ある王子のお話
 あるところに、ひとりの王子がいました。
 王子のいる国は、どこまでも続く荒野の中とは思えないほど栄えています。しかし王子の住まう城は、国の中心にありながら断崖絶壁の高所に建てられ、民のいる城下町からは隔絶されていました。
 もともと王家は代々、民と深く交流するために、城下町に併設するように居を構えていました。王子の両親が亡くなり、先代王の弟である叔父が王位を継ぐと、新王は新たな城を崖上に建設。嫌がる王子もろとも、民の声も届かない孤独な城に、身を移したのでした。

 王子は、城から出ることを許されず、民と語らうこともできません。王子は新王の癇癪を毎日のように受けながら、ひたすら本の世界に没頭することで、寂しさをうるおしていました。
 同時に、民と一夜でいいから明かしたい、と強く夢見るようになりました。いつか城を出て、できることなら同じ民として生を全うしたいとすら考えていました。
 いつか叶える願いを胸に秘めながら、夜、自室のバルコニーから町に灯る遠い明かりを眺める。それが、今の王子にできる数少ない自由のひとつであり、日課でした。



-+-+-

 その日は、収穫祭でした。
 新王が即位してから長い月日が経った頃、王子は闇を味方に行動を起こしました。新王の目を盗み、警備をかいくぐって、脱走を図ったのです。
 初めての試みでしたが、念入りに計画を練ったおかげか、無事に城下町へと降りることに成功しました。
 やっと、私の愛する民と共に過ごせる時が来た。
 王子は広場に躍り出て、万感の思いで喜びの声を上げました。

「民よ、姿を見せずに心労をかけてすまなかった。やっと、あの忌まわしき城から出てくることができた。さあ民よ、私と語り合おう。長年のへだたりを今こそ埋めようではないか!」
 王子は、広場に行き交う人々が輪になり、久しぶりの再会を祝福してくれるとばかり思っていました。しかし、王子を見た人々は、目を泳がせてそそくさとその場を離れたり、隣の人とひそひそ何かを話し始めたりしました。
 王子は戸惑いました。想像していたものと違う。なにか自分はおかしなことをしたのだろうか、と。
 もう一度、王子は笑顔を作って民に話しかけました。
「そなたらよ、私のことを忘れてしまったのか? 私だ、王子だ。十年前の収穫祭に、この広場で噴水を囲み、語り合ったではないか。私にエールはまだ早いと、いじわるをして笑っていたでは」
「うるせぇ!」
 王子が言葉を紡ぎきらないうちに、誰かの怒号が場を震わせました。突然のことに辺りを見回しますが、人だかりの中に声の主を見つけることができません。
「誰だか知らねぇが、王子の名を騙るたぁ良い度胸じゃねえか。おい、誰か衛兵呼んでこい!」
「違う、私は偽物ではないっ。あの崖の上にある城から抜け出してきたのだ。本当だ、信じてくれ」
 王子は人垣に歩み寄って訴えかけました。民は悲鳴を上げ、王子から身を離します。
 先程とは別の声が、王子の耳に飛び込んできました。
「もし本物の王子だったら、許さないわよ。先代の王が死んだとき、葬儀にも出ないで引きこもってたやつのことなんか、誰が王子と認めるものですか!」
 そうだそうだ、と観衆が沸き立ちます。
「あれは、叔父上が」
「それにアタシたちの知る王子さまはね、あんたみたいな辛気くさい顔はしないんだよ! 話してるだけで幸せが移るような、そんな素敵な笑顔だったさねっ」

 王子は頬に走った鋭い痛みにうろたえました。どこからか投げられた石が、顔をかすめたのです。
 帰れ、という声があちらこちらで上がりました。その言葉はやがて大きなうねりとなり、一丸となって王子を責め立てます。
 石が、慈悲のない雨となって王子を襲いはじめました。王子は口を開こうとします。ですが、肩に、身体に当たるつぶてのあまりの勢いに気押され、逃げるようにその場を後にすることしかできませんでした。



-+-+-

 広場を去り、泣くことも忘れて王子は町を駆け抜けました。
 息があがり胸が苦しくなって、やっと地面にへたり込んだのは、城と町を繋ぐ小さな森の中。
「そんな……まさか」
 血の固まった頬に手を当てながら、王子は深くうなだれました。万人を虜にすると言われた太陽のような温かい笑顔を、城に幽閉された時が長すぎて忘れてしまっていたのです。
 皆に受け入れてもらえるとばかり思っていた王子は、想像と現実の違いに打ちひしがれました。
 自分を受け入れてくれたあの場所は、もう存在しない。
 よろよろと立ち上がり、王子は城へ向けて歩き始めました。
 そのときです。

「ねえ、ちょっと」
 呼び止める声がして、王子は思わず振り返ります。
 王子の後ろに立っていたのは、町娘の装束を着た、可憐な少女でした。少女は綺麗に並んだ白い歯をニカッと光らせ、王子を見ました。
「もしかして王子でしょ? そうだと思ったんだ。その服、大きくはなってるけど、あのときと同じデザインだもんね」
 王子は唖然としましたが、城にこもってから新王以外に話しかけられたことがなかったので、絞り出すように喉を鳴らします。
「収穫祭の……あのときの衣装でないと、皆が気づいてくれないと思って……」
 あなたは誰、と唇が動く前に、少し離れていた少女は近づいてきました。
「わたしは名もなき町娘。王子がまだ町にいてくれたころ、たくさん遊んだの、覚えてない?」
「あ、その」
「覚えてないのも無理ないよねぇ。だいぶ昔の話だし、王子もタイヘンだったみたいだし」

 王子は、町を背に微笑む少女の明るさに、固くなっていた身体がほぐれていくように感じました。そして、過去のことはあまり覚えていませんでしたが、今の城に連れてこられた後より、ずっと楽しかったことだけは覚えていました。
 王子が返答に困っていると、少女はもう一歩、王子に近づいてきました。王子の頭に、町の人々の怒りに満ちた形相がよぎります。しかし王子は、その場から動くことをしませんでした。
「王子さ、また城から出てくることってできる?」
「できるっ……あ、いや、でも……」
 すぐさま答えるも、なぜ答えられたのか王子には理解できません。
「そう! それならよかった」
 少女は嬉しそうに言って、手を差し伸べてきました。
「じゃあ、またここに来るから、会いにきてよ」
「……ああ」
 王子はおずおずと少女の手を取り、優しく握ります。少女はそれに応えるかのように、しっかりと握り返しました。



-+-+-

 それからというもの、王子は新王の隙を突いて城を抜け出しては、森にやってくる少女と密会を重ねました。
 初めて出会ったときには森の闇にまぎれて気づきませんでしたが、少女は、どうやら王子と同じ歳か、少し上くらいのようでした。いつもにこにことしていて、特に笑った時に赤くなる頬が、透き通るような白い肌によく映える、整った顔立ちの娘でした。

 少女は王子に、昔共に遊んでいたときの記憶をよく話して聞かせました。また、王子のことを本当に良く知っているようで、王子の考えを何度もピタリと言い当ててしまう聡さを持っていました。
 はじめこそ人の温かさにまごついていた王子でしたが、少女の飾り気のない性格に、少しずつ心を開いていきます。そして、王子が昔の記憶を取り戻していくにつれ、ある疑問が頭から離れなくなりました。

 王子は少女に尋ねました。
「なぜあなたは、私にここまで良くしてくれるんだ? 私は民を裏切り、姿も見せずに、ただのうのうと生かされていただけだというのに」
 少女はきょとんとして、なんでもないふうに答えます。
「王子は何も悪くないでしょ。ぜんぶ新王が悪い。それに、うまく笑えなくたって、王子の本質は変わらないよ」
「私の、本質?」
「そう。昔っから王子は、一緒にいる人を楽しませることができたじゃない。それは、わたしたち民のことをとてもよく考えてくれて、理解していたからじゃないの?」
「本当に、そうなのだろうか?」
 考え込んでしまう王子に、少女はニカッと笑ってみせました。
「いつかきっと、みんなにわかってもらえるよ。それに、心から笑える日が来る、ぜったい来る! わたしにはわかるんだーっ」
 腰まで伸びた長い髪をなびかせて、少女は鼻歌を歌い始めました。

 王子は、この少女のことを信じてみようと思いました。そうすることで、民に拒絶された記憶が薄れていくのではないかと、そう思ったからです。
 何度も、なんども、王子は少女と会いました。寒さをしのぐために王子が持ってきた質の良い毛布に、二人まるごとくるまってみたり、うららかな日に花摘みをして作った質素な冠を頭に乗せあったりしました。
「いけない、ヴェールが足りないな」
「ダメだよ王子。そんなものがあったら、わたしは嬉しすぎて死んじゃうもん」
 少女の明るさと芯の強さに、王子が忘れてしまった温かな笑顔も、だんだんと元通りになっていくのでした。



-+-+-

 少女と会う約束をしていた、ある日。
 王子は新王のいつもの癇癪によって、予定より城を出るのがだいぶ遅れてしまいました。
 日は既に西へと傾き、空の色が変わり始めた頃でした。外套をひっかけるのも忘れて、王子は森へと走っていきます。
 待たせたことをどうやって謝ろう。言葉を連ねても彼女に通じないことはわかっている。それでも彼女は許してくれるだろうか。そもそも彼女は怒っていないかもしれない。いつものように、笑って許してくれるような気がする。きっとそうだ。
 考えながら、王子は冷え始めた空気に肌を擦りました。足場の悪い坂を転びそうになりながら駆け抜け、そうして、いつも待ち合わせている森の拓けた場所にやってきたのです。
 待たせて悪かった。結局のところ第一声はそうしようと、王子は決めていました。
 しかし、王子の口からその言葉が出ることはありませんでした。

 王子の目の前には、ひとつの身体が横たわっていました。周囲の草花を赤く染めているその身体は、少しも動くことがありません。地に散らされた長い髪と、かろうじて元の色を留めている装束の裾から、王子はその人物が誰であるかを察してしまいました。
 王子は震える足を動かして、一歩、また一歩と小さな身体に近づきます。血まみれの身体を抱き起こして、王子はその顔から目を背けました。
 少女は、静かに目を閉じていました。微笑んでいるようにも、泣いているようにも見えましたが、笑う度にりんごのように愛らしくなった頬には、涙の痕を隠したかもしれない泥がこべりついていました。
 力の抜けた身体は、まだ少しだけ温度を持っていました。王子は少女だったものを強く抱きしめます。すると、少女の喉や腹から、色あせた命が流れ出ていきました。

 ふと、王子は少女の手を見ました。あの日、王子を救い出すように伸ばされた手には今、何か布のようなものが握られていました。確かめるとそれは、国に仕える兵士であることを示す腕章でした。
 王子の背を、沈み掛かる夕日が照らし出します。夕日は森を、この場所をいっそう赤く塗りつぶし、まるで焼き尽くすかのように色を落としていました。



-+-+-

 少女の埋葬が終わったのは、冷たい風が吹き抜ける、闇の濃くなった時間でした。
 ふらふらと自室に戻ってきた王子は、町が一望できるいつものバルコニーへと足を伸ばしました。民はもう寝静まっているのか、町にはぽつぽつと小さな明かりが灯っているだけです。
 バルコニーの柵に身体を預け、王子は無感動に町を眺めました。
 不意にポケットが気になって手を入れてみると、柔らかなものが入っていました。取り出して広げたのは、白いレースで編み込まれた、丈こそ短いものの清らかなヴェール。喜ぶと思って、自由のきかない身で王子がなんとか用意した贈り物でした。

 月に照らされて淡い光を帯びているそれを見て、王子の目からはいくつもの涙がこぼれました。嗚咽をあげながら、顔をくしゃくしゃにしながら、王子は泣きました。
 王子は泣きながら、力を込めてヴェールを破きます。何度も破いて小さくなった切れ端は、毅然とした突風に吹かれ、星の瞬く夜空に舞い上がりました。
 そのときでした。ヴェールが吸い込まれた空の先に、鮮烈な輝きの流れ星がひとつ、落ちていったのです。王子の目には、星の引く尾がとても美しい虹色に見えました。同時に、王子の心臓が強く脈打ちました。
 今流れ落ちた星を、ひと目見たい。
 なぜか王子は唐突にそう感じました。感じたときには、あれほどあふれていた涙は止まっていました。
 王子はごく簡単に旅支度をすませ、すぐさま城を飛び出しました。



-+-+-

 人目を忍んで町を抜け、王子は初めて荒野に足を踏み入れました。
 そこは、王子が想像していたよりも、ずっと何もない場所でした。岩も、草木も無く、石くれがたまに転がっているだけの、とても固くてざりざりした大地でした。
 あまりにも見通しが良すぎて、空と大地しか無い荒野は退屈です。すぐに足も痛くなり、食料もわずかになり、喉も渇きました。
 しかし、王子は引き返すことをしませんでした。

 ひと目あの星を、見たい。

 全てを失った王子にとって、その想いだけが、王子を奮い立たせるものでした。
 いくつもの夜が朝に、朝が夜に変わっていきました。振り返れば、すっかり国は見えなくなっていました。自分の着ている服ですら色がないと思うほど、圧倒的にモノクロの世界だと感じるようになっていました。

 このままでは行き倒れになってしまう、と危惧したのは、夜も更けたある時のことです。かばんはとっくに、どこかへと置き去りにしてきました。中に何も入っていなかったからです。
 行き倒れることに対して、それでもいい、と王子は思いました。どうせ国に帰っても、新王にいびられるだけの生活を強いられ、民には既に見捨てられているから、日の目を見ることもなく死に往くのだろう。
 それならば、誰に知られることもなく、ひとりでこの世から消えてしまったほうがいい。少なくとも、人生のほんの一瞬であったとしても自由でいられたことには、変わりないのだから。

 王子は、足から力が抜けていくような気がしました。自らの死を受け入れた瞬間、何もかも諦めてしまえたのです。自由であれば、それでいい。たとえ、満たされなくとも、と。
 ところが、王子は歩みを止めませんでした。止められない理由ができたのです。
 深い闇の先に、とても小さな光がありました。その光は、青みを帯びているように見えます。今まで見たことのない明かりの色でした。
 王子の鼓動が、また強く鳴りました。全身の血が沸き立つような感覚をおぼえました。王子の目はそれを認めたとき、夜空の星のように輝きました。
 王子は力を振り絞って、光の元へと辿り着きました。

 光の正体は、王子の背丈の倍はあるだろう、突起が不規則な放射状に伸びている結晶でした。
 結晶の周りには、それが落ちたときにえぐれたのであろうクレーターができており、どういう仕組みか、結晶の先という先から流れる透き通った水を湛えていました。
 王子は駆け寄ってまず、透明な水を両手ですくい、飲みました。その瞬間、癒やされるような、水が全身のありとあらゆるところに染み渡るような、不思議な感じがしました。
 すくっては飲み、すくっては飲み、を繰り返すと、腹をつぶすような空腹感もなくなっていきます。
 やがて、旅に疲れた心身が満たされた王子は、いつのまにか眠ってしまいます。国を出てから初めて、夢も見ないほどぐっすりと、深い眠りにつきました。



-+-+-

「もし……?」
 しわがれた声。優しく肩を揺さぶられたことで、王子は目を覚ましました。
 まず確認したのは結晶の噴水で、幻でなく存在することにほっとします。続いて辺りを見回すと、そこにはちょこんとしたひとりの老人と、何人もの若い男が立っていました。
「おお、気がつかれなすったか」
 長い口ひげを蓄えた老人は、おだやかに笑いました。
「ひとりの若者が国を出たというから追ってきてみれば、もしやおぬし、若君ではないかの?」
 その言葉に、王子は慌てて立ち上がり、老人と距離を取りました。

「あなたは、誰だ」
「ほっほっほ、しがないただの爺じゃよ。しいて言うなれば、おぬしの父君に多大なる恩情をいただいた者じゃ」
 言いながら老人は、懐から青い宝石のついた首飾りを出し、外して王子に見せました。王子は、その首飾りに見覚えがありました。
「それは、母の……」
「そうじゃ。母君が亡くなられた折に、父君から預かったものでな。”もし私に何かあったとき、そなたの一族が我が息子の助けになるように”。そのようなお言葉をいただいたにも関わらず、おぬしが城へ幽閉されたときも、町においでなさったときも、なにもしてやれなんだ」

 王子は宝石を持った老人の手に、自分の手を重ねて首を振りました。
「ご老人よ。私はとんだ思い違いをしていたようだ。私は民にも、新王にも見捨てられたとばかり考えていた。あなたのような温かい人も、居てくれたのだな」
「温かいのはおぬし……若君のほうでありましょう」
「え?」
 老人が背を伸ばし、王子の首に首飾りをかけました。
「若君は、昔と変わらぬ太陽のような笑みを宿しておられます。その笑顔に、このご老体が何度救われたことか」
 王子ははっとして、自分の頬を触りました。続いて、結晶が作り出した水面に顔を映すと、そこには、自分のどの記憶よりも綺麗に笑っている王子が映っていました。

 失くしたはずの笑顔を、王子は取り戻していたのです。

「私は、ある夜に美しい流れ星に心を奪われて、この地へと辿り着いた。この見事な結晶の噴水が現れなければ、あなたにも出会うことができなかったであろうし、私は命を落としていたかもしれない。
 私はこの噴水と出会いに感謝をしたい。どうすればそれが叶うだろうか?」
 ふむ、と考えて、老人は王子を見上げました。
「見ればこの噴水は、周りに何もない中で凜と輝いている。いささか寂しそうだとは思わんかな? 爺は、これを中心にして新たな町を作ることを進言いたしますぞ」
「しかし、私には従える家臣がいない。いったいどうやって」
「ご心配なされませんよう。爺の元に、働き手はたくさんおります。それに、このような素晴らしいものがあると知れば、あらゆるところから民は集まるじゃろうて」
 王子は結晶を振り返り、溢れる水を従えてきらめくその姿を、しっかりと心に刻みました。そして、老人に向かって、
「私の町を、作ろう」
と、一言だけ言ったのでした。



-+-+-

 かくして、何も存在しなかった大地に、少しずつ色が宿り始めました。
 王子の屋敷は、結晶噴水がいちばんよく見える場所に建てられ、噴水の周りは、誰もが集まることを許される町の中央広場と定められました。
 町を作るにあたって、王子は御触れを出しました。
 結晶噴水は命の源であるため、誰でも使ってよいが、中央広場を汚すこと、中央広場から屋敷に続く大通りをさえぎることを禁じる。
 この御触れだけは、いかなる理由があろうとも守り通されることになりました。

 石材を運ぶのは多大な労力と時間がかかるため、町の建造には基本的に木材が使われました。最初は掘っ立て小屋のようなものばかりが並んでいましたが、さっそく遠方からやってきた貴族たちが噴水の美しさを見初めて、移住するための豪奢な建物も作られるようになりました。
 だんだんと、噴水を中心として家々が、食の要である市場が、服屋が、生活に必要なものを扱う店ができました。そして、観光に訪れる者のために宿が発展し、人口も増えていきます。
 王子の町の水源は、中心の噴水のみでした。各区域で楽に水が使えるよう、水路が張り巡らされました。ですが、それでも水は枯れることなく、むしろ町の発展を喜ぶかのように、その量を増していきました。

 王子は、子供の頃に城下町で民と語り合ったのと同じように、頻繁に中央広場にやってきては、噴水を囲んで皆と交流をしました。王子のことを悪く思う者もまれにいましたが、王子の太陽のような笑顔を見て、考えを改めるものばかりでした。
 いつの間にか、王子の強く願っていた世界が、ここに誕生していたのです。
 平和な時が続きました。
 王子のいた国から、新王が病に伏せっているという知らせが届きます。王子は一度、元の国へ戻り、また新たな王を立てる手続きを済ませてから、新王を手厚く看護するように手配して自分の町へと帰ってきました。
 戦も起こることなく、むしろ友好的な関係を築くことに成功したので、いっそう町は賑やかになりました。



-+-+-

 王子が町を作ってから何度目かの恒例行事が、今年も迫っていました。
 収穫祭です。
 王子は家臣と共にその準備に追われていました。それゆえ、気づくことができなかったのです。
 ある日を境に、結晶噴水の水量がいちじるしく減っていました。それは、日照りが続いたわけでもなく、逆に嵐が過ぎたわけでもなく、本当に突然の出来事でした。
 報告を受け、王子は愕然とします。すぐにでも自分の目で確かめたいところですが、あらゆる手続きが重なっていたがために滞っており、なかなか動くことができません。
 しかたなく、多忙な時間をぬって自室のバルコニーへと急ぎました。そこは、噴水のある中央広場がもっともよく見えるように作られていたからです。しかし、そこでも王子は驚きを隠すことができませんでした。
 バルコニーから、まったく広場が見えなくなっていたのです。もちろん、輝ける命の噴水も、最初からその存在がなかったかのように見えませんでした。

 噴水の周りや王子の屋敷に続く通りに、たくさんの建物が並んでいました。それは、祭りの到来を待ち望む、出店です。かろうじて人の通ることができる空間を残して、あまたの出店が、バルコニーから見える本来の景色を奪っていました。
 祭りを楽しみにやってきたのは、町の人間だけではありません。王子が出していた御触れの存在を知らない移民は、噴水の美しさと恩恵に目がくらみ、好き勝手に埋め尽くしたのです。

 王子は全ての仕事を投げ出して、中央広場へと向かいました。そこは、王子が考えていたよりもはるかに騒々しく、収集のつかない場所になっていました。さらに、なんとか辿り着いて見上げた結晶は、心に刻まれたあの美しい輝きを完全に失っていたばかりではなく、水がすっかり枯れ果てていました。

 王子は叫びました。
「民よ、今すぐ広場の店をたたむのだ。この有様がわからないのか? 今にこの国は、水源の枯渇によって死んでしまうぞ!」
 すると、どこからか声が聞こえました。
「そうは言っても、祭りだぞ! これが浮かれずにはいられるかっ」
 今度は別の場所から聞こえます。
「ちょっと疲れてるだけでしょ? 祭りが終われば元通りになるわ」
「そんなわけないだろう……っ」
 王子は慌てふためきました。
「私は最初に触れを出したはずだ。この場所を汚してはならぬと! この噴水は私のものだ。だから、今すぐに店をたため! これは命令だ」
 王子の声は、雑踏にかき消されて届きません。それどころか、次第に民の雰囲気は悪くなっていきました。
「というか、お前は本当に王子なのか? そっくりさんじゃないだろうな?」
「王子を騙って水源を独り占めしようったって、そうはいかないんだからね!」
 疑念は罵声に、罵声は見えない刃になって、王子を襲い始めます。
「違う、私は」
 王子は言葉を続けようとして、気づきました。
 これは、あのときと同じではないか、と。民の憎悪が一身に向けられるおぞましさを、王子は思い出します。
 どうしたらいい、どうすれば理解してもらえる?
 王子は必死に考えますが、なにも思い浮かびません。

 王子には、民が自分の町で身勝手に振る舞うことが理解できませんでした。
 しかし、王子は思い出しました。民はもとより、身勝手であったということを。

「若君?」
 しわがれた声が耳に入ってきました。それは、結晶の噴水を見つけたときに町の建造を誓った、あの老人でした。
「爺よ、どうしたらいい? どうしたら民は私の言うことをきいてくれるのだ。このままでは私の町が、私の噴水が殺されてしまう」
 老人は、ほっほっほ、と笑いました。
「それは、町のきっかけを作ったのがわしの一族であるからなぁ。祭り好きであるがゆえ、いくら若君の言葉であろうと聞く耳を持たないじゃろうよ」
「そうではない。今すぐこの現状をどうにかせねば……」
「言ったじゃろう? 噴水を求めて、あらゆるところから民が集まるじゃろう、と。移民が多かろうがなんであろうが、民の言うことが町の、ひいては国の意志なんじゃよ。それがわからないのであれば、若君よ、おぬしはこの町の主君とはなれんじゃろうな」

 老人の声は、罵声の中でもやけによく聞こえました。王子は老人の言い分に対して、何も反論することなくその場を去りました。
 王子の後ろでは、王子に対する見えない刃が、いつまでも飛び交っていました。



-+-+-

 祭りの前夜になりました。
 バルコニーから、王子は町を見渡しました。たくさんの明かりに照らされた街並みは、ここが荒野の真っ只中であることを忘れさせるほど、色に満ちています。
 屋根、人、屋根、人、屋根。王子には、そのどれもが自己主張の激しい派手な色であると感じられました。

 王子は、火がついている一本のたいまつを持って、屋敷を出ました。裏手に回ると、そこにはあらかじめ用意しておいた、細い木材を交互に組んだものが屋敷に立てかけてありました。
 無表情のまま、王子がたいまつを投げ込みました。ぱちぱちと音を立て、木材は少しずつ燃えて、火力を増していきます。それは屋敷に引火し、屋敷はだんだんと大きな炎に包まれました。
 王子はその場から離れ、町を出るために歩きだしました。火は、屋敷から近くの建物へと移り、どんどん広がっていきます。しかし、祭りに浮かれた民はそのことに気づいていない様子です。
 忠告もなにもせず、王子はただ静かに、町から離れました。

 町を出るときには、さすがに火に襲われたことを知り、町中は混乱を極めていました。町の建物はどれも木で作られているので、火の回りはとても早く、火を消そうにも水源が枯渇しているのではどうしようもありません。
 王子は、自らが作った町が、民が燃えてなくなっていくのを、ただただ無感動に眺めていました。町から民が出てくる様子はありません。民は町の中心部である噴水の回りに集まっていたので、火に囲まれて逃げる術もなかったのです。
 やがて炎は、町全体を鮮やかな赤色に染め上げました。町は黒い煙と共に、月のない夜空を妖しく照らし、王子の元いた国からも空の色が変わっていることがわかるほどでした。
 炎は一晩中、生きているかのように激しく燃え続けました。そして、黎明にさしかかるころ、もともとこの荒野には何もなかったことを思い出させるように、そっと消えていきました。



-+-+-

 はるか遠くから吹き込んだ風が、煙を流します。
 夜明けの薄明かりを頼りに、王子は灰燼と化した町に入りました。元が何かもわからないようなものが、たくさん燃え尽きています。立ち上る激臭は王子の鼻を焼きましたが、王子は顔色一つ変えずに歩いていきました。
 王子が足を止めたのは、やはりあの結晶噴水の前でした。結晶は、あれだけの炎に巻かれながらも、焦げ一つなく悠々たる姿を見せています。
 地平線から、優しげな光を持つ太陽が昇ってきました。陽光を浴びて、結晶は初めて見たときと全く変わらない様子で、この世に存在するどの宝石よりも美しい輝きを放ちました。
「戻ってくれたか」
 王子は微笑みながら、結晶の突起のひとつを撫でました。すると、枯れていたはずの水が、少しずつこぼれだしました。
 王子の目にも、結晶がしずくを湛え出すのと同じように、涙があふれてきます。王子は結晶の前にくずおれました。

「よかった。本当によかった。これで、よかった」
 王子はふと、あの少女のことを思い出しました。少女は、王子の持っている本質は昔から変わらないと言っていましたが、確かにその通りだったと王子は思いました。
 結晶の出したわずかな水を口に含んで、心をうるおされた王子は結晶に笑顔を向けました。
 結晶の中に乱反射する王子の顔は、王子の生涯で最高に満ち足りたものでした。





-----+---+---+-----
あとがき
 王子の持っている本質とは、いったいどういうものなのでしょうか?
 童話風に書いてみましたが、童話にしては相当な物量であると思われるため、風(ふう)と付いております。
 この話を超絶要約した童話はこちら
ある王子さまのものがたり



prev next
top

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -