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「私は、あなたたちと同じになりたいな」

かちゃり。

控えめな高い音を立ててティーカップを皿に戻し、少女はぽつりとそんな言葉を零した。
それを聞いた帽子屋ファミリーのボスはぴくりと眉を動かし、No.2はひょこりと耳を揺らし、先刻の台詞を発したのが目の前の少女であるのが信じられないとでもいうかのように、普段とどこも変わらぬ表情の余所者を窺う。
彼女はいつもどおりの緩い表情でそこはかとなく力が抜けている様子でいて、帽子屋――ブラッド=デュプレと同じような雰囲気を醸し出していた。尤も、彼ほど冷たい雰囲気を放っているわけではなくただ単に緩いだけなのだが。
ブラッドは彼女に倣い手にしていたティーカップを更に置く。紅茶好きというよりも紅茶狂いの彼が、途中でそれを中断するのはとても、とても珍しいことだった。


「…それはどういう意味かね、お嬢さん」

「知ってるくせに聞くんだね、君は」


マフィアのボスらしい低く鋭い声に怖気づくこともなく、少女はゆるーく笑ってみせる。普段からこののらりくらりした態度を崩さない彼女を、ブラッドは気に入っていた。無論隣で訝しげに眉を寄せている腹心も、血塗れの双子と謳われる門番も、役なしである構成員たちも。
だからこそブラッドは、何故彼女がそんなことを言うのかがわからない。


「……あんた、マフィアになりたいってのか?」

「はは、それもいいかもね。どうせすぐ死んじゃうだろうけど」


三月ウサギエリオットの、極めて珍しく真剣な声にも動じない鋼の心臓を持っている彼女は、ある意味殺しても死なないかもしれない。
だが二人の"役持ち"たちにはその感覚が分からない。心臓を持っていない、から。
エリオットも分かっていた。彼女がどういう意味で自分たちと同じになりたいと言ったのかを。上手い具合に流され、彼は伏せ目がちに、ウサギ特有の長い耳をひょこひょこと揺らした。


「何でだよ、あんたは余所者だ、それでいいじゃねえか」

「この世界では特別だから?」

「ああ。俺もブラッドもガキ共だってあんたのこと大好きなんだぜ?それとも不満か何かがあってんなこと言うのかよ」


最後にはしゅんと項垂れてしまったエリオットを彼女は可愛いと思う。そして頭を撫でてやりたいとも思う。かなり長身でガタイのいい男にそんなことをしようと思うのはおかしいだろうか、いや、おかしくない(反語)。
何故なら頭上の長い耳が可愛いからだ。ウサギ耳が。それを言ったら「俺はウサギじゃねぇ!」だなんて言われて話がそれるので彼女は言わない。心の中で、どう見てもウサギなのにね、と付け足して。



「……何かあったのか、お嬢さん」

「別に何もないけどそう思った」

「この世界に残ったことを後悔しているか?」

「全然後悔してません」

「だったら何故、そんなこと。私たちのことはもう、知って」

「知ってるよ。みんな、みんな、私やアリスの国で言う"時間"なんでしょう」



「だから私も時間になりたいって思ったの」


ハートの国の住人は、時間だ。
十二人の役持ち。その他の顔がない役なし。役持ちには顔があるが、個人に意味はない。ただその役だけに意味があり、役持ちが死ねばすぐに変わりが現れるという、それがルールだそうだ。それをよく、トランプのカードに例える目に痛い赤を纏う男が教えてくれた。ついでに夢に現れる親切で意地悪で病弱な夢魔も。

彼らは一様に時計によって存在を確立している。
少女の胸の内にある心臓の代わりに、この世界の人間は時計が秒針を動かしている。
ちくたく、ちくたく。
初めてその音に触れた時はさすがの彼女も引いた。
だがそれで納得いったも同然だった。そこにあるけれど、見えないもの。時計がないと存在すら目にとめてもらえない、時間そのもの。胸の中の時計が壊れれば、骨も残さず消え、残像に時計を回収され、時計屋に修理され、その時計は使いまわされる。ただ、同じ人物が二度と戻ってくることはないそうだ。



「私がたまたま大好きだった時間は、あの嫌ーな騎士さんの時間だったんだけど」


彼女は視線を下に落とし、手の中で何かを弄んだ。ティーテーブルを挟んでいるブラッドやエリオットに、それが何なのか確認することはできない。


「エースがさ、そうやって"時間"を大事に想い、過ごした私に好意を向ける気持ちも何となくわかるんだ」


ブラッドが窺い見ると、彼女は微笑んでいた。意外と斜に構えている面もある彼女が含みも自嘲もない笑みを浮かべるのは珍しい。それこそ、ブラッドが紅茶を冷めるまで放置してしまうほどに。



「変でしょう、私は余所者なのにね」



「……変じゃないだろう。君もそれだけ、私たちの世界に馴染んだということだ」


眉を潜めて、ブラッドは冷めた紅茶を一気に流し込む。
そんな不機嫌な様子さえ少女は笑って見ている。エリオットはその笑みが、どこか某ハートの騎士に似ているように感じた。



「私が、時間になりたいと思ったのはね。大切にしてくれるからだよ」



「…馬っ鹿じゃねぇの。この国じゃ誰も時間なんて歯牙にもかけねぇだろ」


ブラッドの代わりにエリオットが答えた。いつものように軽い感じではなかった。
少女は頷く。視線は手元に落したまま。


「そうかもしれない。けど、必ず誰かに必要とされる。私がエースや、君たちを必要としたように、ね」

「…馬鹿か」

「うん。事実、私はこの国の十二人を必要としたし、役なしの人たちも大事に思う。凄く大切。みんな特別だよ」

「……随分とたくさん、特別がいて大変そうなお嬢さんだ」


新しい紅茶を注ぎながら、機嫌を直さないブラッドが言う。彼は割と独占欲が強いので妬いているのだろう。立ち上る湯気の香りがその場にいた者の鼻腔をくすぐる。エリオットは無意識ににんじんスティックへと手を伸ばしていた。
ふと、少女の目が伏せられる。睫毛が頬に影を落とす。


「時間は必ず、誰かの心に刻まれる。誰かがずっと憶えていてくれる。でも、私はそうじゃないから誰の特別にもなれない」

「何を言う。お譲さんは私の、」

「それは私が余所者だからでしょ。そうじゃなかったらとっくに撃ち殺されてる」


びくりとエリオットが肩を震わせ、にんじんスティックを噛み砕いた。小声で、「ごめん」と謝るのが耳に届き、気にしていないといえば嘘になるがこの際どうでもいいので首肯して受け流しておく。



「例えばさ、私が役なしの誰かになったら、ブラッドは飽きたと言って私を放りだす。不逞を働けばエリオットは私を撃ち殺す。簡単に想像できる当たりおっかないや」


肩を竦めながら、彼女は手の中にあったものをひょいと宙に遊ばせ、また手に戻す。だが、その一瞬でブラッドとエリオットはそれが何なのか分かってしまった。同時に息をのみ目を見張る。何故なら、彼女の持っていたそれは―――



「あ、勘違いしないでよ。私が殺ったんじゃない、たまたま死体があったから拾ってきただけ」



ち、くた、く、ちく、 たく。

彼女の手の内で定まらず不揃いな音を刻むのは、時計だった。それはこの世界の住人の、心臓そのもの。



「何のつもりでそれを拾って来たんだね」

「んな胸糞悪ぃもんさっさと捨てちまえよ」


怖い顔をして二人はそう言う。その意見は正しいことだったが彼女は首を縦には振らず、かといって横にも振ってはくれない。



「きっともうすぐ、時計屋さんの―――ユリウスの部下がこれを取り返しにくるよ。私が抵抗すれば殺してでも奪い取っていく。でも、ね――」



「彼なら、私の願いを聞いてくれそうな気がする」



彼女は敢えて、時計屋の部下の名を口にしなかった。先刻までは軽く言っていたのに。ここで言ってしまえばウサギ耳の彼が何かを察してしまうと、気を使ったのだ。




「心臓を抉り、代わりに時計をこの胸に。そうすれば私は、役なしでも時間の一部になれる、かな?」




声は、震えていた。
だが悲しいわけではない。
嬉しいわけでもない。
怒っているわけでも、感情の揺らぎで涙を流しているわけではない。
だって、彼女自身もそれが分からないのだから。

口元で弧を描くのに必死で、油断した隙にブラッドは素早くその時計を奪い取り、流れるような動作で隣のエリオットに渡した。彼は一瞬腰の銃に手を伸ばしかけたがブラッドの視線に射止められ、軽く肩を竦めてからその時計を遠くへ、遠くへ投げ飛ばす。ナイス強肩、といいたくなるほどに、時計は敷地外まで飛んで行った。きらーん、と光った気すらした。

驚いてぱくぱくと口を開閉される少女の視界が黒に遮られる。ふわりと薔薇の匂いが香った。




「馬鹿なことを言うな。私はお嬢さんが余所者でなくとも、君を愛していたに違いない」

「さて、どうだか」

「そこは素直に喜ぶところだろう」


やっと、ブラッドの奇妙奇天烈な帽子をかぶせられて視界を塞がれていることに気付いた。一度被ってみたいとは思っていたがまさかここでこんな形でとは予想外だ。




「彼ならお嬢さんの望みを何でも叶えてくれそうだが、同時に酷く危険でもある。喜んで心臓を抉りだす光景が目に浮かぶからな」

「うわぁ」

「だが私だってお嬢さんの望みを叶える力くらい持っている」

「そうだぜ、ブラッドはすげぇんだ!」


何が、とは聞かないし、聞けない。エリオットなら、「全部に決まってるだろ」と清々しいまでの笑顔で即答するのが目に見えている。

少女は暗闇に視界を遮られたまま、唇を綻ばせた。ブラッドと同じように暗いのは嫌いではない、むしろ好きだ。それに、柄にもなく湿った目元を、このままでいれば見せずにすむから。




「お嬢さん、君の望みは何だ?」






時間の国にて。





「ずっと、私の特別でいてください」


「ふむ……。それは普通、逆ではないのか?『私を特別にしてほしい』とか…」


「一方通行は仕様なの。ねぇエリオット?」


「ああ、よく分かんねーがあんたらしいと俺は思うぜ!」


「はぁ…仕方のないお嬢さんだ。あとでゆっくり、話をするしかあるまいな」


「あ、お茶会仕切り直しだね。ごめん、変なこと言ってさ」


***


くすんだ茶色の外套に、目元を隠す銀の仮面を装着した男は、足元に落ちた時計を拾い上げた。
よく見れば彼の外套は古びてくすんでいるのではなく、血の赤を落としきれずに汚れていた。恐らく、返り血なのだろう。
彼は余所者の少女とよく似た笑みを口元に浮かべてみせ、誰に言うでもなく呟いた。


「あーあ、妬けちゃうぜ。でも、幸せそうでよかったよ。俺の、特別な人が……、さ」


男は片手に持っていた抜き身の剣を軽く振って血を払い、目的地であるはずの時計塔とは正反対の道へと歩いて行った。上機嫌だと主張するような、調子のずれた鼻歌を歌いながら。


END
09.0430.


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