「これもさっき言ったけどな、オレ結構ギリギリなわけなんだ。もう時間がないんだよ。フィーナの負担を少しでも減らせるのなら、何でもしてやるから」


そう言われても私自身、何をしてもらっていいのか全く分からない。
私が望むことは私自身でやり遂げなければならないことばかりなのだ。他人は頼れない。
それを現在進行形で説教されているということは分かっていても、こればかりはどうしようもないではないか。
困惑するばかりの私を見、弥七は呆れ気味にため息をついた。


「ここまで欲のない人間は初めてだな。ならオレが決めてやるよ」
『え…』


弥七はニカッと笑い、先程神田が置いていったマントを手に取る。
外出するつもりだろうか。


『何処行くの、弥七?』
「アジア支部」
『はっ!!?』


私は起き上がろうとするが、見越した弥七がすかさず手を前に出してきて、止められる。


「言ってたよな。アレンって奴のことが一番不安だって。ならオレが様子見てきてやるよ。中にまではさすがに入れねェけど、異常がないことだけでも確かめてきてやる」
『…いいの?体厳しいんでしょ?』
「それくらいは出来るさ。しばらく様子見て大丈夫だったらまた戻ってくる。移動手伝ってくれるアクマもすぐに送っとく」
『そう…』


弥七にあまり負担はかけたくないが、アレンの様子を見てきてくれるのはありがたい。今どうなっているか、本当に気になるのだ。何か変わったことがないことだけでも確かめてきてくれると本当に助かる。


「悪いけど新しいゴーレム持ってくな」


新品のゴーレムを起動させ、弥七は部屋の窓を開けた。
外の天気は少し荒れているらしく、風がやたらに吹いているのが分かる。
煽られた雨粒が部屋の中に少し入ってくるので、弥七は素早く窓の縁に飛び乗った。


「それじゃあ行ってくるな。ゆっくり休めよ」
『うん。あのさ…』
「ん?」
『ありがと。アレンに何かあったらすぐに連絡して』
「分かってるって」


弥七はいつも通りに笑い、バッと窓から飛び降りる。
数秒後、体を転換させた弥七が向こうへと飛んでいくのが見えた。


『…窓くらい閉めてきなよ』


1人呟き、私は仕方なく体を起こして窓を閉める。
だが弥七の優しさを改めて感じた。義務だけではない。弥七の意思で、私を助けてくれているのが分かる。
アレンに異常がないことを確かめて戻ってきたら、何かちゃんとしたお礼をしなくては。
何をしてやろうか考えているとなんだか楽しくなり、私は一人小さく笑った。


「アレン・ウォーカー…ね」


突然聞こえた声にバッと振り向くと、何故か元帥が先程まで弥七が座っていた椅子に平然と腰掛けていた。
――こいつ、いつの間に…


「僕らも彼の安否まではよく分からないけど…アジア支部にいるの?」
『…知らない』
「惚けても無駄だよ。彼はクロス部隊だよね。何でアジア市部に?」
『知らないって言ってる』


私は冷静に言い放ち、再びベッドの中に入る。


「まぁ無理には聞かないけどね。だけどキミのストレスの原因はそこにありそうだ」


私は否定も肯定もしない。
元帥は腕を組み、首をかしげる。


「もしかして、キミはアレン・ウォーカーの存在自体をストレスに思ってるんじゃないかな」


私はブチッと額に青筋を走らせ、ベッドを拳で殴る。


『五月蝿いよ。変な推論で私達の関係に侮蔑を向けるな』
「これは侮蔑じゃなくて一種の可能性だよ。キミが話さないからこうやって推論を立てるしかないんじゃないか」
『じゃあ否定しておく。アレンは一切関係ない』
「そうだとしてもアジア支部に連絡は取らせてもらうよ。あと教団本部にもね」
『だから関係ないって言…』


私は怒鳴って否定しようとするが、元帥が今までに無いくらい鋭い視線を私に向けるのを見、私は押し黙る。
それを見、元帥は落ち着いた声で言う。


「意地を張るのも大概にしなさい。個人的な問題だから強引に探るつもりはなかったけど、現に体にまで影響が出てるんだ。キミが何も話さないのなら直接確かめることにするよ」
『…くだらない。探ったところで何も分からない』
「そうは思わないけどね。キミとアレン・ウォーカーの間に何かあったのは間違いなさそうだ。キミを見てるとよく分かるよ」


元帥は視線をさらに鋭くさせ、言う。


「キミ達には今、非常に脆く錆びれた繋がりしかないということがね」


私は起き上がった。
ベッドに足を着け、腰に携えていた銃剣を抜き取り、左腕で距離を図り、殺意を一点に向ける。
そして、銃剣の刃を元帥の首に押し付けた。
鋭く冷たい私の目と、銃剣の刃が元帥を捉える。
そして一言、言う。


『…失せろ』


突然の私の行動に元帥は一向に動じていないが、そんな事に興味はない。


『教団に連絡するなら勝手にすればいい。低俗な思考を巡らすのも好きにしろ。ただしお前がこれ以上ここにいることは許さない』
「………」
『今すぐ失せろ。さもないと殺す』


元帥は相変わらず冷静な表情で私を見据えるが、以前のように見透かされている気はしない。表面上に出ているものが大き過ぎるせいで、決して奥深くまで見据えることは出来ないはずだ。人には殺意という、何より強い意思があるのだから。
自分への殺意を見せる私に何かを言おうとしたのか、元帥の口が少し開いたが、結局は何も言わない。
やがて元帥はため息をつき、椅子から立ち上がる。


「…おやすみ。体をゆっくり休めなさい」


声は、本当に優しかった。思わず殺意を解いてしまうほどだった。
そこで私はやっと、やりすぎてしまったことに気づく。


『あ…』


席を立ち、扉に手をかける元帥に声をかけようとするが、言葉が出ない。
元帥は扉を開け、すぐにパタンッと出て行ってしまった。
足音がどんどん遠ざかっていくのを確かに聴きながら、私は視線を落とす。
――…また、だ……
私は自分の周りに満ちる、言いようのない感覚を覚える。
この感覚は何度も経験している。
私が人を拒絶し、傷つけた時に、流れる空気だ。人を侮辱し、怒りを向けた時に、訪れる静寂だ。
虚無感。喪失感。何もかも、いつもと同じだ。
私は今まで持ち上げていた重い銃剣を下ろし、それを持つ手を見つめる。
恐らく元帥にも気づかれていたことだろう。ずっと、両手が震えていたということを。
私は苦笑する。


『殺すことなんて、出来ないくせに』


たとえアレン達でなくとも、殺すことなど私には出来はしないのだ。
バクとフォーと対峙したときもそうだった。
幾度も殺すと言い、意思を固めていた私だったが、結局殺す気など微塵もなかったのだ。
ただ分かって欲しかっただけなのだ。私は、ただ自由でいたいだけだということを。
それは、今であっても…
そこまで考え、私はさらに苦々しく笑う。
――…やめよう。私らしくない。
私はベッドの中に入る。
嫌なことがあったときは眠るに限る。明日のことは、明日の私がなんとかしてくれることだろう。
私は静かに目を閉じ、確実に来るであろう明日を憂鬱に思いながら眠りについた。





第78夜end…



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