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積み重なる紙の山。これら全てが書類と呼ばれる類のものだが、どうすればここまで仕事を溜められるのか知りたい。持ち運ぶと、ギリギリで前が見えないのだ。あの病弱な夢魔は本当に職務怠慢らしい。部下たちに憐れみすら覚える。
その可哀想な部下の筆頭の背に、私は声をかけた。


「グレイ、この書類ここに置いていい?」


すると彼は振り向いて首肯した。手もとでは恐らくナイトメアがやり残したであろう書類をてきぱきと片付けながら。


「ああ、すまないな…余所者のお前にまで手伝わせてしまって」

「あんな上司を見ていたら誰でも手伝いたくなる」


紙の山を机の上に置いた時、がさ、なんて可愛らしい音はしなかった。どん、という重厚な音がした。紙なんて薄っぺらいものだが、積み重なると重厚だ。ここまで貯めたナイトメアは、ある意味凄いと言わざるを得ないだろう。


「ああ……グレイ、お腹痛くなったらすぐに医者に行ってね。多分それ胃に穴空いてるから」

「俺より先に、ナイトメア様を病院に連れて行きたい」


それはごもっとも。あの夢魔は所構わず吐血する。夢の中でも吐血する。なのに病院に行きたがらない。理由は、注射が嫌いだからとか薬が嫌だからだとか、子供っぽい…少なくとも大人とは思えない理由だ。かなりの心労をかけられているであろうグレイよりも、まだナイトメアの方が重症のように思う。

いや、でも待て。
彼の場合は多分病気か何かだろうが、胃に穴が空いたらそれも吐血につながる。グレイが返り血を浴びるならともかく、血を吐いているところなんて想像したくもないが。むしろできないのだが。


「……主従揃って吐血はキツイものがあるね」

「…お前は何を想像しているんだ、なまえ」


グレイが呆れながらため息をついた。普段なら幸せが逃げる、と指摘していたところだが、グレイの場合既に幸せが逃げまくっているので軽く受け流されて終わる。


「いや、ちょっと…グレイとナイトメアが並んで血を吐いてる光景を」

「その想像を止めろ、今すぐに」


これ以上彼の負担を増やせば本当に吐血しかねないので、私は大人しく口を噤んだ。十秒だけ。
残念ながら私は、仕事に殺されそうになっている人を見捨てたりはできない。……それも時と場合によるけども、これはまた別の話だ。




「グレーイ、他に何か手伝うことある?」

「ん……ああ、それじゃあこの書類をナイトメア様に渡してきてくれ」


目を通してもらうだけで構わないから、と続ける蜥蜴さんがやっぱり憐れでならない。自分から言ったものだし、そんな難しい仕事でもないし、断る理由が見つからないので、私は目を書類に落したままのグレイを眺めながら差し出された一枚の紙に手を伸ばした。


「痛っ」

「 、どうした?」


受け取りかけたところで感じた痛みに、手を反射的に引っ込めたため、書類が床に落ちた。グレイが少し驚きつつ顔を上げるが、彼がどんな表情をしているかなんて今の私にはどうでもいいことだ。痛かった。今のはかなり痛かった。薬指の先がじんじんする。
手をひっくり返してみると、薬指の腹に赤く小さな線が走っていた。そこから、徐々に赤い液体が湧いてきてやがて血の珠になる。結構深く切ってしまったようだ。


「う、わ……私ってこんなドジだっけか」

「誰にでもそういうことはある」


俺だって少し前にやった、と言いながら左手を見せる。なるほど人差し指の先に分かりにくいが線がある。まだ確認できることから、多分数時間帯前にでもやったのだろう。

それよりも自分の指の腹から浮き出てくる血が止まらない。仕方ないので、常套手段で口に含もうと手を持っていくのだが、グレイに手首を掴まれ半ば強引に持っていかれた。


「貸してみろ」


既に貸しているというか奪われているというか。取りあえず人の手を貸せっていうのはどうなんだ。私がどうでもいいことを考えているうちに、彼は自分の唇へと私の指先を導いた。

そして、かぷりと。

グレイが何をしているのかを認識するより先に、指に何か生温かくてざらりとしたものが触れた。その何かが、私の指の傷から滲んだ血を浚っていく。
それが彼の舌だと気付いた私は、あまりにも唐突なことだったので一瞬呆気に取られてしまった。何をやっているんだこの蜥蜴さんは。いや、見ればわかる。私の指(の傷)を舐めている。それくらいは普通に分かる。でも、聞かずにはいられないだろうこれは。


「ななな、グレイっ何してるのさ!?」


どうせ見れば分かるだろうとか言われるのがオチだろうけども。


「……見れば分かるだろう」


ほら、やっぱり。
指を口に含んだまま喋られるのって、何か変な気分だ。気持悪くはないけど気持ちよくもない。でもどっちかというと気持ち悪いに傾いている気がする。


「見て分からないから聞いてるんだって」

「…舐めている。消毒だ」

「……ッ」


そうは言ってるものの、グレイが舐めているのは傷があるところだけではない。こう、指の付け根まで口に含んで…ねっとりと絡みつくような……やばい、肩が震える。擽ったい。


「どうしたんだ、なまえ?」

「どうしたもこうしたもあるかッ」


何とか逃れたいのだけれど、手首を掴まれているので拘束がとけない。武器にナイフを使うだけあって握力が半端ないよこの人…いや、この蜥蜴。

それから暫くして彼は満足したのか、唇を離した。離れ際、爪先に小さく口付けされる。そしてぺろり、艶っぽく舌舐めずりをしてグレイ=リングマークは言った。


「ごちそうさま」


何がごちそうさまだ、この男は普段冷静なくせに何らかのスイッチが入ると急に周囲の雰囲気を大人の空気に変えやがって。
多分今の私の顔は赤くなっている。鏡を見なくたってそれくらいわかる。凄く恥ずかしくてすぐにでも逃げ出したい気分に駆られるのを抑え、精一杯の負け惜しみを送ってやった。


「私は君にごちそうした記憶はございません」


頂かれてもいないのだから、ごちそうもしていない。言葉遊びには多少なりの自信がある。
グレイは確かに、と小さく頷くと、書類を拾ってさっさとナイトメアのところへ行こうと早足に歩いていた私を呼び止める。律儀に振り返ってしまった私は、既に背後へ迫っていたグレイに驚きつつ恐る恐る見上げると、彼は何だかとてもいい笑顔を浮かべている。怖い、などと思っているうちに私は壁に追い詰められていて。


「だったら俺は、君を美味しく頂かせてもらうとしようか」


はっとして先刻の発言を思い出し取り消そうとしたところで、後の祭りだった。

指先に再び滲む血のしずくが、床に落ちる。




しずく




言葉選びは慎重にしよう。
目が覚めた私は痛みを伴う教訓を得て、まだ隣で眠っている蜥蜴を何よりも愛しく思った。


(ナイトメアには、内緒だ)
(…通用しないだろうけど)

END



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