『美坂家の秘め事』53

「お先にー」

「お疲れーお兄さんによろしくねー」

 学がニコニコと手を振っているのに笑顔で応えた。

 心の中は全然そんな気分じゃない。

 店を出るのも憂鬱になるけれど逃げ出せるはずもない。

 駐車場の一番端に拓弥の車が止まっているのが見えてやはり現実なんだと思い知らされる。

(ビビるな栞!ハッキリさせるチャンスだと思えばいいじゃん!)

 自分自身に喝入れてみても気持ちはしゃっきりしない。

 栞はいつもよりもゆっくり歩いて拓弥の車へ向かった。

「お疲れ」

 車のドアを開けると拓弥が声を掛けた。

 運転席の窓を開けてタバコを吸っている拓弥はスーツの上着を脱いでネクタイを緩めている。

(肉親じゃなきゃ間違いなく落ちてるね)

 そう思わされる拓弥の横顔をチラッと見ながら黙って車に乗り込んだ。

 助手席に置かれた上着を持ちながら座ってドアを閉めた瞬間に栞は激しく後悔した。

(後ろに乗ればよかった!)

 二人きりで後部座席に座るほど不自然なことはないけれど今の栞にとって拓弥の隣に座る事は耐えがたかった。

 けれど後悔しても遅く車は動き始めてしまった。

「栞ー」

 拓弥に呼ばれてギクッと体が強張る。

 うまく声が出せずに返事が遅れて変な間が出来てしまう。

「今日の夕飯なに?」

 栞が返事をするよりも先に拓弥が言葉を続けた。

 他愛もない言葉に栞は緊張が少しほぐれていくのを感じた。

「ほ、ほっけ…の塩焼き」

「いーねー。味噌汁の具さーキャベツと玉子にしてよー」

「いーよー」

 家に着くまでのたった数分の間は結局夕飯の話で終わった。

 けれど栞はたった数分ではなく果てしなく長い時間に感じていた。


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