『番外編』
Another one10

 風呂から部屋に戻って来た麻衣は髪を拭きながらベッドに腰掛けた。

 スプリングの軋む音が響く静かな部屋、また夜が来たのだと気持ちを憂鬱にさせる。

 肩に付かないほどの長さで切り揃えた髪は、戻って来た時よりも10cmは短くなっている。

 軽くなった髪をタオルで乾かしながら、重く沈む心までは軽くは出来なかったことにため息が出そうになる。

「花……」

 奏太から昼間渡された小さな花束は、ガラスの花瓶に挿してベッド脇に置いてある。

 これも奏太の優しさなのは分かっていた、父も母もいつも以上に気にかけてくれていることも知ってる。

 だからこそ早く元気な姿を見せたいと思っても、明るく振る舞えば振る舞うほど心配を掛けてしまう。

 オレンジ色のガーベラに手を伸ばす。

 柔らかい花弁をなぞる指先が細かく震え、麻衣の瞳から溢れた涙が雫となって頬を伝った。

 陸は何でもない日に花を贈ってくれた。

 陸と付き合うようになってから部屋に花のない日はなく、買い物に出掛けると二人でよく花瓶を選んだりした。

『この前買った花瓶にどう?』

 陸はそう言って花を持ってよく部屋を訪れてくれた。

「……陸」

 今まで何度呼んだか分からない名前を口にする。

(私……間違ってたのかな?)

 自分で選んだことのはずなのに、もう何度その問いかけをしたか分からない。

 麻衣は花瓶の横に置いてある携帯に手を伸ばした。

 使い慣れた携帯はかなり古ぼけているが手にしっくりと馴染み、小さな傷ですら愛しいと思う。

 開くと明るくなった画面に映し出されたのは今にも声が聞こえてきそうな笑顔。

 二人が付き合うきっかけになったこの携帯で自分の顔を撮って勝手に待ち受けにされた。

「陸、陸……」

 携帯を胸に抱きしめて麻衣はベッドに横たわった。

 目尻を伝う涙が枕を濡らすことも構わずに目を閉じれば陸の声が聞こえてくる。

『麻衣! 麻ー衣!』

『麻衣、大好きだよ!』

 あれから一度も掛けることがなくなった登録番号“0番”、携帯はそのままだけれど番号だけ変えてしまったからもう掛かって来ることはない。

 それでもいつだって声は聞こえる。

 目を閉じれば拗ねた横顔も嬉しそうに笑う幼い笑顔も、不意に見せる大人びた表情も瞼の裏に浮かぶ。

 たった数ヶ月一緒に居ただけなのに、心の中にいる陸の存在はあまりにも大きすぎた。

(陸……どうすれば良かったの?)

 その問いに答える声はない。

 ずっとずっと一緒に居たいと思っていた、でも一緒にいるには自分の気持ちがあまりにも大きくなり過ぎてしまった。

 それが怖くなって逃げ出した。

 仕事も住む場所も親しい人達もすべて捨てて逃げ出した。

 大きくなり過ぎてしまった気持ちは後悔という負の感情を生み出した。

 最後に言葉を交わしたあの日の記憶は一年経った今でも忘れることは出来ない。


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