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*ただの小説で夢じゃないです












轟音が俺の耳朶と鼓膜を小刻みに揺らす。左側で弟が耳を塞いでいるのが見えた。俺は剣を構えたまま体勢を崩さなかった。
俗に言う鼬の最後っ屁という奴だろう、敵の化学錬成系咒式士が<爆炸吼>を放ってきたのだ。咄嗟に気付いた俺たちは十分に後退し距離を取っていたので欠片も傷を負うことはなかった。

荒れ地なので目に砂埃が入ることを避けるためか、弟は普段頭上に上げている飛行眼鏡を装着し、黒い瞳を覆っていた。だがその大きな目は、いつものようにきょろきょろとせわしなく周囲を見渡してヘリウム元素のように軽い足取りでそこらを歩きまわる。先程まで暴れさせていた人食い鬼の組成式を納めた旅行鞄を引きずりながら。
俺は前方を向いたまま周囲の気配に全身を研ぎ澄ませていたのだが、弟の視線が最終的に俺の背に刺さったことに勘付き左目だけで振り返った。


戦場に立っているとは思えないような弟の朗らかな笑顔が、すぐそこにはあった。




「ギョンギョンっと殲滅ー。これで全部かな、イェスパー兄貴」


「まだだ、油断するなベルドリト」



俺が鋭く言い放てば、幾分かその緩んだ姿勢を直して隙を減らした、気がする。双子であるはずなのに、俺はベルドリトが何を考えているのか分かることが極端に少ない。逆は多少理解しているらしいのだが。
弟はおせじにも"皆殺しのラキ家"らしいとは言えない性格だ。以前そう言ったら「それは僕にとって最高の賛辞だ」と言って喜ばせてしまった。いや俺は彼が喜ぶであろうということを勘付いていながら敢えて口に出したのだ。
父イェルドレドの、裏切りの真相を知らない弟にだからこそ、そんなことが言えたのだと思う。ある意味では俺よりも強くなったベルドリトに、真相を告げる時は恐らく近い。父親似の俺の左目に見据えられて、母親似の柔らかい表情が強張る光景など容易に想像することができた。


足音と荷車の騒々しい車輪の音から、ベルドリトが俺の間合いから出たことに気付く。あまり遠くまで行くなと言いたいところだが、少年のように見える弟は俺と同じく二十を越えた一人の咒式士だ、そこまで世話を焼く必要はないと思い、無視して俺は前方へ進む。

―――これが仇になったのかもしれない。



足元では少し前まで人間だったものたちが転がっていた。モルディーン枢機卿長に刃向う、他国の勢力の侵入者だった。
猊下は警告を与えてこいとだけ言って、いつものように柔らかい微笑みを浮かべるだけ、その後はキュラソーに仕事をしろと急かされる、穏やかな日だ。
ただ猊下の命を受けた俺とベルドリトにとっては、穏やかな日になどなるはずもなく。きっとこれは猊下のお遊びの一貫なのだと口に出さずとも理解していた。知っているからこそ、俺はその一瞬の微笑の為に命を賭けられる。


モルディーン・オージェス・ギュネイ枢機卿長。
俺の父親イェルドレドが裏切り暗殺を企て、それを知りながら自決した彼を名誉の戦死と偽り俺たち双子、ラキ家の一族を保護してくださった猊下。何故許されたかなど、今の俺の犬と呼ばれるほどの忠誠がその答えだ。春先にも俺を犬と嘲けた赤毛の眼鏡を思い出しながら、残党はいないものかと目をこらした。

できるだけ派手にやろうとは思ったが、やりすぎたかもしれない。俺ではなく、ベルドリトが。九条の刃に貫かれ絶命している死骸よりも、腕や足、身体の一部を抉られ食い殺されたものの方が多かった。厳密に言えば弟ではなく奴が制御幹を打ちこんだ食人鬼(たしか名をンニャンモスといったか)か。










「  、にき」




弟に呼ばれた気がした。とその瞬間に全身の毛が逆立った気がした。九頭竜牙剣を九条に分つ間も惜しみ体を捻りながら後方へと疾駆。弟の体が仰向けに傾斜していくのが見えるのと、ほぼ反射的に薙ぎ払うようにして振るった刃が血に塗れた男の首を胴体から切り離したのは同時だった。
この程度の運動で何故呼吸が荒いのか。問われなくてもわかっている。浅い呼吸を繰り返して腹の傷からどす黒い血を流している弟が、立ちつくしている俺が、答え。



口元から鮮血を垂らし、縋るように手を伸ばすベルドリト。普段うっとおしく思っていた橙色の外套の長い袖も、今は紅い色に染まっている。
ベルドリトの瞳は既に朦朧としている。それでも口元は緩く弧を描いている。なす術もなく震える手で弟の手を握っている、愚かな兄の姿を嘲笑しているのだろうか。ああ、きっとそうに違いない。


何かをしなければならない。なのに何もできず、失われていく温度と光を感じることが出来ない俺は無力。いくら強くなったところで結局二つのものは護れないのだ、そう現実を突き付けられている気がした俺はぎりりと歯を噛み締めた。






「    、 」






弟が唇だけで何かを言った。聞き取れなかった。
聞き返すことも躊躇われたのだが、突如背後に現れた気配に首を動かして振り返る。

大賢者ヨーカーン殿が、そこには立っていた。まだ空間が波打っていることから、大方猊下に言われて俺たちを迎えに来たのか、あるいは、この状況をどこかで見ていた猊下が彼を寄越したのか。
何も言えずにいると、ベルドリトの小さな苦鳴。相変わらず血にまみれてはいたものの、傷口は塞がっていた。




「まだ、死ぬべきじゃないと。モルディーンがそう言っていたよ」



微笑む大賢者の虹色の瞳が、俺の考えのうち後者が事実であることを物語っていた。
ああまたあの方に生かされた、喜びにも近く悲しみにも近い感情が胸に生まれ、一気に体が重くなる。そして「あにき、いたい」と舌足らずな弟の言葉を聞くまで、俺がまだベルドリトの手を強くきつく握り締めていることには気づかなかった。







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