ss | ナノ






もしこの場所が深い地の底だったとしたら、私は自由を知らずに生きていけたのだろうか。
例えるならここは鳥籠だ。いや、それも美化した表現に過ぎない。ここは、私の自由を奪う監獄。窓はあるというのに、冷たい鉄の格子が蒼い空を分かつ。手を伸ばすことしか許されない自由。夢見ることしか許されない外。

理由は、憶えていない。小さいころからここに閉じ込められていて、確か人質とかそんな類だった気もする。お侍様の事情は、女の私には到底理解できるものではない。決して満足しているわけではないが、衣食住はそこらの農民よりもかなり上等、だそうだ。
だけど、こんなの人形と変わりないんじゃないかと私は思う。私が見たことのある人間は、ちゃんと生きていた。でも、私は、

生きているって、胸を張って言えるのだろうか。
死んでるのと、同じなんじゃないかな。


それでも、そんな私にも、ちゃんと生きてるって言える瞬間があった。
それはここ数か月、毎日の中のほんの一瞬、取るに足らない時間なんだけど。




「なまえー!!」



ああ、ほら。今日も来てくれた。



* * *









格子の掛けられた窓から顔を覗かせたのは、銀髪で眼帯をしている、立派な体躯の男。数ヶ月前二人は偶然窓越しに顔を合わせ、彼女がここへ閉じ込められていることを知ると、それ以来彼は律儀にも毎日通っていた(聞くところによると忍びこんでいるそうな)。


「御機嫌麗しゅう、弥三郎さま。今日はお早いのですね」

「おうよ。早くなまえに会いたいと思っていたらつい、な」


初対面の際"弥三郎"と名乗った男は、どうやら長曾我部という大名に仕えている侍らしい。そんなお偉い様がこのようなところに通いつめていていいのか、と以前彼女――なまえは尋ねたのだが、「海の男はそんな小せぇこと気にしねー」ということだった。そうか、長曾我部様は海の男なのか、と彼女が一つ学んだ瞬間だ。
弥三郎が肌蹴た装束を着ているのも、主君と同じように海の男だからなのだろうか?


二人の間では話題が尽きることなく、また笑顔が尽きることもなかった。なまえの知らないものを、弥三郎は色々知っていて、特に海については誰よりも知っている自信があるとか。



「弥三郎さまは、私の知らないことをたくさん知っているのですね」

「そりゃそうだが、逆にお前が知らなすぎるんだよ。つってもこんなとこに閉じ込められてちゃ当然か」

「……すみません」



弥三郎は少しだけ眉を下げ謝るなまえを見て、一瞬、普段彼が浮かべないような難しい表情をしその隻眼を伏せた。
そして、何かを決心したように、いつの間にか引き結んでいた唇を開く。



「なぁ、なまえ。俺……もうここには来れねぇ。明日、戦があるんだ。俺は……あー、長曾我部サンは、この城に攻め込むつもりでいる」

「……………お別れ、ですか?」

「さぁな。だがせめて、明日を楽しみにしておけ」


彼の言葉の意味が解らず、なまえは首を傾げる。なぜ、自分のいる城が攻め込まれるのを楽しみにしろというのか。下手をしたら巻き込まれて命を落としかねないというのに。


「というわけだからなまえ。弥三郎のことはもう忘れろ。じゃあな、あばよ!」


本当は、去っていく大きな背中を追いかけて行きたかった。だけど、二人を隔てる格子がそれを許してはくれない。
なまえは、祈るような声で「お気をつけて」と呟くことしかできなかった。


忘れるなんて、到底出来やしないのに。













翌日、弥三郎の予告通り戦が起こった。城内は騒がしく、離れであるなまえの座敷牢までもその喧騒が聞こえてくるほどだ。
しかし、彼女は驚くほどに落ち付き、窓際の壁に頭を預けて目を閉じていた。忘れろ、と言った彼の表情が忘れられない。まるで明日を心待ちにしている少年のようなあの表情が、ずっと胸の内に留まっている。


「弥三郎さま」


愛おしく思えるその名を、か細く紡いだ時だった。



激しい衝撃と轟音が同時に彼女の部屋を襲い、体勢を崩したなまえは畳に倒れ込んでしまう。あまりに突然のことで状況が理解できなかったが、どうもこの凄まじい音は壁が崩れる音だったらしい。狭い窓から僅かに差す光よりもずっと眩しい、暖かい光がなまえの白い肌を照らした。

ゆるゆると顔を上げれば、大きな壁の穴には人影が。逆光でその顔は確認できないが、それが誰なのかは確信に満ちていた。



「弥三郎……さ、ま……?」



白い歯を見せて、影は、弥三郎は笑った。



「おう、待たせたな姫さん!迎えにきたぜ!」



彼はそう言うと、碇のような槍を軽々と肩に担ぎ大股でなまえに歩み寄る。
まさかこの武器一つで、座敷牢の壁を破壊したとでもいうのか。長年閉じ込められていたこの檻を。それよりもどうして、どうして再びここに来たのだろう。昨日、自分のことは忘れろと言っていたじゃないか。彼女は信じられない気持ちで一杯だった。



「どう、して、弥三郎さま」



もう来ないと思っていたのに。

そう続けると、彼は若干罰が悪そうに苦笑した。



「悪いな、なまえ。俺ぁ、お前に会ってからずっと嘘吐いてたんだ。俺の名は弥三郎じゃねぇ」

「………教えて、くれませんか。貴方の名を」



「へっ、よくぞ聞いてくれました!



鬼ヶ島の鬼たぁこの俺よ!長曾我部元親よ!!」




―――ああ、そういうことか。私はずっと騙されていたんだ。

なまえはある程度賢い人間だったので、全てを理解することができた。
弥三郎が仕えていると言った長曾我部元親は、実は弥三郎自身で。昨日自分を、弥三郎を忘れろと言ったのは、真実を告げる覚悟の表れ。何故今まで隠していたのかは、考えなくてもわかる。一国の主ともあろう者が、他国の城にお忍びしていたなどと、口が裂けても言えない。

改めて見ると大名らしくない弥三郎、改め元親は、まだ困惑気味のなまえの頭を乱暴に撫でた。








「やさ……元親さま、何故ここにいらっしゃったのですか?」

「あァん?んなもん決まってんだろ………っと!」

元親の隻眼が妖しく光る。なまえが何か不穏な空気を感じ後ずさった瞬間、視界が目まぐるしく半回転し、続いて腰に圧迫感。目の前には、どうしてか彼の背中が逆さまに存在していて。
嫌でも自分が俵担ぎ状態だということに気付かされてしまう。


「も、とちかさまっ!?」

「うおっと、大人しくしとけよなまえ!これからお宝持って大脱走と洒落こむんだからな。いいねぇ、海賊の醍醐味じゃねぇか!」

「海賊って………」


元親は走り出す。こんなに早く移動したのは、生まれてこの方初めてかもしれないとなまえは感動するが、残念ながら辺りの景色を楽しむわけにもいかない。何故なら目に映る人は手に手に刀やら槍やらを持って元親を狙って来るからだ。堅く眼を瞑るなまえの耳に、戦の喧噪以外の優しい声が届く。彼女を担いでいる海賊のものだ。



「俺ァ海賊だ。欲しいもんがあったら力ずくでも奪い取る。今までもそうだった。そんで、新しく見つけたお宝は狭い部屋に閉じ込められた囚われの姫さんだった」



私のことか、となまえは薄く眼を開くが、野太い悲鳴が聞こえてまたすぐに目を閉じた。



「一目惚れだった。だが作戦も練らずに乗り込んだって結果は知れてる。それでも欲しいもんは欲しい。だからこの俺が少しずつ作戦練って今日やっと出撃ってわけよ!


野郎ども、お目当てのお宝は頂いた!!撤収だ!!!」



彼が声を張り上げると「アニキー!」という返事が返ってきて、どんどんと長曾我部軍のものらしい船に乗り込んでいく。元親はなまえを担いだまま乗船し、そこでやっと彼女を下ろす。目が回ったのか、なまえはよろけて元親に凭れかかった。




「……っつーわけで、俺は海賊の流儀ってヤツに倣いお前を攫ってやったわけだ。理解できたか?」




間近で見たその笑顔。私は貴方と出会った瞬間、生を受けたのかもしれません。

静かに微笑み、なまえは頷く。元親は満足そうにまた笑って、その頭を撫でた。大きな手が太陽のように温かくて気持ちいい。辺りを見渡せば、一面の海。これが、彼の見てきた世界なのか。






海賊の流儀






END

(私も海賊になりたい)
(…駄目だ)
(……………)
(そのかわりお前は鬼の妻にしてやらぁ)


[] | []

人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -