子供だってそう泣かない。


 もう日は沈みきっていた。けれど、その公園にはまだ人の気配があった。
「おいしい……」
 ちぎったあんまんをゆっくりと飲み込んだあと、少年は隣にいる中華服の男の顔を見て言った。男はうれしそうに笑うと「でしょう?」と目を細めた。
 少年――骸はそれにほんの少しの笑みを見せると再び手元のあんまんをちぎり、口に入れた。ふんわりと広がる控えめな甘さに表情はさらにやわらかくなる。隣にいた男、風は年相応さを見せた顔に薄く息を吐いた。まだ顔色は青白いが、彼の不安定な精神状態で物を口にできただけ進歩だと思う。
 六道骸が並盛中学校に転校してきた少女を強姦したのだそうだ、という話は先月中国の住居に届いた弟子の手紙で知った。
 六道骸。その不吉な名前は、マフィアに直接関わっていない風も聞いたことがあった。友人が裏社会を支配する巨大ファミリーに属していることもあり、大きな情報は動かずとも流れ込んでくる。
 裏社会の噂からは、いわく鬼神のごとき強さを持つ冷酷非情な大量殺人者。
 そんな人間を生徒の守護者にした友人からは、いわく変な髪型の子供。
 噂と友人の話のちがいにさすがの風も困惑顔になり、思わず半年前に六道骸が復讐者の牢獄から解放されたと聞いたとき、その姿を見るため一度日本へ渡ってしまったものだった。
 風は、大分小さくなったあんまんをちまちまと食べる少年を見つめた。青みがかった黒髪そのあいまから見える耳、細い首筋、学生服の袖から覗く傷だらけの痩せた手首。
 ガリガリに痩せたわけではないが、それでも半年前に見た六道骸と目の前にいる少年はかなり印象がちがう。以前見たときは、もっと生意気そうな、大罪人とは思えぬほど気高い雰囲気を持っていた。しかしいま隣にいる少年は、ふわりと吹いた風にあたっただけで消えてしまいそうなほど弱々しく感じられた。
「――すみません、もうこれ以上は……」
 ふいに骸がこちらを向いた。一瞬きょとんとしてしまったが、どうやらあんまん1個だけで満腹になったらしい。
「いえ、無理に食べても仕方ありませんからね。むしろよく頑張りました」
 友人の言葉どおり確かに不思議な髪型の頭をそっと優しく撫でてやると、血色の悪かった頬が赤みを帯びて左右色ちがいの瞳が揺れた。
「こ、子供扱いしないでください」
 ぺしっ、と手をはたかれた。素っ気なく顔を逸らす骸に風はさらに笑みを深める。
 冷酷非情な大量殺人者、か。
 警戒されたときの様子から、人を殺めることに躊躇いなどしていられない世界を生きてきたのだろう。だから、裏社会の噂は間違いではない。
 けれど、友人の言葉も間違いではなかった。
 いま目の前で頭を撫でられただけで顔を赤らめている少年は、確かに“子供”だったのだから。
 余ったあんまんの袋を懐にしまいこみ、風はもう一度骸の頭を撫でて立ち上がった。
 守らなければならないと、改めて思った。
 座ったままの骸のまだ赤らんだままの頬をなぞる。指先に感じた熱を胸の奥に刻み込む。
 さらりとした髪も、この体温も、学生服の上から見ても頼りなさそうな肩も、戸惑いに揺れる瞳も、すべてとても尊いものだ。
 理不尽に壊されないように、誰かの欲望に押し潰されないように。
「ねえ、骸」
「な、何ですか?」
 いまここに宣言しよう。
「私が、あなたを」



 ――骸の見開いた目から流れ落ちたしずくは、頬をなぞる風の指先に宝石より美しい輝きを作った。
 風はそれを見て、また泣くのかああやはり彼は子供だと苦笑した。



20130904


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