地下通路というものは、人間が作ったものであればどこでもあまり変わらないらしい。
差別化するならせいぜい、天井を高く取るか、交差点に噴水を置くか、アーティスティックな壁紙で装飾するか、というくらいのものだ。
しかもそれは商業施設のようなところであり、業務用通路や研究棟にいたっては、通行人がエライかエラくないかなどという、くだらない違いしかない。
つるりとしたタイルと無地の壁が、余計なことを考えるんじゃない、と脅迫しているような場所。そういうところこそが、おそらく最も機能的な通路で、だからこそ普遍的なものとなっているのだろう。
こつこつこつ。
この通路も例外ではない。
丸い容器に収まったあの液体照明が床の両端に等間隔に設置されて、ぼんやりと、いつもの無機質な碧白さに染めていることを除けば、いたって普通の業務用通路だ。
さして狭くなく、だからといって広くもなく。
人が三人ほど余裕で横並びになることができるくらいの幅で、私が通るには余裕の高さ。
しかも床は先人を倣って平らなので歩きやすい。地上とは全然違う。
地上も母星やここと同じくらいに整備されていれば、だだっ広くてもまだどうにかなりそうなのに。
こつこつこつ。
ふと気がつくと、後方の、私が落ちた地点は見えなくなっていた。
頭上からの光で明るかった着地点は、私にとって心の安全地帯だったらしい。
いざ道を行くと、足元の照明だけというのはどうにも不安だった。
鳥目でもないのに、足元と、身の回り五メートルほどしか見通しがきかない。
手元に明かりが欲しい。
こういうときこそ、原始的なランタンが効果を発揮するんだ。
まあ、照明器具なんてものは墜落いや、着陸時にどこかいってしまったけれども。
空間に響く足音というものを久しく思いながら、私は歩き続けた。
こつこつこつ。
天井を遮る無数のパイプ群を、なんとなく数えだした。
二、四、六、や、めた。多すぎる。
ぎっしりと埋め尽くすそれは、さながらジャングルか、または、そうだ、ジャングルに生息し、擬態して目立たないスネーキーの集団だ。
スネーキーは足も無いクセに、細長い身体でスルスルと音もなく近づいては、縦に割れた口で獲物を丸呑みするのだ。
ジャングルは遠方合宿訓練で何度か行ったが、行く度に二度と御免だと感じる程度には、私はジャングルが嫌いだ。
なぜ生物学者でもないのに、精神鍛錬の一環として、無毒だからとはいえスネーキーの観察レポートを書かなければならなかったんだ。
上顎下顎ではなく、左顎右顎と表記しなければいけない奇妙な生き物だったが、人間の腕ほどの太さをした群れが池にうねうねと溜まっている様子などはもう、ああ、思い出さなければよかった。
こつこつ、こつん。
「流石に、これは」
違和感に私は歩みを止めた。
長すぎる。
いくらなんでも長すぎやしないか。
これだけ歩いても、点々と連なる淡い照明は、あまりに長すぎるが故に遠くが霞んでいた。
既に一時間以上は歩いている気がする。しかしそれでも、通路はまだまだ終わる気配を見せてくれない。
ただでさえ、こうも毎日歩き続けていると昼夜以外で時間を計ることが難しいのだ。
我が家系に代々伝わるアナログ懐中時計はこの世界のどこかで紛失してしまったし、体内時計などはとっくに機能していない。
いくら厚い雲に覆われた空でも、地上であれば陽光の有無くらい理解できる。
屋内では、それすらも認識できないのだ。
不安というものは、絡みついたら抜け出すまでに時間がかかる。
一度よぎってしまえば奴らの勝ちなのだ。
つまり、私は考えてしまった。
もし、ここから出られなかったらどうしよう、などと。
そもそも星間移動ポットが動かないから惑星外に脱出することは難しいとして、でも、こんな息が詰まる場所で骨になりたくはない。
通路の先に何もなかったら、引き返して着地点の逆を行けばいい。
しかし、もし、そっちにも何も、なかったら。
そして、もしこのまま暗闇の地下で彷徨い続けることになったら、どう考えても精神が保たない。
そのうち私は発狂して、生存でも餓死でも病死でもなく、壁に頭を打ちつけたり照明の液体を飲んだり、といった奇行による自殺を選ぶに違いない。
そんなのは嫌だ、思考が正常なうちに、死に方くらいは選ばせてほしい。
ーーいちど休憩しよう。
私は通路の壁を背もたれにして、腰を下ろそうとした。
そのときだった。
私の目の前を、何かがすごい速さで通り過ぎた。
続いて、グイッと右手が引っ張られる感覚。
あまりにも突然に強く引かれたのでつい離してしまったが、私が今しがた右手に持っていたのは、生命線とも呼べるあの巾着だった。
「おい、待て、待ってくれ!」
疲れなど忘れて、私は慌てて謎の影を追いかけた。
伏線はちゃんとあったのに、生命体なんていないのだから、と気を抜いていたことが失態の原因だ。
だが、では今のアレは何だ。
自分の荒い息遣いと周期の短い靴音。
そして前方から聞こえるのは、たしったしっという地面を蹴る軽い音。
これは、そうだ、獣の足音だ。
私は走りながら、左手首に装備している端末を操作して、目の前の何かをスキャンした。
端末は直ちに対象をクローズアップし、ホログラムモニターとして映像を出力する。
映しだされたのは、なんと、犬だった。
黒ビロードの中型犬。私も母星で飼っていた、ラブラドラという品種だ。
人間の足では、とてもじゃないが追いつけない。
それでも、今走らなければ、私の餓死は確定なのだ。
餓死は、死に至るまでが地獄と聞いたことがある。
それは嫌だ。
何としても避けなければ、と思った。
急に光が目を焼く。
右腕で遮りながら、謎の影が前方の両開き扉を開けたのだと分かった。
怯まず、スピードを緩めないようにして飛び込むと、そこはゲートホールだった。
正方形の広い部屋で、通路の何倍も高い天井には一面中、例の液体が入っているようだった。
天井は、真昼のような明るさで下方を照らしている。
壁沿いには、はるか昔にあったとされる大小さまざまの金属探知機付きゲートがざっと三十機ほどが、行儀よく部屋を囲っていた。
ゲートの先には、私が通ったような通路がそれぞれ続いているのだろう。
一度止まり、息を整えながら逡巡する。
瞬間、けたたましい警告音が鳴り響いた。
右前方の一番奥、七の番号が振られた探知機ゲートが叫んでいる。
ゲートの向こうの、まだ揺れていた扉を勢い任せに蹴り開け、走った。
暗く、頼りない足元の光だけが道標だ。
それでも存在するだけ、標識も何もない地上なんかより余程マシだろう。
「ハッ、は、なめるな……!」
持久走だけは、誰よりも得意だった。
走って走って、犬の足音は遠くなるばかりだが、それでもまだ姿さえ消えなければ追いつける。
そう信じて私は走り続けるしかなかった。
光が見えた。
暗から明に変化していくグラデーションの通路を抜けると、私の肺を、ぬるくも新鮮な外気が満たした。
白と灰色の場所だ。
直径三十メートルはあるだろう太い円柱が、広く取った等間隔に位置し、高さ二百メートルはくだらない天井を、目視できないほど遠くまで支えている。
私が入った扉がある壁を上に伝ったあたりだけ、大きく歪な空が見えた。巨大な穴が開いているのだ。
本来そこを埋めていた筈の板が瓦礫となって内部に落ち、見通しを悪くしていた。
打ち捨てられた白亜のドーム。それが私の感想だった。
黒い犬は瓦礫を縫っていく。
どうやら通り道だけは、人間も通ることができるように整備されているらしい。それは幸いだった。
全力で走り続けたせいで、そろそろ限界が近づいている。なんとかして、奴を止めなければ。
大盤の瓦礫を抜け、踏み越えを繰り返すと、急に視界がひらけた。
散らばる小石が、白色系のまばらなタイルにコバルトブルーで描かれたサークルエンブレムを隠している。
エンブレムの大きさからして、メインの広場だったらしい。
犬は広場を横断し、床に突き刺さっている特に大きな瓦礫の向こうに消えようとしていた。
まずいっ……!
ーーそう思って無意識に手を伸ばした瞬間だった。
「BDnC-EIJ1-8694-noPT_CONNY、シャットダウン!」
少女特有の高く、芯のある声が静寂を切り裂いた。
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後書き的なモノ:
第二話です。
スマホ画面で、読みやすくスピーディーにするのは難しいです。
やっぱり媒体によって、書き方を変えなきゃいかんのですね。
勉強になる。が、この小説はこういうものなので、このままにしておきます。
2016.09/28
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