すぐそばにいて抱きしめて。
「お腹すきませんか?」 夕焼けを浴びて赤みを帯びた公園のベンチに座っていたら、面識のない男が目の前に現れた。 焼けるように赤いカンフー服を身に纏った、雲雀恭弥と瓜二つの顔立ちをした男だった。しかしまったくの別人であることは、三つ編みにされた長い襟足とにこやかな笑顔から察せた。 「……あなたは、誰です」 相手の質問には答えず、逆に掠れた声で問いかけた。雲雀恭弥似の男は質問を質問で返したことに気を悪くすることもなく、やわらかく微笑んで答えた。 「私はフォン、風と書いてフォンと申します」 「中国人……? 僕は中国人の知り合いなどいませんが。僕にはお構いなく。邪魔ならここを立ち去ります」 骸はふらりとベンチから腰を上げて、前とは比べ物にならないくらい下手くそな作り笑いをガーゼや絆創膏の目立つ顔に浮かべた。無表情に限りなく近い微笑を目にした風は、微かに眉を下げる。 「いえ、邪魔などとんでもない。私はただ、あなたとお話がしたかったのですよ」 「ほう? 初対面だというのに好奇心旺盛な方だ。しかし僕はあなたに何の用もない……」 骸はそう言ってうつむき、そっと風の脇を通り抜けようとした。が、目にとまらない速さで伸びた手に腕を掴まれたかと思うと凄まじい勢いで、しかし痛みを感じないよう支えられながらベンチに逆戻りさせられた。 「まあまあ、そう言わずに」 にっこりと笑った男は驚愕する骸の隣に馴れ馴れしくも座ったかと思うと、ゆったりとした袖口から茶色の紙袋を取り出してさらにその中に手をつっこんだ。 「っ、僕にこんな真似して無事でいられると……っむぐ?!」 しゃべっている最中の口に白い何かを押し込まれた。それは到底一口ではおさまりきれない大きさで、口からこぼれかけた。骸は慌ててそれを手に取って、それから首を傾げる。 「……まんじゅう?」 「ふふ、私の手作りなのですが、いかがでしょう?」 風は口元に手をあてて穏やかに笑った。骸は意味がわからず「はぁ?」と顔をしかめた。 「あなた、最近ほとんど食べていないのでしょう? なので何か食べ物をと思ったのですが、ほとんど食べていないのなら軽めのもののほうがいいだろうと考えまして……それであんこのおまんじゅうを。日本ではあんまんというのでしたっけ?」 「な、なぜ面識のないあなたがなぜそんなことを知っている……!」 疑問を警戒心に変換させ、ふたたび骸はベンチから立ち上がった。おぼつかない足取りで風から距離を取ろうとした骸の手からあんまんがこぼれ落ちる。敵対心を抱かれはじめているというのに、風は鋭い視線も気にせず座ったまま手を伸ばして地に触れる直前のあんまんをキャッチし、「ああ、危なかった」と笑みを崩さないまま言った。 「あなたは何者だ。なぜ僕に近づいた」 ふらつきながら威嚇する骸のほうを見て、風は「まあ落ち着いてください」とまたも笑ってみせた。 「あんまん食べませんか? 早く食べないと冷めてしまいますよ。あ、それともお肉の入ったおまんじゅうのほうがよかったのでしょうか?」 「ふざけるな」 「ふざけてなどいません。食べることは大切なことです」 骸は鼻で笑った。本当に、ふざけた男だと思った。 先日自分に「汚ならしいケダモノだ」と言いはなった男と同じ顔で、食事は大切だと言う。馬鹿か。今の自分に食事などまともにできるわけないじゃないか。 何を食べてもすぐに気持ちが悪くなってしまうのだ。ついこのあいだコンビニエンスストアで買ったサンドイッチは一口食べただけで吐き気を催した。 きもちわるい。何もかも気持ち悪くて仕方ない。 自分に犯されたとほらを吹く女も、それを信じきって自分に攻撃してくる偽善者どもも、並盛に問題がなければ傍観者を気取る男も。 「私は、あなたに危害を加えるつもりはありませんよ?」 骸は肩を跳ねさせた。細くつり上がった目の中の黒い瞳は温かい光とともに真剣さを帯びていた。 「……そう言いながら、人間は凶器を隠し持っているものです。信用など絶対できない。もしかしたらそのまんじゅうの中には毒が含まれているかもしれない」 「間違いではないでしょうね。私の作ったものに毒、とは心外ですが、ごもっともな警戒です。……ああ困りました」 眉を下げて笑う風は、しかしあまり困っているようには見えなかった。 「――そうですね。では、私の近くに来なくても、私の言葉にこたえなくても構いませんので、せめてもう少しだけそこにいてもらえませんか?」 「……なぜ、僕にいてほしいのですか」 「今から私がこれを食べるからです」 風は手のあんまんを一口サイズにちぎって自らの口に運んだ。もぐもぐと咀嚼したあと「うん、やっぱりおいしいじゃないですか」とひとりごとを漏らす彼を骸は眉をひそめて見つめた。 「意味がわからない……」 「先ほど毒があるかもしれないとおっしゃっていたでしょう? なので、毒味してみせているのです」 言いつつ、風はあんまんをちぎり口に含む。上品な男で、口にものが入っているあいだは目を伏せて黙りこんだ。 「そんなに僕にそのまんじゅうを食べてほしいのですか」 「……ん。はい、そうですね。あなたのために作ったものですから、ぜひあなたの口に入ってほしいです」 「僕のために? どうして、僕なんかのために……?」 「お近づきのしるしでもありますが、とにかくきちんと食事をしてもらいたいので」 ふわりと温かい笑みを向ける風に、骸はかすかに胸の内側が熱くなるのを感じた。 ダメだ、と思う。期待などしてはいけない。 「なぜ、僕に近づきたがる」 「以前から興味深く思っていたのですが、例の件が起きてあなたが心配になったのです。来て正解でした。ずいぶん痩せてしまいましたね……」 慈愛のこもった目。胸の奥にともった熱が温度を上げる。例の件。ああ、この男は信用できるかもしれない、と。 「ちがう」 下を向いた骸は小さくつぶやいた。無意識に両手で自分の身体を抱いた。 風は骸のつぶやきに聞こえていないふりをして、残ったあんまんを食べきった。 「さあ、もし私の作ったあんまんに毒が含まれていた場合、私はすでに死んでいます。これであんまんに毒がないことを信じてもらえますか?」 両手の手のひらを見せるカンフー服の男を骸は一度見やり、また下を向いた。 「どうして、僕のためにそこまで?」 自分でもびっくりするくらい情けない声だった。みじめで、情けない、自分。強姦魔の汚名を着せられた自分。 風は他のあんまんが入っている紙袋をベンチに置いて立ち上がり、骸に一歩ずつ近づきながら問いに答えた。 「あなたが、いま本当にひとりだから」 本当は脆いあなたを誰かが支えてあげなくてはいけないと思った。 骸の細い肩にそっと手を置いて緩やかな力で引き寄せる。無抵抗に腕の中に入った骸の頭をそっと撫でた。 「ぁ……」 その温かさに涙が出そうになって恥ずかしくなった。最近冷たい武器と火傷するほど熱い炎ばかりを肌に感じていたから、人肌はあまりにも新鮮すぎて。 「ねえ、六道骸? 私はあなたのことを信じたいと思うんですよ」 幼子をなぐさめるように背中をなぜる手は優しかった。 「どうか。――どうかあなたも、私のことを信じてはくれませんか?」 「しん、じる」 「ええ。私はね」 ぎゅっと抱きしめられて骸の頬が赤らんだ。誰かに抱きしめられのは、生まれて初めてだった。
「あなたをまもりたい」
震える手が、赤い服の背中をぎゅうっと握った。
20130831
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