2-3.追う者、負う者、おわれる者



「マスターの庭を荒らす人間を確認しました。排除していいですか、マスター?」
 女は、立ち昇る煙の中、艶やかな声で静かに話した。
 しかしその目は、私を見ているようで見ていない。独り言にしては、マスター、と対象はいるようだが、辺りにはタンクの後ろ、衝撃とは反対側の位置に回りこんで息を潜めるハジメしかいない。

 これは確かに、マズい。

「マスター、ああ、マスター。貴方の為に、貴方のお役に立てますことは至上の喜び。愛していますマスター、排除、排除します。ターゲット、前方の人間。ロックオンしました。排除します、排除しますーー」

 私は咄嗟に駆け出した。
 視界の端を景色が流れ出す。

 マズい。非常にマズい。
 整った身だしなみだが、アレは壊れている。
 今までに会ったアンドロイドとは違う、狂気に支配されている者の顔だった。エプロンをしているということは、庭師か何かだろうか。

 後方で、本来は杭を打つだけの用途であるハンマーが、ブン、ブン、と植物を薙ぎ払っている。
 ハンマーでも自分の周りでも鳴る空を切る音が、強く焦燥を煽った。

「マスターの庭なら、君が暴れて散らかした花はどうなるんだ!」
 ダメ元で交渉を試みようと、走りながら声を張ってみる。

「貴方様を排除したのちに私が修復すればいいのです」
「本末顛倒じゃないか!」
「マスターの庭を荒らす貴方様に言われたくはありません」
「確かにっ」

 交渉決裂。駄目だ、とても話が通じない。
 そういえば、ハジメは大丈夫だろうか。視線だけで探すと、
「あ、あいつ!」
信じられないことに、ハジメはなんと私とは真逆の方向に走っていた。
 もしかして、私を囮にして逃げたのか。

「ああもう、どうにでもなれ……!」
 怒りが湧いてくるが、それよりも今は、一メートル級の鉄塊がついたハンマーを片手で振り回す怪力女から逃げるのが先決だ。
 どうして、地球の女はどいつもこいつも馬鹿力なんだ!

 蹴散らされる青薔薇の庭を抜け、道を挟んだ先の虹薔薇の庭を突っ切る。
 自分の背丈程の細い木の横を走り抜けると、葉先のトゲに右頬を切られた。毒は無いと思うが、無事に中央広場に辿りつけたならすぐさま、愛しの固形食料を食べなければいけない。

「待ちなさい、人間、待ちなさい、止まれ」
「誰が止まってやるものか! 君が追いかけるのをやめたら私は……やっぱり逃げる!」
「マスターの青薔薇を返せ、人間!」

 黄薔薇、赤薔薇と過ぎ、いよいよ女が声を荒らげだしたところで、私はやっと壁際に辿り着いて通路の扉に体当りした。
 飛び込む勢いで走り続ける間、心から、自動やスライド系の扉じゃないことに感謝した。
 もし仮にそうだったなら、追いつかれて扉に赤い液体がぶちまけられたことだろう。ああ、想像するんじゃなかった。背中を冷や汗が伝う。

 犬を追いかけたり、女に追いかけられたり、ロクな任務じゃない。どうせなら母星で追いかけられたかった。いや、やっぱりまともな女じゃなきゃ嫌だ。馬鹿か私は。

 肝心のガイドには私を囮にして逃げられるし、燃料タンクは庭に置き去りだしで、中央広場から今までの数時間は無駄でしかなかった。
 しかも今現在、私は物理的な命の危機にさらされている。
 足を止めたら、転んだら最後、怒り狂った女の凶器が私の頭部を吹き飛ばすだろう。

 通路の碧い照明が線に見える。
 命がけも命がけだ。
 私は息を乱し始めているのに、後ろの女は無表情で追ってくる。
 怖い、怖すぎる。こんなのは映画だけで十分だ。監督よ、早くあの女の時限爆弾を作動させて自爆オチにしてくれ、今すぐ!

 突然ピピッと左手首の端末が鳴った。
 こんな時に通信とはタイミングが悪い、というか誰だ。
 私の他に地球に到達した生き残りだろうか。
 いやいや、この端末もポットと同じく通信機能が壊れていたはずだ。
 ええいっ考えている暇はない。出てしまえ。

「誰だ馬鹿者、取り込み中だ!」
『イラキセだ。大使で合っているな?』
「どうして」
『あなたが寝ている間に弄らせてもらった。それより』

 いつの間に直したんだ。いや、そんなことはどうでもいい。
 今はイラキセーー最初に出会った少女の声だーーの話を聞こう。
 左耳の奥に装備した極小のスピーカーから、クリアな音声が聞こえてくる。

『ハジメから連絡を受けた。彼も私の指示で行動している、安心してくれ。
 今からあなたを合流地点まで誘導する。私が言う通りに動いてほしい。できるか?』
「ああ、了解したっ」
『ありがとう。まずは右だ』

 今までと同じこの形態の通路でも、分岐点は存在しているらしい。
 後ろの呪言を聞き流しながら、程なくして現れたT字路を右に曲がった。

『次は左だ。大使、大丈夫か?』
「まだ、いけるぞ」
『心強い。次は右、その次も右だ』
「了解!」

 私の行動が見えているかのように的確な指示。
 イラキセは例のモニタールームで、私の居場所を特定して誘導しているようだ。
 こちらこそ、頼りになる。

『今度こそ本当に詫びよう。私の認識不足だった。まさか、まだEIが残っていたとは』
「EI?」
『エモーショナル・インテリジェンス。AI……通常の人工知能と違い、人間と同等の感情表現が可能なプログラムの総称だよ。テラコはAI、いま大使を追っているアンドロイドはEIだ』
「アンドロイドの感情表現はっ、随分と、激しいんだなっ」

 イラキセの説明をBGMに、私は突き当りを右に曲がった。

『EIは、例外を除いて一人の人間と恋愛感情で関連付けされる。
 これは人間に害を及ぼさないための処置だが、そのプログラムの実行中に関連付けされた人間が死ぬと、EI自体が暴走するという欠点があるんだ。
 西暦三五一八年、今から約一万二千年前に人類が核で絶滅した当時は、関連付けプログラムを解除する余裕など微塵も無かった。EIは思考が混乱し、感情も暴走したまま、主のいない地球に生き続けることを余儀なくされてしまった』

「……、なんと、勝手な」
 先ほどの指示通り、右に曲がる。

 人間が人間を作ったようなものだった。
 腹を痛めずに、自益だけを考えて作られたEI。人間は、作り、生まれた人格を利用し、それらの末路など考えもせずに、人類の永久的繁栄を確信して揺るがなかったのだろう。
 自分が死ぬならプログラムを解除すればいい。それも面倒であればスクラップにしてしまえ。いや、主は、自分が生きていても飽きれば処分してしまっただろう。
 だから、他の抑制プログラムを考えなかったし、自動解除のプログラムを組み込む手間を省いた。半永久的に存在し続けるEIも、所詮は機械なのだと侮って使用していたから。

 確かに、現在の宇宙主惑星にもアンドロイドは存在する。
 ここでいうEIのように、自由な感情表現が可能で、社会に貢献したり、たまに事件も起こしたりするけれど、戸籍登録の義務を設けられている立派な存在だ。
 間違ってもこんな、奴隷のような使い捨てる扱い方ではなかった。

 そうか、私は今、人間が創った人間に追われているのだ。
 その理由が不条理なものであれ、いかなるものであれ、EIの激情はやはり人間にぶつけられて然るべきなのかもしれない。

 ーーそれでも私は、人間のエゴで廃墟と化したこの惑星を、同じく人間のエゴで消去しなければならない。
 私は、背後の呪詛を受け止めずに流すしかなかった。

 直線が続く中しばし無言だったイラキセは、短い溜息をついた。

『残念ながら、それが人類の末路だよ。いくら究極的に突き詰めたところで、肉体を持っている以上は欲と意識を切り離せないしね。論文は結局未完成のままだったな……』

 そこは左、という少女のナビに従って、ドリフトをかましながら十字路を曲がる。
 驚いた。
 なぜなら、イラキセの言葉に、感情めいたものが混ざったような気がしたから。

「イラキセ、君は、君の本職は、きっと違ったろうに」
『ふむ、何だと思う?』
「そうだな……ええと」

 答えようと口を開いた瞬間だった。
 耳の奥に、石壁を爆砕するような破壊音が放たれた。

『く……こっちにもだと。あっ、テラコ! だめ、行ってはーー!!』
 常に冷静なイラキセからは想像もつかない焦燥と、至近距離の金属音。
 そして、つんざくような悲鳴。

 ーー通信が、途切れた。



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後書き的なモノ:
 狂った人型を書くのは好きですが、描写がニガテです。



 2016.10/11


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