2-2.アフロディテガーデン

 思わず息と歩みを止めていた私も、少し間を置いてから後に続く。
 私たちが行くのは、フロアの中央を突っ切る、直線の太い道だ。ここから細い道が派生して別の太い道に繋がっている。

 あれだけ通路ではしゃべり通しだったこいつも、今しがたのやりとりが堪えたのか無言だ。
 私は敢えてとっつきにくい空気を醸し出しながら、久しぶりに肌で感じる有機的なニセ生命の息吹を横目で鑑賞した。

 庭毎に植物の種類は違うようだが、ある一定の範囲で雰囲気の傾向が統一されているらしい。
 ホワイトとピンクの可憐な庭から始まり、奥へ進むに従って、主役の色がホワイトアンドヴァイオレット、ホワイトアンドブルー、オレンジアンドイエロー、などというふうに少しずつ変化していく。
 左手首の端末でこっそりスキャンキャプチャして拡大してみると、葉脈や細胞の一つ一つまで、職人芸と言えるような、精巧な作りをしていた。

 ふよふよと花に寄る瑠璃色の蝶を目で追いながら考える。
 この場所が、また、これら全てが本物ではないことは、母星にも同じようなものがあるから理解できる。
 だが、母星と地球では沸き上がる感覚が違いすぎるのだ。
 作り物でもこんなに心を安らげることができるなんて、母星では到底考えつかなかった。

 庭を形作る技術はどの星よりも素晴らしいものだろうし、鑑賞物として非常に優れている。
 しかし何よりも私が感動しているのは、生の快感だった。
 もちろんこの場所あってこそではあるが、退廃の土地を歩き続けてきたからこそ得られたものだ。こんな任務でも、半生で一番の感動を経験できて良かったと思う。

 心中で頷きながら情報の収集に神経を戻すと、現在地はレッドとオレンジのエリアを過ぎた辺りだった。
 ふと、遠くにそびえる何かが目に留まる。

「あれはなんだ」
「あれって?」
「正面に見えてきた、あれは……木か」

 ハジメとの間は色調と花の品種の変化だけで十分まかなえていたが、ちょうどそろそろ別の刺激が欲しいところだった。

「あれは林檎の木だよ。この空間、アフロディテガーデンの、ちょっとした休憩所みたいなもん。おれたちが目指してるのもアソコ」
「そうだったのか」

 段々と近づくハジメいわく休憩所は、木製のベンチなども設置されていて、公園の一角のような雰囲気を醸し出している。
 その中央に伸びた太い幹と、生い茂る葉。
 人工的なシステムで吹く風を受けて、たくさんの葉が鳴らすザワザワという音で、まるで私たちを歓迎してくれているかのようだった。

 ようこそ素敵な庭へ。不思議な庭へ。
 綺麗でしょう、この庭たちはみんな、あなた方の来訪を心待ちにしていたのですよ。
 聞こえますか。みんな、歓喜の歌を歌っております。それでね、あなた。

『どうぞ、おひとつ林檎はいかが?』
「うわっ空耳じゃなかったのか!?」
「そうだよ、やっぱりニブいんだなおっさんは。この木は作り物だし、案内板の役もやってるんだ」

 近づくにつれて何か聞こえてきたとは思っていたんだが、まさか林檎の木自体が話していたとは思わなかった。
 顔がないので、どこから聞こえてくるかはわからない。一体なんのテーマパークだ。

 木の側まで来ると、ぼと、と芝生に林檎が落ちた。
 拾い上げたソレは、丸くて赤くて艷やかで、感触も香りも正に林檎そのものである。
 しかし、久しぶりの果実だというのにやけに作り物めいた違和感が強く、とてもじゃないが口にするような勇気は出なかった。

「食べてもいいけど死ぬよ。汚染物質まみれだからな」
「見知らぬ人にもらった食べ物は食べてはならないと教育されているから食べはしない」
「それ、テラコが言うんならおかしくないけどさあ……じゃなくて。ええと、確かこの辺に」

 この林檎は半永久的に腐らないらしいが、いくら母星でも、数千年を越えられるような防腐技術は存在しない。
 汚染物質とはおそらく、放射能だろう。
 つまり汚染物質まみれというのは、やはり。

「核戦争か」
「おっさんちょっと話しかけないで、大事なところ」
『いやんボーイ、くすぐったいですよ』
「……はぁ」

 何かごそごそとやっていると思えば、ハジメは林檎の木の裏を弄っていた。
 人差し指の第一関節があらぬ方向に折れ、折れて露出した空洞から光が出ている。
 彼の後ろに回って行動を観察してみると、木肌の上を光でなぞっているようだった。何かを探しているのだろうか。

 しばらく彼はその行動を続けていたが、幹に、さっきまでは気づかなかったスイッチが浮かび上がった。
 ぱあっとハジメの真剣な顔が明るくなる。

「あった。これを、押すとだなー」

 関節を戻し、その指で丸いスイッチをカチ、と押し込んだハジメは私を振り返った。

「おっさん離れて」
「えっ、あ、ああ」
『BDnC-AIJ1-0012-PlGP_MALUM、手動操作を認識。接続デバイス切断、シャットダウンします』

 ハジメの言葉どおりにその場から距離を置くと、林檎の木が、あのコードらしきものを羅列した後に沈黙した。

 辺りの空気が変わったような気がして見上げる。
 すると、空の青や太陽の光がスッと溶けて無くなったあと、中央広場と同じ灰白色の天井に戻ってしまった。
 気持ちがよかった風もなくなり、どうやら人工的に作られた自然の現象は全て停止してしまったようだ。
 美の女神の名を冠した庭は輝きを失って、残念ながら、ちょっと凝っただけの小さな箱庭のような雰囲気になってしまった。

 ああ、ここもドームなのか。
 庭や道などの各所に配置された液体照明によって真っ暗にならなかったのは幸いだが、暗闇の中、碧白い光が下方から照らす作り物の庭となると、幻想的でもあるが同時に薄気味悪くもある。

 続いて、目の前の林檎の木が揺れ、軽く地響きを立てながら地面ごと横にスライドした。
 ハジメと私の間にできた正方形の空洞からせり上がってきたのは、私の背丈の倍はあるだろう薄汚れたタンクだった。
 コンクリタを型に流す前、撹拌しているあのタンクによく似ている。
 太い筒状のそれにはきっと、私たちがここを訪れた目的のものが入っているに違いない。

「これを運ぶんだな」
「おれがね。おっさんにはムリムリ」
「理解している。君が、ヒトリで、中央広場まで運んでくれるんだろう?」
「食えないおっさんだな……トロいのに」
「君の想い人に比べればまだまだ」
「あーっあーっ聞こえない聞こえない! そういうのいいから!」

 ハジメは雑念を飛ばすように頭をブンブンと振ってから、タンクを支える台座の役目も兼ねるパネルを操作した。
 イラキセと違い、その手つきはどこかぎこちない。

「おっさん、そっちのコード抜いて」
「どれだ」
「タンクの端の、一番太いやつ」
「ああ、これか」

 指示通りに、群がる細いスネーキーのようなコードではなく、一本だけ別の場所に刺さっている太いコードを両手で引っ張る。予想に反してあっさり抜けたので、踏ん張った足腰の体力が無駄になってしまった。
 あちらも、私の方とちょうど反対側の太いコードを抜いたようだ。

 ハジメはタンクの側面に回って「よし」と気合を入れ、モノを持ち上げ、
「ぐ、ぬぬぬ……む、無理だ……せいっ」
やはり持ちあげられず、どんっとタックルして転がした。細いコードがぶちぶちと抜け、小さく青い火花が散る。

「やべ、こっちの接続切るの忘れてた」
「大丈夫なのか」
「全然ヘーキ。どうせもう使わないし」

 彼はニカッと笑い、タンクを転がし始めた。楽観的な性格が実に羨ましい。

 私は、一生懸命にタンクを押し、押して押して押すハジメと押されて転がるタンクの後ろを呑気に歩きながら、特にやることもなかったので状況を整理することにした。

 タンクの中には、濃縮された例の液体照明が入っているそうだ。
 これは、星間飛行ポットを修理する為に必要である。なぜなら、私のポットを診たイラキセは、故障の原因がエンジンと燃料にあると説明したからだ。
 エンジンは、小デブリに当たった衝撃と、外部から地球をスキャニングできなかった原因である”地球を覆う電磁波”に当てられて、調整が狂ったということらしい。

 そして、燃料タンクに入っていた同系統の液体燃料も、ポットの動作不良を起こすレベルで電磁波の汚染を受けた。
 だから、エンジンを調整し、替えが利くという理由でポットの燃料を地球の液体燃料と交換する。これらの処置をすれば、理論上は動くのである。
 ちなみに、電磁波を出力しているのは大気圏外の人工衛星機であるから、地球上にある燃料は無事なんだそうだ。

 どうりでポットの自己診断でも私の診断でも、不具合が見つからなかったわけだ。
 今回の不良は外見的に変化していないこともあって、母星の専門医でないと正確な診断すらできない事例だったのだ。私ごときではどうしようもない。

 また、私のポット付属の通信機器で主惑星へ地球のデータを送るという話は、事実上不可能という結論に至った。
 あまりに膨大な量のデータであるため、少量のデータをリアルタイムでやりとりすることに長けたポットの通信機器では、送信完了までに最低でも五日はかかるそうだ。
 イラキセの母星には既に送信済みだそうだが、これはイラキセの母星が比較的、地球が存在する銀河系に近い場所であったからで、現在の主惑星はそこからかなり離れた場所に密集しているので、仮にデータ容量をクリアしても、距離的な理由でやはり難しい。

 では、イラキセの母星から他惑星へ送信すればいいのではないか、という話になるが、残念ながらイラキセの母星は他の惑星との関係を築いておらず、非常に優秀な力と管理体制によって独立惑星として機能していた。
 他の惑星との交流は厳罰化されているので、仮に私が赴いたとしても門前払いを食らうことになるだろう。
 なので、地球のデータに関しては、原本のディスクと再生機器を持ち帰り、それとは別に公開用としてポットのハードディスクに転送するという形で他惑星に届けることになった。これでイラキセの目的も達成される。

 つまり、この惑星も消去できる。
 私の任務は達成されるのだ。

 だが、私の中には、母星で必要とされない迷いが生まれていた。
 確かに任務を達成して、帰還まで果たすことができるならば、私にとってこれほど良いことはないだろう。評価も上がるだろうし、少しは、酷かった扱いだって変わるかもしれない。
 仮にそうだとしても、でも、だからといって本当にいいのだろうか。
 アンドロイドという形でも、この地球という星には、意志のあるものが存在しているというのに。

「おっさん、マズい」

 思考の渦を断ち切ったのは、緊張をはらんだハジメの呟きだった。
 動きを止めたので、私も歩みを止める。

「いいか。合図をしたら、庭に入ってもいいからあそこの通路に行け。振り返らないで、通路に入ったらひたすら道なりに走るんだ」

 ぎりぎり聞き取ることができる声量と顎であそこ、と示したのは、左前方の扉だ。私たちが入ってきたのは正面だから、別の道である。

「おい、ハジメ、どうしたんだ」
「頼むから、言うとおりにして。いくぞ。さん、に、いち、行けっ」
「わ、わかったっ」

 全く状況がわからない。説明している暇は無い、というようにハジメが合図を出したので、私は仕方なく走りだす。
 そのとき、後方で轟音が響いた。

「なんだ……!?」
 知りたい一心で後ろを見て、私は呆気にとられて立ち止まってしまった。
 音の正体は、女が振り下ろしたスレッジハンマーが、石畳を叩き割る音だった。



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後書き的なモノ:
 主観で進む話かつ短編なので、回想に飛ばすことを避けた結果がコレだよ。大使の状況整理という名の説明が長ry
 会話させるよりは短く纏まるので、個人的には好きなやり方です。


 2016.10/05


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