長編 | ナノ

 第073夜 安息



歩いている途中で気付いた。


『…弥七。あんた、でかすぎ』
「今更か」


そうだ、今更だ。


『そんなにでかいと首が疲れる。見上げるこっちの身にもなって』
「どんどん見上げろ。そして敬え、奉れ」
『…この位置からだとアッパーがいいかな』
「うんやめろ。絶対やめろ」


ただの冗談だろ、と焦って手のひらを出してくる弥七。


「でもまぁ、確かにでかいか」
『アクマは皆そんなものだけどね。いっそのこと転換しちゃったら?』
「そうだな」


弥七はそう言い、自身のアクマの姿を折りたたむようにして解く。相変わらずアクマの転換は、はたから見てどんな組み換えになっているのか理解に苦しむ。
私が顔をしかめてその光景を眺めることほんの数秒、弥七が今まで立っていた場所には驚く程に綺麗な顔をした青年がいた。


「まぁこれで大分コンパクトになったろ!」


ニッと笑って伸びをする弥七を見、私は少し固まる。


『…驚いた。てっきり戯けた侍か何かと…』
「はいっ!?」


私は止めていた足を再び動かす。
続いて後を追ってくる人間の弥七は、特に侍染みた雰囲気はなく、綺麗な黒の短髪を自然に下ろし、着崩した着物をそれらしく羽織った、何処かの下町でぶらぶらしていそうな普通の青年だった。日本らしいと言えば日本らしいが、堅いイメージしか持っていない他国出身の私からしてみれば、結構意外だった。


『まぁ弥七の性格上、真面目な肩書じゃないのは容易に分かったわけだけど』
「お前にとってオレって一体どう見えてんだ…?」


疑問符を真顔で出し続ける弥七だが、私がピタッと足を止めたのと同時に弥七も止まる。


「どうした?」
『…着いた』
「へ?」


私の視線を弥七は辿るが、その瞬間、弥七の目が見開かれたのが分かった。
私達の視線の先、そこにはここの村のどの家とも比べ物にならないくらい綺麗に残されている、一件の家があった。他の家のように燃やされた様子もなければ、まともに攻撃を受けたような跡はどこにもない。滅んだ村には全くと言っていいほど相応しくない、周囲の光景に明らかに伴っていない家だった。先程の十字架の墓よりも浮いていると言えなくもないだろう。


『五分五分だったけど、当たりみたい。あいつらも考えることが古風だな』
「ごめん、何言ってるのか分かんねェんだけど。それにこの家全く…」
『外傷がない。まるでここだけ避けられたみたいに』


ま、実際そうだったんだけどね。
そう言って私は家の中に入り、その途端に懐かしい雰囲気が体を包み込む。
本当に数年ぶりだが、この感覚は身体に嫌というほどしみついている。…以前、私が心から帰還を願った場所だから。


「…ほんっとに綺麗だな」
『だね。まさかここまで変わってないなんて…』


私ですら驚いたぐらいだった。
簡素とした雰囲気の場所だが、誰かが立ち入った形跡もない。そんなもの、あったとしてもすでに消された後だろうが。


――私が戻ってくるための場所を残す必要があった。逃亡を止めて、諦めた時に戻ってくる場所が必要だった。


私はフッと笑う。


――残念だったな、鴉共。結果として私は戻らなかった。
何度も恋しんだ世界だったが、二度と取り戻せないことなど私には既に分かっていた。
帰ったところで孤独を感じるだけの世界なら、私にはこの地は微塵も必要ではなかった。
貴様らは何も分かっていなかった。分かっていないから、私に逃げ続けられたのだ。


私は心の中の毒吐きを終え、部屋の中のランプを取り、火をつける。
薄暗かった室内は炎のぼんやりとした光に包まれた。


「電気ねェの?」
『ここは自然に頼って生きる村。人工的な機械は一切ないよ』


この不安定に揺れる火によって、本を読む時は少々困ったものだが。
私はボフンッとベッドの上にダイブする。あまりに懐かしい感触にふと力が抜け、心地よく感じる。
決めた。今日はもう寝よう。寝てしまおう。


「なぁ、フィーナ」
『何―?』
「そのベッド、誰の?」


弥七は私のベッドの脇にある、もう一つのベッドを指差してきた。


『…あぁ』


言うまでもなく、そのベッドの上には誰もない。今は、誰もいないのだ。


『私、大事な人と一緒にここに住んでたの。元々私一人の家だったんだけど、無理矢理引き込んだ。だからその人の物』
「大事な人?まさか恋人か?」


弥七の表情が妙に好奇心に犯されているような子供っぽいものになる。本当にアクマか、と疑いたくなるほど、弥七の雰囲気は何処かラビに似ているように思えた。
私は弥七の言葉を鼻で笑う。


『違う。恋人じゃない。そもそも異性じゃない』


私は少し、間を開ける。


『友達だったんだよ。大事な』
「なぁんだ」


弥七はソファーにゴロンと寝転がる。期待して損した、という感じだ。
そんなに恋人であってほしかったのか。人の恋愛模様を知りたがるその様といい、やはり子供のようだ。
そういえばアジア支部の連中も人の恋愛にやたら関心を持っていたか。ここまでだと自分が単に無関心なだけなのかもしれないな、と思いながら私は軽く目を閉じる。


『でも、その子ももういない。だからここに返ってくることは二度とない』
「…あ、わりぃ」
『別にいいよ。その子と毎日ね、色々ここで喋りながら眠ったの。素直に言えなかったけど、毎日夜が楽しかったなあ…』


昔のことを思い出したせいか、思わず表情が緩んでしまう。
苦痛だらけの過去だったが、温かいものも確かにあった。
だからこそ、私は憎しみに囚われ、復讐に溺れるのだ。


「なぁ、これからどうするんだ?ずっとここに居るのか?」
『それは無理だね。追手が探すとしたらまずここだろうから』
「追手?」
『あぁ…言ってなかったか。ていうか、私が単独行動してる理由、あんた聞いてすらこなかったね』
「だって興味ねェから」
『素直でよろしい』


私は寝返りを打ち、だらんとソファーに身体を預ける弥七の方を向く。


『私さ、教団潰そうとしてるわけよ』
「はっ!!?何で!?」
『この場所をこんな風にしたのが教団だから。私の大事なものを壊したから』
「…要するに、復讐?」
『正解。でも迂闊なことにバレちゃってね。あれ以上いられなかったから、逃げ出してきた』
「かなり暗い話だな…」


弥七の声のトーンが一気に下がる。確かに暗い話だったか。


「っていうか、潰すのが目的なら何で潰さねェんだよ?バレたらバレたらで潰せばよくね?」
『…あんた、それでも元帥の使い?』
「オレは教団じゃなくて、クロスとフィーナの味方だからな」
『そこに関してはあえて何も言わないけどさ…潰そうと思っても、出来なくなった』
「何でだよ」
『………』


何故と聞かれて答えられるわけがない。教団が、皆といる場所と時間が好きで、大切なものになってしまった、という情けない話など。


「まっさかぁ、エクソシストや教団が好きになっちまったぁ…とか?」


ギクッ
私の身体が一瞬反応し、それを見た弥七が、え?と声を上げた。


「まさか…図星?」
『……うん。そのまさか』


私の言葉に弥七は少し苦い表情になる。
見た目によらずと言ったところか、弥七は何気に感がいい。


『最初は復讐のつもりで教団に入った。皆、殺すつもりで…。だけどね、過ごしていくうちにどんどん憎しみが埋もれていったの。忘れてはいない。ただ…薄れていった』


憎しみを忘れられるはずがなかった。どんなに月日が経っても逃げ続けている年月が長くても、当時の辛さはいつまで経っても変わらなかった。
だから今、動揺しているのだ。
数年間で何にも覆されることのなかった私の淀んだ感情が、たった数か月で薄れてしまったのだから。いや、薄れてしまったわけではないのかもしれない。それ以上のものが私に出来てしまった故の結果だ。


『本当に思う。私は今まで何だったんだろうって』


何のための入団で、
何のための数か月で、
何のための戦闘で、
何のための信頼で、
何のための…何のための…
――結局、何の意味もなかった。
教団で積み重ねた物全てが、何の意味も成さなくなってしまった。私が逃げ出した時点で、それは全て無意味なものとして壊れてしまった。
自分の弱さ故の結果だと思っても、虚しさを覚えずにはいられない。こうならずに済んだ道があったならば、それは一体なんだったのだろう、と。


『こんなに辛くて悲しくて虚しいだけの世界なら、死ねばいい話だよね。自分から死んだ方が楽なのかもしれない』


憎しみが辛いならば、断ち切りたいならば、無理に自分で終わらせるしかないのかもしれない。手をかける事を恐れるのならば、手をかけずに済む唯一の道を選ぶという選択肢を取るべきなのかもしれない。
恐怖なしにそれが出来れば、どんなに楽なことか…


「死ぬなんて言うなよ」


黙って私の話を聞いていた弥七が、不意に言葉を発した。
いきなり話したこともそうだが、何よりも今までのどの言葉とは比べ物にならないくらい、今の言葉が重みを帯びていたのに驚いた。
ランプの明かりだけなので弥七の表情はよく見えないが、それでも今までのようにヘラッと笑ってはいないことだけは分かった。


「自分から自分の命を絶つのはただの逃げ道だろ。何も解決しねェぞ。死んだ後も苦しむぞ」
『…弥七?』
「他にも道がないわけじゃねェんだろ。足掻いてでもいいから生きてみろよ。まずは生き抜けよ。じゃなきゃ生きられなかった奴になんて言うんだよ」
『………』


弥七の言う通りだ。死など簡単に語るものでもないし、簡単に選んでいいようなことでも決してない。
死んだ者は選択肢などなかった。絶対的な運命だった。
だが私は違う。私はまだ、選べるのだ。


『弥七』
「ん?」
『これから何処行ったらいいかも分からないし、何をするとかも正直決まってない。フリーダムだけどノープラン。多分、これから先、ろくなことがないと思う』


決していいことなどないだろう。元々そういう運命だ。私が生き伸び、皆が死んだように、決まりきった運命だ。


『それでも取り敢えず、あんたの言うとおり生きてみるよ。物は試し。取り敢えず生きてみるから』
「そっか!」


嬉しそうな声が弥七から帰ってきたのを聞き、ほっとする。
何故死に対してあんなに真剣に語ってくれたのかは分からないが、そんなことはどうでもいい。生きる決意を新たにさせてくれたのだから、それでいい。
私は今までゆらゆらと揺れていたランプを消し、布団の中にもぐる。


『さっきも言った通りノープランだけど、まぁブラブラ旅でもすることにするよ。逃げながらだけど。ついてきてくれる?』
「それがお前の力になれるんだったらオレは何処でもついてくぜ」
『ありがとう。それじゃ、おやすみ』


私は小さく笑い、目を閉じる。
明日がどうなるかも分からないし、明るい未来などは微塵も見えない。
だが夜は、昼間の出来事が嘘のように静かに更けていく。
相変わらず不安や淀みは消えないが、それでも何事もなく、安堵して眠れる夜を愛おしく思わずにはいられなかった。





第73夜end…



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