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少年は部屋で本を読んでいた。非番の日は例外を除き、自室で読書に更けるのが好きだった。
そろそろ一度休憩を挟もうとしたところで、控えめなノックの音が三度。
来客があったのなら丁度いいと、彼は本に栞を挟んでから閉じ、眼鏡を机に置く。
三度のノックということはある程度親しい間柄だということなので、何の心構えもせず扉を開ける。

だが、そこにいた人物を目に入れた途端、驚きのあまり口を開けたまま数秒固まってしまった。


「じ、女王陛下っ!?なな、何故ここに…!」


言うが早いか、少年は人目がないことを確認し女王と呼んだ少女を手早く部屋に招き入れる。
どくどくと煩く跳ねる心臓を胸の上から押さえ、今一度目前で清楚な微笑みを称える少女を目に入れた。
どこからどう見ても、少年の使える女王陛下その人だった。


「なまえ、いつも言っているじゃない、二人の時は名前で呼んでって」
「…マタン様。もう一度聞きますが何故ここにいらっしゃるのです?」


咎めるように言うと、女王ことマタンはこどもらしい仕種で肩を竦める。普段の女王としての振る舞いがまるで嘘のようだ。
答えなど聞かずとも分かる、彼女の事だからいつも通りのお忍びで城下まで降りてきたのだろう。現騎士団長のファロもよくそれで頭を悩ませているのだ。
少年、なまえの想像通りの返答がマタンの口から帰ってきて、軽い脱力感と共に苦笑が溢れた。

「……まぁ、来てしまったものは仕方ありませんが、どうして私の元へ?」
「ええ、貴方の作った料理が食べたかったのよ。その様子を見ると、お昼もまだなのでしょう?」

彼女の言うとおり、なまえはもう昼下がりであるにも関わらず昼食を取っていない。読書に没頭していたために。
そのことを思い出せば途端に空腹感が彼を襲い、自らの仕える女王の頼みだということ以外の要素が、なまえの首を縦に動かした。

「でも、マタン様。私は宮廷料理のように豪華なものは作れませんよ」
「それでいいわ、城の料理なんかより、貴方の作った料理の方が美味しいもの」
「…畏まりました。では、少々お待ちを」

マタンが宮廷の豪華な料理よりも極一般の家庭的な料理を好むことは知っていた。
彼女がお忍びで城下に降りる時は必ずと言っていいほどそこで何かを口にしているのだという。
そんな彼女だからこそ幼くして国民の支持を得ているのだと分かっているものの、周囲は気が気ではない。
自分も後々、このことが知られれば騎士団長に小言を言われるのだろうと、もはや諦念に近い感じで苦笑する。

だが、こうして料理をする自らの後ろで、マタンが料理を楽しみに待っていてくれているというのは、悪い気がしなかった。




「そういえばマタン様。もうすぐセリオス祭ですね」
「ええ、貴方が騎士になってからは初めてではなかったかしら?」
「…よく、憶えていますね…」
「ふふっ、当然です」


二人は家庭的な料理が乗った机を挟んで穏やかに談笑する。十二月中旬に行われるセリオス祭の話題に入り、ふと、マタンの表情に陰が差す。
すぐには理由が分からなかったのだが、なまえはやがて察して、一度口を引き結んでからゆっくり開いた。

「大丈夫です、マタン様。ファロ殿はきっと、すぐに帰ってきますよ」

ファロ。一か月ほど前、マタンの勅命でとある人物を探しに出たまま帰らないノイグラード王国軍騎士団長。
恐らく王国で誰よりも女王に、いや、マタンに忠誠を誓っている男。彼女自身もそれを理解しているから、彼の為に表情を曇らせる。

「ええ…私も信じているわ、でも、なまえ」

真摯な視線に気づき、何でしょう、とマタンを見詰め返せば、彼女は青い瞳を揺らした。
なまえだって、マタンに忠誠を誓っていた。だけどなかなかどうして、ファロに勝てる気はしない。


「貴方は、私の傍にいて、どうか裏切らないでいて」

「……何を、仰られるかと思えば。言われなくともそのつもりでございます」


かちゃり、食器を置いたなまえは立ち上がり、椅子に座ったままのマタンの傍らへ歩み寄る。
どうしたのかと小首を傾げる、まだ幼さを残す女王の足元に膝をつき。
一人前の騎士のように、恭しくマタンの手を取ると、その手の甲にそっと唇を寄せた。


「私は、ここに誓います。この命が尽きるまで、私は――なまえは、マタン様にお仕えします」


もちろん、了承してくださいますよね、と。
その手を取ったまま上目遣いで見上げれば、マタンは驚いたように目を見開き、呼吸すらも止まっているようだった。
だが、そのうち静かに呼吸が再開され、僅かに頬を染めながら、彼女は微笑した。


「……ありがとう、なまえ。…女王ともあろう者が、弱気ではいけないわよね」

「いいえ。その時の為に私や、ファロ殿がいますから。…あ、ご無礼をお許しください」


一瞬だが、女王の手の甲に口づけたことを思い出し、なまえは慌てて手を離し頭を垂れた。
くすくすと笑って、マタンも膝をついて視線を合わせた。


「なまえ、私は信じているわ。ファロも、貴方の事も」

「…勿体ない、お言葉です」

「あ…それと、セリオス祭の時は私と共にいてくれないかしら?」

「え、でも、」

「せめて私の傍に控えていて、お願い。…きっと、ファロも戻らないでしょうし」


そう言われれば是と答えるしか道はなく、なまえは眉を下げながら頷いた。

そして立ち上がったマタンは「そろそろお暇するわね」と言って、なまえの家を後にしようとする。
咄嗟に呼び止めたのは、見習いと言えど騎士ゆえの性か、それとも別の何かなのか。
何かを紛らわすようになまえは、クローゼットから防寒具を取り出して首に巻き、締まりきらない顔を隠した。


「……城まで、お送りします。冬は日が落ちるのも早く、危険ですから」
「そうね、じゃあ、お願いしようかな」


外に出ると、雪が降っていた。当然の如く吐き出す息も白い。
なまえの右手は自然に、マタンの左手を包むようにして握っていた。不敬罪で裁かれるかもしれないということは重々承知の上だ。
マタンと目を合わせようとはせずに、少年は少しだけ憮然として言い放つ。


「寒い、でしょう。女性は手足を冷やしてはいけないと言いますし」
「…なまえは、優しいのね」
「そんなことはありません、ああそれと、女王陛下を転ばせては騎士の名折れです」


可笑しそうに笑うマタンとやはり目を合わせないまま、なまえは城までの道を歩く。セリオス祭を間近に控えたノヴァリスタは、日が落ちても賑わいを忘れていなかった。
ニアにとっては永遠のように長く感じる道程を、マタンはどこか楽しそうにしながら進んでいった。
だけどやっぱり、彼女がそうして笑っていてくれるなら、そんな時間も悪いものではないと、なまえの口元は緩く弧を描く。



見習い騎士と幼き女王の小話


(ねぇなまえ、セリオス祭の時も城下に降りちゃ駄目かしら)
(いや流石にそれは不味いでしょう女王として)

(貴女となら悪くないと思っている僕がいないと言えば、嘘になるけれど。)

fin.
09.1130.


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