1-3.Requirement
 少女の声と同時に、犬は勢いを殺さないまま、いきなり手足が硬直したかのように床へと転がっていく。
 それきり動かないのをいいことに、私は生気を無くした犬に駆け寄り、巾着をひったくった。

 やっと、直近だった餓死の危機を回避した。
 助かった。

 荒い息に上下する肩を落ち着けようと深呼吸を繰り返していると、犬が向かっていた瓦礫の向こうから、先の声の主だろう少女が姿を現した。
 青い癖毛を自由に跳ねさせた短髪に、タイトな白いシャツとスパッツ。小柄さも相まって活動的な印象だ。
 犬だけではなく、人間までいるとは。随分、母星で聞かされた内容と違うじゃないか。

 おもむろに眺めていた私の視線に、彼女の翡翠色の双眸が交わる。

「あっ、……」
 すると、少女はしまった、というような顔をして、瓦礫の向こうへと引っ込んでしまった。
 反応が唐突すぎて、私も呆気にとられてしまう。
 しかし、このままでは何もわからないし、情報がほしい。
 出所のわからないショックを頭を振ることで払い、とりあえず私は、息を整えながら少女の後を追うことにした。

 瓦礫の向こうは一面、所々ひび割れた壁で、研究室などに使われている重い扉がひとつだけ設置されていた。
 他の場所には、道を塞ぐように瓦礫が邪魔しているので行けそうにない。
 とすれば、少女はこの扉の奥にいる、ということになる。

 扉に近づくと、それは大きさにしては静かな音を立ててゆっくりと横にスライドし、中の部屋から何かが出てきた。
 身長は私より高く、いわゆる長身痩躯の人間だ。
 腰までまっすぐに伸びた黒髪と、首に巻かれた銀チョーカーのベルトから繋がっている珍しいデザインの研究白衣をなびかせ、こちらに歩いてくる。
 私は柄にもなくうろたえてしまった。
 性別が、まるっきり分からない。
 胸こそ無いが、線のしなやかさや整った顔つきが、ちょうど男と女の中間くらいだった。そう、正にジェンダーフリーと呼ぶに相応しい。

「私の管理不届きで迷惑をかけた。申し訳ない」
 落ち着いた物腰で、眉尻を下げながらそいつは言った。声も深いが低すぎず、男女の区別が付け難い。
 それよりも、同じ言語を使用しているようで安心した。ここまで来て、やっと意思疎通ができそうだと思ったら言葉が違うとなれば、今度こそ再起不能だったかもしれない。

「い、いや、それはいいんだが」
 とりあえず返答して、私は消えた少女のことを尋ねることにした。

「少女がそっちへ行かなかったか? 青髪で背の低い」
「ああ。それは私だ」
「……え?」

 随分と聞き取りやすいイントネーションでの返答は、なにかおかしい。同じ言語で話が通じないなんてことがあるだろうか。

「あの」
「私は色々な……そうだな、アンドロイドと言えば通じるか。機体に乗り移り、動かすことができる。こちらに来てくれたなら、きっと理解できるだろう」

 ふっと笑いかけ、私の反応など意に介さず、得体のしれない人間は踵を返した。

「ちょ、ちょっと」
 流れるような所作がうらめしいと感じながら、私は謎の人物を追って中に入った。

「ーーお見事」
 入った瞬間に恐怖の声を漏らさなかったのは、褒められてもいいくらいだと思う。

 縦長の部屋に、二、四、六……十体の人型アンドロイドが、壁に沿うように鎮座していた。
 外見的特徴はバラバラで、老いた姿こそないものの、少年も青年も、成熟した女も、そして、先ほど会った青髪の少女もいた。

 奥の壁には何十枚もの旧型モニターがあり、操作パネルらしき台と貧相なパイプ椅子一脚が置いてある。
 壁や天井など、まばらに設置された液体照明が、やや暗めに保っている監視室。
 本来は警備のみに使われるような場所と推測する。間違ってもドールハウスではないだろう。生気のない人間が何人も突っ立っているなんて、コッペリアか何かか。不気味すぎる。

「さて。あなたは人間だね?」
 奥のモニターに歩きながら、謎の人物は私に話しかけてきた。

「あまりアテにならない監視解析カメラでもゲートの探知でも、個体識別スキャンが機能しなかったから、そうだと思って。あなたが入ってきた十八番ゲートは元々壊れているけれど、七番ゲートには犬が反応したから」
「ああ、確かに……」
 この人は饒舌なんだろうか。独り言も多そうだ。

「それで」
 部屋の奥に着き、ひとりでも話し続けていられそうな黒髪ロングは、床に散乱している工具を黒靴で避ける。続いて、パイプ椅子に座って長い脚を組んだ。
 ギシ、と錆びた鉄が鳴り、振り返ったペールブルーの双眸が私を見る。

「私はイラキセ。地球考古学者だ。で、あなたはさしずめ”大使”といったところかな。こちらは、主惑星級惑星数ヶ所の座標情報と、通信機器の使用を求める。そちらの要望は?」
 自己紹介も最低限に、何もかもを知ったふうに淡々と話す姿にぎょっとしたが、顔に出さないように務めた。先程は精神が揺らいでしまったが、職業上、こういうのは得意分野である。

 相手はどうやら、私の立場や目的を知っていて、おまけに滞在できる期間なども見抜いているようだ。
 知っていながら、わざわざ私に言わせることで何かを判断したいらしかった。
 なぜこうも知られているのかはわからない。しかし少なくとも、隠し事や騙ることなどはできないだろう。
 単刀直入に、簡潔にいこうではないか。

「こちらは……うん、こちらが要求するのは三つだ。一、惑星生命維持装置の停止および破壊、二、私の宇宙船の修復、三、無事に母星へ帰還する」
「承諾した」
「おい」
 私は耳を疑った。つい出てしまった本音を咳払いで誤魔化す。

「あの、ちょっと待ってください。もちろんあなたの要求に応える努力はしますが、しかし、私の要求は件数も多い上、この地球を跡形もなく消し去るというものですよ。
 周囲に知的生命体がいなさそうだから、仕方なくあなたにお訊きしているだけで、そんな、仮にも地球考古学者ともあろう人が、立場からすれば文化遺産ほどの価値があるだろうものを消滅させるという内容に、勝手かつ簡単に承諾していいんですか?」
「なに、私の仕事はとっくに終わってるよ、大使」
 私のことは大使と呼ぶことにしたらしい。
 イラキセは、悔しいが私と違ってうろたえもせず、微笑んだだけだった。

「この地球が歩んできた歴史……それこそ紀元前、エーテルが実体を欲して生成した”人という種族”が繁栄するよりも遥か昔から今に至るまでの出来事を、私は余すところなく調べ尽くした。データは別室のディスクに保存してあるから、読み込める機材さえあればどの星でも閲覧できる」
 イラキセが正面に向き直り、パネルを軽快に操作した。ピポポ、と、タッチするたびに丸い電子音が跳ねる。
 先のゲートホールや廊下などの屋内映像を流していたモニターは、一瞬のノイズのあと、屋外である灰色の大地を映しだした。どこにカメラがあったんだろうか。全く気づかなかった。

「それにね、大使。見ての通り、この星は死んでいる。私たちのような少数の存在より、何兆、何京になったかもわからない他惑星の人類を尊重するのは当然のことだし、宇宙的な視点から見て、ただ存在するだけの地球なんて邪魔でしかない。私だって、塵ほどのニュースも無いこの星を壊したくて仕方がなかった。研究成果を他の惑星に伝えるということが、それを可能にする唯一の条件と言っても過言ではなくてさ」
 だから、とイラキセは続けた。

「大使が他の惑星に、ディスクないしディスクに収めたこと、つまり、人類の起源である地球のあらゆることを伝達してくれさえすれば、私にとって、こんなに良い条件はないんだ」
「そ、そうか……」

 あなたが死ぬ、だの、地球に愛着は、だの、突っ込みたいところはたくさんあった。
 だが、こんなに潔く話されてしまっては、何も言えない。ただ、承諾に感謝することぐらいしか……うん?

 景色が変わらない筈のモニターの、そのうちひとつで、何かが動いていた。
 目を凝らしてみると、白くて大きな楕円の塊を、同じく白い可憐なワンピースを着た小さな女の子が、顔色も変えずに押している。
 ずず、ずず、と動く、それは。

「私のポット!」
「必要だから、テラコに運ばせている」
 振り返ったイラキセは、さも当然のように話した。

「いやいやいや、イラキセ、ちょっと待ってくれ。あれはすごく重いんだぞ、三トンもあるんだ。とても幼女が押せるような代物じゃない。それに、傷がつくじゃないかっ」
 私のツッコミに、博士はきょとんと小首を傾げる。

「細かなデブリの間を抜けても、かすり傷程度しか付かない硬度を持つのに?」
「買ったばかりなんだよ!」
「大丈夫だ、大使」
 音が聞こえないのは救いだったかもしれない。ああ、泥池に、どぼんって。

「テラコは優秀なAIアンドロイドだから、深夜頃には中央広場に届いている。それから状態を見たって遅くないし、大使も旅で疲れた身体を休めればいい。私の寝室だが、隣の部屋なら落盤もなく安全だよ」
「ああ……」
 ずず、ずず、と私のポットが押されていく様を眺めながら、これは本当にどうしたものか、と頭を抱えた。
 人間の容姿をしているから、人間と会話するのと同じように交流しているが、アンドロイドの機体を乗り換えるという発言や行動、人間味を感じられない思考回路、そして噛み合っているようで噛み合わない会話からするに、イラキセはやはり人間ではないのかもしれない。
 まあ、どうやら利害は一致しているから、作戦に関してこれ以上の支障は出ないと思われるし、話ができるもの自体がイラキセ以外にいない以上、信用するしかないだろう。

「大使の脱出計画については、あの宇宙船の状態を診ないと何も判断できない状況だ。中央広場に運び込まれ次第起こすから、仮眠していて構わない」
「わかった。よろしく頼みます。……あ」
 人間じゃないかもしれないイラキセなりに、人間である私に気をつかってくれているらしい。
 私は、イラキセの言うとおりに隣の部屋へと足を向けつつ、あることを思い出して尋ねてみた。

「さっきの犬は?」
「あれは私のドロイドペットだ。可愛いだろう?」



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後書き的なモノ:
 やっと主人公以外に、会話ができるキャラクターが登場しました。
 プリモルディアのキャラクターは、会話させたり一緒に行動させるのが楽しくて、好きです。



 2016.09/30


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