『番外編』
月に一度の日曜日【4】

 両手に食い込むレジ袋。
 今までの人生を振り返ってみても、こんなに大量の氷を買ったのは生まれて初めてだ。

 これだけあれば足りないとか言われるはずないよな。

 陸はエレベーター内で上がっていく数字を目で追いながら、数分前の出来事を思い出して治まっていた怒りが込み上げて来ていた。

 あのガキ――といっても年齢は変わらない――あれが店員の態度か、いったいどういう教育しているんだ、うちの店なら即刻オーナーの制裁が下っているレベル。

『氷っスかー? ないっスねー。ま、冬なんでー』

 マンションを飛び出して一番近く、そして一番お世話になっているコンビニだった。
 ケースの中に氷がないことを確認して、レジにいた店員に聞いた結果がその答えだった。

 本当なら文句の一つも言ってやりたかったが、一分一秒も惜しかった陸は二度とこの店は使わないと心に決めて、次に近いコンビニへと向かった。

 おかげさまで二軒目でカゴ二つ山盛りになるほど氷を買うことが出来て、さすがに店員の女性には怪訝な顔をされてしまったが、ニュースで連日のように北の方の大雪の様子が映し出されるのだから仕方ないといえば仕方ない。

 真冬に大量の氷を買い込むなんて、傍から見ればかなり変な人に違いない。買っている本人ですら、この大量の氷を何に使うのまったく見当もつかず、けれど足りないとまた買いに行かされることだけは絶対に避けたくての結果だ。

「ふぅ」

 寒いのに冷たい物を両手に下げて、身も心も冷え始めていた頃、エレベーターはようやく上昇を止めた。


「ただいま、麻衣!! はい、これ!!」

 玄関からキッチンまで駆け抜けて、両手に下げていたレジ袋をドンと置くと、キッチンにいた彰光が吹き出したけれど、構わずカウンターの向こうにいる麻衣の下へと駆け寄った。

「麻衣、何もされ……」

 何もないとは分かっていても、男ばかりの中に大切な彼女を一人残していくことは心配で声を掛けたけれど、麻衣が手にしている物を見て続ける言葉を見失った。

「陸、お帰りなさい」
「ただいま、麻衣。……じゃなくて、何してんの!?」

 ふんわりとした笑みで出迎えられれば、さっきまでの極寒は嘘のようで春の陽だまりの中のように、心も身体もほわりと緩んでしまう。

 強張っていた表情筋がだらしなく緩んだ次の瞬間、麻衣がグラスに入った飲み物を手渡している光景に下がりかけていた眦が吊り上がった。

「あ、陸も飲む?」

 何を、とは聞かなかった。正しくは聞くまでもなかった。
 麻衣のすぐ横、カウンターの上にはウイスキーのボトルとソーダとアイスクーラー、それを見て自分が買ってきた氷の使い道と、明らかに買いすぎた氷をどうしたらいいのかを、すぐに悟ることが出来た。

「何、麻衣に酒作らせてんだよ!! お前ら全員ホストじゃねぇか!!」
「今は違いまーす。プライベートでーす」

 今、言ったのは誰だと、ダイニングテーブルを取り囲む男たちの顔を睨みつける視線の端で、空気も読まずグラスに氷を入れる麻衣の姿を捉えた。

 慣れているというには語弊があるけれど、麻衣は手際良くグラスを氷で満たしていき、ウイスキーボトルの蓋を開けてグラスを横から覗き込みながら静かに注ぐ、その手つきがすごく慎重でグラスを覗き込む瞳はとても真剣で、陸の視線は麻衣に釘付けになった。

 見られていることを知ってか知らずか、陸のことなど視界に入れずに今度はさっきよりも慎重な手つきでソーダを注ぐ、グラスの縁までなみなみと注がれるとマドラーで軽くひと混ぜした。

「はい、陸」

 出来上がったハイボールを一番大好きな笑顔付きの両手で差し出されて、訳も分からず受け取った陸は、期待に満ちた視線を熱烈に送られるとそのまま一口飲んだ。

「……美味しい、よ?」

 特別美味しいというわけでもない、普通に美味しいハイボールだけれど、だからどうして麻衣がハイボールを作っているんだという疑問は解決されなかった。

「前々から思ってたんだよね」
「彰さん?」
「ほれ、すき焼き様のお通りだぞー。どけどけー。テーブル開けろよー」

 ハイボールのグラスを持ったまま首を傾げていれば、熱々の湯気が立ち上る鍋を持った彰光がキッチンから出てくる。

 グツグツと煮え立つ鍋の登場に、全員の口から「おおっ」と低い歓声が漏れると、どっかりと腰を下ろしていた誠がガスコンロに火を点ける。

「あのハイボールのCMあるだろ? あれを麻衣ちゃんにやってもらいたいなーって。あ、響ー冷蔵庫から玉子持ってきて。今日は奮発して名古屋コーチン様だぞー、ありがたく食えー」
「うぃーーっす」

 響が冷蔵庫から持ってきた玉子を各々が取り皿に割り入れて、早い者勝ちと言わんばかりに肉の争奪戦を繰り広げている同僚たちには、呆れて口を開けたままの陸の姿は映らない。

「ほら、二人ともそんなとこに突っ立ってないで食わないと。っと、その前に……麻衣ちゃん、陸の前でもう一回アレやってあげてよ。あ……そこはやっぱ陸バージョンで」

 あっという間に空になりそうな鍋を覗き込んでいた彰光が振り返り麻衣に向かってパチンとウインクをする。

 アレってなんだ、と思考の追いつかない陸が彰光から麻衣へと視線を移すと、麻衣も手にグラスを持ってコホンと咳払いをした。

「麻衣?」
「えっと……、私は陸のことが大好きです。だから、これからもよろしくね。ハイボール!」

 乾杯とばかりにグラスを軽く合わせて、頬を染めてほんの少し上機嫌だけれど照れくさそうに笑う麻衣。

「あーもうっ、なにコレ!! 可愛いんですけど!! ものすごく可愛いんですけどっ!? 何、襲われたいの!? 今すぐ襲って欲しいの??」

 両手でグラスを持って口を付ける仕草も愛らしくて、陸はその場で身悶えするとハイボールを一気に煽った。

「おかわりっ!!」
「ハイボール?」
「イエッス!! ハイボォォォォルッ!!」

 妙なテンションの陸にグラスを差し出されて、麻衣はニッコリとそれを両手で受け取ってさっきと同じように慎重にさっきよりも手際良く作る。

 そしてまた両手で差し出されたグラスを受け取って、陸は自分の食べる肉が残りわずかになっていることにも気付かずに、同じことを何度も何度も繰り返した。

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