◎ 第077夜 戦と兵器
「集合場所はこの宿屋。じゃ、とりあえず解散」
元帥の一声を合図に私たちはバラバラに街に繰り出した。
元帥は1人。神田とマリで一組。そして私と弥七でまた一組だ。
『やっぱいいとこだよね、中国は』
私は賑やかな街並みを見て言う。
先程私達ティエドール部隊は中国へと到達した。
ここに立ち寄ったのはちょっとした買い物と、休息のためだ。日本に向かうには心身共に万全な状態にしなくてはならない。
私は弥七と街を周り、必要なものを買い揃えることにする。
「確か神田達は全員分の最低限の食料と生活用具。んで、オレらが頼まれたのは個人の買い物だったよな」
『そだね。最初は私の買い物でいい?結構時間かかりそうだし』
「じゃあ先にフィーナのいくか。何買うんだ?」
私はいるものをメモっておいた紙を取り出し、読み上げる。
『髪紐と方位磁石と包帯と消毒液とダイバーナイフと5メートル以上の鎖と銃剣10本と飛び道具とアイスピック。あとは専門の職人のところで青嵐牙の強化を…』
「ちょっと待て待て待て」
弥七が右手を出して中断を求めてきたので、私はメモを読み上げるのを止める。
「後半色々問題あった気がするぞ」
『そう?アクマの巣に入り込むんだから色々いるんだよ』
私は地図を片手に繁華街を歩き出し、弥七は慌てて追いついてくる。
「どうしてそんなに武器ばっか買うんだ?」
『そうだなぁ…戦いに備えたいのはもちろんだけど、不安なのかも』
「不安?」
うん、と私は言い、青嵐牙を握る。
『イノセンスがないからね。一番戦い慣れてる自分の武器が手元にないから』
「ふぅん…それだけ?」
『え?』
「いや…フィーナの不安って、武器に対するものだけじゃない気がするんだよな。他にも何かあるんじゃねェの?」
鋭い指摘に私は一瞬言葉につまるが、ここには元帥もいないから話すことにする。
『そうだね。アレンが…いないから。だから不安なんだ』
「アレン?仲間か?」
『うん。もう仲間なんて思われてないかもしれないけど』
わずかにうつむき、私は笑う。
『いつも一緒にいてくれたんだ。こんな私でも、いつも隣にいてくれようとした。だから今までだって生きてこられたんだ。つい何日か前までは一緒の場所で、一緒にいたんだ』
それは幾度とないことだった。だから一番大事だった。
このことは支部から逃げ出してもずっと考えていたことだった。そして、その考えの行き着く先は、いつも一緒だ。
『それなのに、私は逃げた…。何も言わずに、置いてきた』
「………」
『最低だよ。一番大事にしなきゃいけない人を、私は裏切った』
もう戻れはしない。
教団に戻ることは決めた。何があっても、戦うことを誓った。
だが今は戻れないのだ。戻れば拘束され、日本にいけなくなる。リナリー達と合流できなくなる。
今は一刻を争うのだ。どうしても私は日本へ行かなくてはならない。
『アレンは今、壊されたイノセンスを復活させる鍛錬をしてる。私に出来るのはそれがうまくいって、一緒に日本で合流することを願うことだけ』
「なるほどなぁ…つまり、あいたくても会いにいけないっと」
『そう。それが一番不安』
私はため息をつきたくなるのを堪える。
いつも一緒にいてくれた人が一番辛い時に、私はそばにいてあげられない。
ただ1人だけ戦場へ戻るということに、罪悪感を感じて仕方がない。
「フィーナ」
弥七の声で私はハッと我に返る。
「大丈夫か?」
『大丈夫。もうこんな話やめようか。それよりもさっさと買い物しないとね』
私は笑顔をつくり、中国で評判の武器屋へと向かう。
弥七は何も言わなかったが、ちゃんとついて来てくれた。
――しっかりしないと。
弱音などらしくない。今は日本で戦い抜くことだけを考えなくてはならないのだ。
私はため息を深呼吸に変え、賑わう繁華街を歩いていった。
☆★☆
『ていうかさ、弥七』
「ん?」
調達するものがあとわずかになったところで私は弥七に聞く。
『私達ってどうやって海渡るの?弥七が背中に乗せてくれるの?』
「…いや、乗せるのはオレじゃなくて、他のアクマだ。多分近くにいるから」
『そう。何で弥七じゃないの?一緒に行くんだよね?』
弥七は複雑そうな顔をしてわずかに唸る。
「まぁ…」
弥七は何故か気まずそうに口ごもる。ここまで返答をあやふやにするなど弥七らしくない。
私は顔をしかめる。
『弥七』
「なん…のわっ!?」
私は荷物のない左手で弥七の首根っこを掴み、無理やり路地の中に引きずり込む。
本人は大いに困惑しているようだが、そんなこと知ったことではない。
私は左腕を地に叩きつけるように振り下ろし、弥七の体を地に押し付ける。
「何す…」
弥七の抗議の声が途中で止まる。
弥七の脳天に、私が先程購入したアイスピックを付きつけたからだ。
『さて…何隠してるかは知らないけど、白状しないと針突き立てるよ』
「じょ、冗談よせって」
『冗談かどうかはともかく、何かあるならさっさと吐いて。私に隠し事するってことは、あんたは元帥の命令に従わないってことだよ』
「いや、それは…」
『少なくとも今の私があんたに隠してることは何もないよ。あんたは自分だけ何かを抱え込む気?それが本当に私のためになる?』
弥七は渋い顔をしてしばらく黙っていたが、やがてお手上げとばかりに手を挙げた。
「はいはい。分かった。喋るから、まずどけ」
ようやく白状する気になったらしい。
私はアイスピックをしまい、体を起こす。
同じように弥七も起き上がり、ため息をついて自分の黒髪をわしゃわしゃと掻く。
「改造アクマってさ、その名前のとおり、改造されるだろ?だけど殺人衝動だけは、どうしても抑えられねェんだ」
『……どういうこと?』
「そのまんまの意味だよ。殺人衝動が抑えられなくなったら、直にお前のことも襲い出す」
弥七の言葉に私は目を見開く。
『……じゃあ、私のこと殺す気?』
「んなわけねぇだろ。殺人衝動が来たら、自爆するようにセットしてある。今は自分で抑えてるけど、結構ギリギリなわけ」
『自爆…!?』
それはイノセンス以外のアクマの破壊方法だ。
改造アクマの末路は、絶対的に死だというのか。
私はしばらく呆然としたが、やがて湧き上がってくる感情が私の目を鋭くさせる。
弥七の胸ぐらを掴み、近くの街灯に押し付ける。
『弥七さ、何でそんな風にケロッとしてられるの?』
「え…だって、さ…」
『自分の終わりが見えてるんだよ?それなのに何で元帥に従うの。改造されたから?役目だから?そんなのどう考えたっておかしい!』
レベル2以上のアクマには自我が与えられる。改造されれば、その意思はほぼ人と変わりない形で残る。
誰かを思い、誰かを助け、誰かのそばにいる。アクマには出来ないことを、優しいことを改造アクマは出来るのだ。
それなのに最後には破壊するように仕向けてあるなど、おかしい。
『それに、自爆じゃあんたの中に入ってる魂は救われないんだ。あんたが苦しんで、それで終わりなんだよ!』
「おい、フィーナ…」
『元帥だったらそれくらい分かってたはずでしょ!何でクロス元帥は改造アクマなんか作ったの!?こんなの、さらに深い悲劇を生む!伯爵と変わらないっ!!』
「落ち着け!!」
初めて聞く弥七の怒声にビクっと体が震える。
私はやっと冷静になり、弥七から手を離す。
『…ごめん』
「ははっ、別にいいって」
弥七は笑って私を見る。
その表情を見て思った。こんなに理不尽なことはない、と。
「フィーナが言ってることは全部正しいぜ。だけどこれは戦争なんだ。アクマに宿った自我とか、その中に入ってる魂とか、教団や元帥は構ってられねェんだよ」
『…やっぱ、最低だね。教団って』
「いや…正直、オレもそうなんだ。オレはアクマとしてただ勝手に生まれた自我だから。だからこの男の呼び出した魂がどうなるかとか、特に何も思わないんだ。オレは“弥七”じゃないんだからな」
弥七は笑っているが、私にはもう笑っているようには見えなかった。
泣いているようにしか、見えなかった。
『…そんなことが、いいたんじゃない』
「え…?」
『私は…ここにいる弥七に生きて欲しいの…!魂とか、それを呼び出した“弥七”のこととか、本当はそんなこと言いたいんじゃない。私は…私を助けてくれた、目の前の弥七に生きて欲しいの』
人じゃなくてもいい。異なった存在でもいい。
無力な私に、義務であっても力を貸してくれた、助けてくれた弥七が大切なのだ。
弥七はかなり驚いたように黙っていたが、それからははっと笑った。
「ありがとな。だけどそれは出来ない。殺人衝動が来たら、お前を殺さなきゃいけなくなる。オレはフィーナを殺したくない」
『…殺したくないなんて、アクマの吐く台詞じゃないよ』
今まで殺したいとアクマが言っているのを何度も聞いたが、それは本当なのだろうか。弥七の言葉を聞いていると、それは間違いなんじゃないかと思ってしまう。本当は殺したくない、無理やりやらされてるんだ。魂ではなくて自我がそう訴えているような気がしてしまう。
伯爵から解き放たれた弥七は本当に幸せなのだろうが、命の期限がある時点でそれは何よりも残酷極まりない。
それを分かって改造した元帥が、憎くて仕方がない。
『………私に、何か出来ることはないの?』
「出来ること?そうだなぁ…」
弥七はしばらく考えこんだが、思いついたようで私の頭にポンッと手を置いた。
「最後にお前の役に立たせてもらうこと、ぐらいだな」
『…っ』
「これはクロス・マリアンの命令なんかじゃないぜ。オレ自身の願いだ。最後に、何かお前の役に立たせてくれよ」
目の前の弥七の表情は穏やかで、優しくて、とても人間らしかった。
そこでポツ…ッと私の頬に雫が伝う。
上を見上げると、雨が降り出してきていた。
路地の向こうで人々が慌てて屋内に入っていくのが見えるが、私達は雨に打たれながらも動かなかった。
「クロスが好きな天気だ」
『そう…私も好きだよ、雨』
私は上を向いてしばらく冷たい雨を感じる。
久々の雨に心地よさを感じるが、やがて、私の膝がガクッとずおれる。
「フィーナ!」
弥七がしゃがんで手を伸ばしてくるが、私はその手を受け止めた。
「フィーナ…?」
――……暖かい…
私は弥七の手を、強く両手で包む。
『………ごめん…』
「え…?」
『ごめん。弥七…ごめん。何も、私は…』
私の言いたいことがわかったらしく、弥七は深くため息をつく。
呆れられていると思ったら、弥七はいきなり私の体を引き寄せ、自分の背に背負った。
『弥七…!』
「疲れてるんだろ。背負ってやるから今日は歩くな」
雨の降る中、弥七は私を軽々と背負って歩き始める。
大丈夫と言って降りようとしたが、それが弥七を拒絶するような感じがして、仕方なく頷いた。
『………』
私はただ、歩く振動で揺れる黒髪を眺める。もうすぐ失ってしまう存在だと思うと、胸が締め付けられるような感覚になる。
私は無言で弥七の背の服を握り、雨にうたれながらもその温もりを感じた。それはやはり人間のものだった。
それを思うと何だかたまらなくなり、私は強く弥七の服を強く握る。
「…お前本当に優しいな。ただ素直じゃないだけか」
『何…それ』
「背負いすぎだってこと。もっと他人を頼れ」
弥七はそれ以上、何も言わなかった。
決して気まずくない沈黙の時間を心地よく思いながら、私達は静かに帰路についた。
第77夜end…
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