『番外編』
Be My Valentine6
勢いで歩き始めてしまったけれど、この辺りの地理には詳しくないことにすぐに気が付いた。
おまけにさっきから止まらない涙が叩かれた痛みの消えない頬を濡らし続けている。
(本当に追いかけて来ないし……)
自分で宣言しておきながら、本当に追いかけて来ないと無性に腹が立った。
代わりとばかりに鳴り続けていた携帯は少し前に電源を切ったおかげで静かになった。
歩き続けているうちに頭の中が冷えて冷静さが戻ってくると、怒りは悲しみに変わっていた。
幸せだと思っていたのは自分だけ、雅樹に限って浮気なんてありえない、そう思っていた自分が情けなくなった。
妻の妊娠中の浮気、絵に描いたような展開に、自分がその当事者になってしまった。
「調子のいい時はエッチもしてたのに……」
原因がそれだけとは思いたくないけれど、雅樹も男なのだからそういう欲求はあるはずだから仕方ない。
(でも……10年、誰ともしてないとか言ってなかった? もしかしたら……それも嘘?)
新たな事実に歩いていた足が止まってしまった。
今まで信じて来たものが音を立てて崩れていく。
「どうしよう……」
手が自然と大きなお腹をさするように添えられた。
寝る前、ベッドの中で雅樹は照れくさそうな顔をしてお腹に手を当ててくれる。
恥ずかしいからと話しかけるようなことはしないけれど、その仕草がすごく優しくてとても幸せな時間に思えた。
「どうする? パパに捨てられちゃったよ?」
出産予定日も近付いて来て、そろそろ子供の名前を考えようと二人で話していた矢先だった。
週末には一緒に本屋へ行って、そういう本を探しに行こうと思っていたのに……。
幸せな生活から一転、先の見えない暗闇に落とされたような気持ちにまた新しい涙が頬を伝った。
「大丈夫ですか?」
(えっ!? 人がいたの?)
さっきからブツブツと独り言を呟いていて恥ずかしくなった真子に、声を掛けた女性は手にホースを持ったまま近付いて来た。
そこで初めて自分が店の前で立ち止まっていることに気が付いた。
その女性は店の人だったらしく、店の周りに造られた花壇に水を撒いている。
「ご、ごめんなさいっ!」
こんな場所にいて営業妨害と思われたと焦る真子に女性は楽しそうに水を撒きながら首を横に振った。
「いえいえ。せっかくだから寄り道して行きませんか?」
綺麗な色をしたフレームの眼鏡の奥で、人懐っこく笑った瞳に惹き付けられた。
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