1-1.M on the P
 ガンッ、と、役立たずの鉄塊となった星間飛行ポットを蹴り、灰色にぬかるんだ地面にうずくまった日から、既に十日が経過していた。

 地上と激突したせいで、ナビゲーションもなく、三立方センチメートルの固形食料もほとんど泥に沈み、水の詰まっていた大きな水筒もどこかに落とした。
 極度にツイてない私が、それでもこの代わり映えのない風景の地球を彷徨わなければならないのは、壊れたポットでは母星に帰るなんてできないことや、地上に到達した作戦員が私だけであるらしいということ、そしてその任務を全うしなければならないことに由来している。
 訓練により、地図や方位スキャニングが無くても現在地を把握できることだけが幸いだった。

 困ったことがあったら周りの誰かに尋ねなさい。
 幼少の頃にはそう躾けられた私だが、今回ほどそのような教訓が意味を成さないことは今までに無かった。
 通信機器は故障しているし、そもそも人の気配など、あるワケがない。
 デブリと呼ばれる宇宙産業廃棄物に覆われた惑星、地球は、ひいじいさんが私と同じ職に就いていた程の昔にはとっくに、生命活動によるエネルギー生産が行われていない有害惑星と指定されていたのだ。

 人間はおろか、鳥も、草木も、獣も存在しない。
 オハナシのように未知の巨大生命体に食い殺されるよりはまだマシかもしれないが、少なくともこのままでは、任務を完了することすらできずに飢え死にするだろう。
 いくら、一粒飲み込むだけで、あらゆる菌やウイルス類、放射線などの人体に影響を及ぼす外的要因を遮断できる上に、一食分以上の栄養価と腹持ちがある万能な抗生物質固形食料であろうと、一口で半日分の水分を補給できる素晴らしい経口補水液であろうと、世紀末では物量がモノをいうのだ。
 私の掌ほどの大きさしかないアルミニウム箔製の巾着の中には、せいぜい三日ほどしか行動できないだろう飲食料が、広い空間の片隅で肩を寄り添わせていた。

 ずるっ。

 ほら、そんなことを考えながら歩いていたから、また足を取られて転びそうになったじゃないか。
 ああもう、先が思いやられる。

 そう。三日という期限の計算には、運良く地球から脱出できて、さらに運良く母星に帰還するまでに必要な飲食料を入れていない。
 あくまで、この惑星で生活できる限界の日数だ。

 ぬるい風が唯一、生身で外に出ている顔を撫でて吹き去った。べたべたして気持ちが悪い。
 行動に支障がない空気であった為に、ヘルメットをポットに置いてきたのが良くなかった。
 そして、私の未来を予想したかのように、私がくぐった瞬間、頭上のL字街灯が死んだ。
 遠目で見た時から、寿命僅かに点滅していたのだ。いつ事切れてもおかしくはなかっただろうし、私が通り抜けたという原因で焼ききれたわけではあるまい。ましてや、私の先行きなどとの関係なんてあるハズがない。

 もちろん私は、振り返ることをせずに歩を進めた。
 あれが、街灯が、地下から通じる微弱な電気エネルギーによって作動する機関から、街灯に使用されている液体の自発的なエネルギーを糧とする半永久機関へと変容することは、もはや確定事項だった。
 もし振り返ったならば、きっとその証拠に、今まで灯していた無機的な光から、氷のように冷ややかでいて優しげな光を落とすようになっているだろう。
 今しがた、このマイノリティはマジョリティになった。これは、この一帯では最後のマイノリティだった。

 気温によってある一定のエネルギーを生成し、生成したエネルギーを消費する為に自発的な発光を行う液体。
 私の母星でも同じようなものが利用されていたが、あくまで爆発的なエネルギーを作り出すための触媒であり、生活で使っているのエネルギーは惑星熱だった。
 母星に生きる民のルーツがひょっとしてこの地球という惑星にあるのかもしれないと考えると、未知に対する探究心が擽られるし、少々感慨深いものがある。
 だが、同時にやはり、マイノリティだった街灯と自分とリンクさせてしまう。
 私も今の街灯と同じく、生物など絶滅している、という、無のマジョリティに併合されてしまうのだろうか。
 私だけが地上に到達できたというのに、作戦を遂行するために辿り着かなければならない肝心な目的地さえ見つからないまま、クズ、役立たずという評価の烙印を押されたまま、もはやこの地上には必要のない有機栄養素として、溶けてなくなっていくのだろうか。

 ただでさえ果てしなく見えるこの大地に、不安は増すばかりだった。

 足場は泥から、錆びた鉄や平たい石のようなーーコンクリタなら母星にもあるが、なんとなく違う気がするーー瓦礫に変わっていた。摺り減った靴底がそれらを蹴るたびに細かな砂利を踏みつけて、ザリ、ガリ、と音を立てる。

 私はふと、薄い自分の影を見た。
 比較的大きく足場になっている瓦礫に混じり、白い、何かが砕けた粉のようなものが見えた。
 これは自然の石からできた粉末ではない。これこそがコンクリタと呼ばれる人工物だろうもので、おそらくは建ち並んでいた高層ビルの谷間にひっそりとあった、小さな家の壁だったものだ。
 家は、影も形もない。そして当たり前のように、ここは起伏がほとんどない。
 倒壊したビルで覆われた、退廃の大地だった。
 そんな土地で、やっと手がかりらしきものを見つけることができた。私は少量の希望に心を洗われるような心持ちになった。
 運という運を宇宙空間に捨ててきたような私でも、ポットの着地点だけはツイていたらしい。

「……、はあ……」
 しかし前方の景色を眺めて、私は、それでも先は長いのだろうと、溜息をつく。暗鬱な思考が再び、思考に粘度の高いもやをかけた。

 空が大地の鈍色を映しているのか、それとも大地が空の鏡なのか、決めかねる。とにかくどちらも沈み、のっぺりとした色をしていた。
 まるで水彩絵の具を水で溶かずに、原液で、キャンバスに塗りたくったようなべとべと加減だ。
 しかも彩度のある数色を使っていればまだ芸術性もあっただろうに、使われているのは灰色が百、黒が一、白が一、という、バランス性など皆無の無駄遣い。
 モノトーンにも程がある上に、混ざりあっていないのだからつまり何が言いたいかというと、そうだ、あの世の吹き溜まりのように汚い。あの世の吹き溜まりを見たことがない私でも、そのように汚いと言ってのけるくらいに、ばらばらでぐちゃぐちゃで、汚かった。

 いい加減に疲れてきた。
 ただでさえ若くないのに、足は泥沼に取られ、不安定な地上は起伏が激しく、それでいて時が止まっているかのように、変化というものが微塵も感じられない。

 べしゃ。

「……、……。……痛い」
 とうとう、転んだ。集中しないからこうなる。
 掠れた声。
 ろくすっぽ休息も取らずに歩き続ければ、こんなものだろう。
 ポットの中では純白に輝いていた旧式の宇宙服も、とっくのとうにドロドロだ。
 今更汚れの一つや二つが増えたところで全然気にならない。それに、アルミニウム箔製のおかげで、食料にも影響は無さそうだ。

「ーーおや」
 痛む節々を叱咤しながら滑る足場に立つと、転ぶ前と後で景色が変わっていた。
 さっきまでは曇天の下、ほの明るくて開放感しかない場所にいたのに、今はどうだ。奥の見えない暗い通路が、長く正面に続いているではないか。
 頭上には、破裂したパイプの群れと割れた空洞から白と灰色の空が覗いていた。空洞を切り取る枠からは、泥水がぽたぽたと滴り落ちている。

 地階に落ちたのか。ようやく私は、状況を理解した。

 纏っている宇宙服、といっても、少しごついボブジャケットのようなものだが、これは衝撃を吸収するスグレモノだ。
 無重力遊泳に慣れていると、落下のGは慣れすぎて分かりづらい。
 だから、すぐに気づかなかったのも無理は、ない。
 よし、そう考えることにしよう。
 断じて私が鈍いわけではない。

 そういえば、足元には落ちた滴で作られた水溜まりこそあれど、瓦礫は無い。
 穴は私が来る前から空いていたが、風化で瓦礫は無くならない。

 つまり、知能を持った何かがこの辺りに住んでいる、ということだろうか。

 とにかく。
 とりあえずこの場所は、目的のブツがある施設に続く道か、既に施設内なのか、ネガティブに考えると全く別の建物なのかはわからないが、任務に進展があったことには間違いない。

「天の、ラコグリャンの、云うとおり。なのなのな」
 こういうときは神頼みだ。後ろか前か、どちらに進むか迷ったが、程なくして私は前方に歩を進めた。



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後書き的なモノ:
 数年前に描いたSF(スコシフシギ)を、急に自サイトにUPしたくなり、UPすることにしました。
 掌編よりは短編に近いですが、長編より短い、中編的な何かだと思っていただければいいと思います。
 ガチ小説だけれど、読みやすいよう意識はしていたハズ……今の私でも読めるし。
 もしよければ、感想などをTwitter宛に書いていただけたら、狂喜乱舞して泥の海に沈むと思いますので、どうぞよろしくお願いいたします。



 2016.09/27


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