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あのひとがいない。

あのひとがいない。


ううん、ここにいる。
でも、これは、あの人なんかじゃない、ただの、『時計』。


「ああ、ああぁぁああ」

「泣いてるの、なまえ」


振り向けばそこにいる赤い騎士。相も変わらず口元には笑みが貼り付けられているけれど、血の色をした瞳はちっとも笑ってなんかいない。むしろ、私と同じ、今にも泣いてしまいそうなカオ。彼が、エースがそんな顔をするところは初めて見た。できれば、こんな形で見たくなかった。

エースが先刻から見ているのは私じゃない。私がずっと、何時間帯も抱きしめているもの。それはそうだよね、だってエースが『ハートの騎士』の役割を放棄しようとした結果手に入れたのが、この仕事。
時計の回収。修理はできなくても回収だけなら俺でもできると、以前笑って話していた。


でも、回収したら、その後はどうするの?
届ける相手は、貴方の上司は、もう、時計塔にいないんだよ。

ううん、どこにもいなくなってしまったんだよ。



「誰が、直してくれるの」

「すぐに代わりの役持ちが現れるさ」


エースは笑ってみせる。
いつもよりぎこちなく、無機質に、笑う。
そこから感じるのは胡散臭さなんかよりも、彼が見せたことのない悲しみ。
涙でぐちゃぐちゃに乱された視界の中で、エースだけが揺らめいている。ああ、ああ、もうその隣にあの人が立つことはない。


「エースはその人と友達になれるの」

「……どうかな」

「この時計、だれに届ければ、いいの……!」


そこで私のココロは限界を迎えた。躾のなってない犬のように大きな声を上げて泣きじゃくる。咽喉が裂けそうなくらいに痛くて声が枯れてしまうだろうけど、叫びと涙は限度を忘れたように溢れだしていった。いたい、痛い、イタイ。涙が止まらない。咽喉の奥から嗚咽が漏れる。でも本当に痛いのは体じゃなくて、胸の奥が捩じ切られたみたいに、痛い。ずきずき、ざくさく、刺されてるみたいに切り刻まれてるみたいに痛む。ああ痛い、痛いよ、助けてユリウス。
ユリウス。そうだ、彼は私の腕の中だ。時計屋であった彼は皮肉なことに私の手の上で、秒針で時を、刻んでいなかった。止まっていた。ユリウスは止まっていた。そう、死んでしまったんだ。ねぇ時計屋さん、葬儀屋さん。貴方がいなくなったら誰に時計を届ければいいの。誰か教えてよ、葬儀屋さんの葬儀は誰がしてあげればいいの。時計屋さんの時計は誰が直してあげればいい、の。

今にも壊れてしまいそう。そんな私を見兼ねてか、エースはゆっくりと、けど確かな足取りで歩み寄ってくる。
ぼやけた視界でもちゃんと分かる笑み。どうしてユリウスが死んでしまったのに笑っていられるのだろう、とは思わない。だってエースは、ただ唇で弧を描いているだけで本当に笑っているわけではなかったから。
彼はすっと私の目前で屈むと、その手で涙を拭う。硬い布地の手袋が私の頬を擦った。この後、何と言われるのか予想もつかない。例えば、すぐに代わりが現れるんだから泣かなくてもいいよ、とか。例えば、取りあえずその時計を回収させてくれないかな、とか。
エース、貴方の紅い眼は何を見ているの。私、それとも私が抱き締めてるユリウスを存在させていた時計、それとも、もっと別の何かですか。


それでもエースはにっこり、無理矢理に笑ってみせて。
その整った唇を、開く。


「ねぇ、なまえ。俺、いいこと考えたんだ」

「いい、こと」

「そう、いいこと」


わざとらしく悪戯っぽく言って、エースがすらりと引き抜いたのはハートの騎士の剣。昼の時間帯の太陽を照り返して、銀色に輝いている。
どうしてだろう、今の私には何故か、この時エースが何をしようとしているのか、よくわかった。



「このまま…さ、壊してしまえばいいと思うんだ」


「そう……それは、名案ね」


「だろ?」


私は新しく流れた涙をそのままに、微笑んだ。きっとエースと同じくらいにぎこちなく、微笑んだ。
ユリウスがここにいたのなら、「二人揃って変な顔をするな気持ち悪い」とでも言ってくるのだろうけど、残念ながらその悪態を吐く声は二度と聞けないのだ。

とにもかくにも、私は時計をすぐ傍に置いて、立ち上がったエースを見上げた。
逆光の中、真黒になったエースが剣を翳すのが分かる。眩しい銀色が目に刺さって、だけど綺麗だったから目を閉じることはしない。
私とエースはまったく同じ表情をしているのだろう、彼が弧を描いた唇から、名残惜しそうに言葉を紡ぐ。私もそれに倣って声を発することにし、ほぼ同時に生まれて、地に落ちて、弾けて消えた言霊は、誰へ向けられたものだったのか。





『バイバイ』





時計が動いていないからわからないけど、別れの時間が今だというのは確かで。
今、つまり別れの時間は一瞬で終わって、そして、新しく生まれたのは、何だった?






こわした


fin.
09.0915.
エースが壊したのはユリウスの時計か、少女か、自分の時計か、それとも全部か。
解釈は読者様にお任せします、エースは何しでかすか予想つかない性格だし


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