ツイてる乙女と極悪ヒーロー【38】


 駅から続く緩やかな坂、上りきった場所にある学校は、まだ少し遠い。

 この道の先には学校しかないけれど、朝や夕方は一部の生徒の送り迎えの高級車が、列を連ねていて、普通の生徒はその黒塗りの車の列を羨ましく思いながら坂を上っていた。

 でも、今は車の列も生徒の姿もない。

 いつもなら朝の太陽で眩しい学校へ続く道も、今は足元に小さな影しか作れないほど、太陽は仰がないと分からないほど頭上で輝いている。
 遅刻なんて可愛いものじゃない、すでに午前中の授業は終わってしまっている。

 半分ほど上ったところで、ひと息つくように足を止めた私は、斜め上に浮いている次郎を見上げた。

「何で起こしてくれなかったのよ」

(ふんっ。昨日、何があったか言わねー奴なんか知らねー)

 ブスッと膨れた次郎は、立ち止まった私を置いてどんどん先に行ってしまう。

 何があったかなんて……言えるわけないじゃない。



 昨日、三度目に目覚めた時は、自分の部屋のベッドだった。

 記憶喪失になりたい。
 生まれて初めて心の底から思ったのに、さらに追い討ちをかけるように、にわかリポーターの母に質問責めにされた。

「あの礼儀正しくて、カッコいい男の子は誰なの? もしかして花子のカ・レ・シ? もうお母さん何十年ぶりかにドキドキしちゃったわぁ」

 最初は誰のことかと思ったけれど、繰り返すけれどハッキリ残っている記憶が、その男の子の正体を教えてくれる。

「礼儀正しい? 何かの間違いじゃありませんか? どちらかというと悪党というか、極悪というか、悪代官というか……」

 もちろん悪あがきと分かっていたけれど、わずかでも可能性があるかもしれないと、聞いてみると逆に怒られてしまった。

「何を言ってるの! あなたが図書館で眠ってしまったのに、起こしたら可哀相だからって、わざわざ車で送ってくれたって言うじゃない! もう、あんなカッコいい男の子の前で、お母さん恥ずかしくて穴があったら入りたかったわよぉ」

 嘘も方便なんて言うけれど、あんまりだと文句を言いたくなった。
 確かに本当のことを言われても困ったけれど、もう少しまともな嘘をつくことは出来なかったのか。

 さらに疲れた私を待っていたのは、部屋であぐらをかいて宙に浮く、ぶすくれた次郎だった。

 言いたいことも、聞きたいこともあったけれど、ようやく回復した気力を母に持っていかれたばかりで、自ら不戦敗を選び不貞寝で試合放棄をした。



 その結果、完全回復のため熟睡していた私は、不貞腐れたままの次郎に起こしてもらえなかった、というわけだ。

「ジーロー。待ってよー」

 怒っている、と透けた背中に書いてある次郎の名前を呼ぶ。
 それでも止まらない次郎を、もう一度いつもの調子で呼んだ。

(何だよ。白状する気になったのかー)

 前にいたはずの次郎がパッと消えたかと思うと、私のすぐ横に急に現れた。

 瞬間移動!?

 いつのまにそんな技を身に付けたのか……。

「別に何もなかったってば……」

(いーや、絶対何かあったね! おばさんの目を誤魔化せても、この次郎様の目は誤魔化せねー! ハナはなー、嘘をつく時に、鼻の穴が広がるんだぜー)

「えっ、ウソッ!」

 慌てて両手で鼻を覆うと、横に浮いていた次郎が私の前を塞ぐように浮いて、ニヤリと笑った。
 しまったぁ、やられたっ!
 今さら気が付いても遅い、これで私が嘘をついていると確信した次郎が、目を吊り上げて私に迫ってくる。

(吐け! 吐いたら楽になるぞー)

「な、なんのことー?」

 ぜったいに知られるわけにはいかない、突然だったとはいえキスをされてしまった、それも二回目はキスをされると分かっていたのに……。

(おい、こらっ! さっきから鼻の穴がピクピクしてんぞ!)

「してないわよっ! だいたい乙女の鼻の穴を見るなんて、あんたにはデリカシーってもんがないわけ??」

 嘘をついているという自覚があるだけに、鼻の穴説が本当かどうかも分からないのに、意識は鼻の穴ばかりに集中してしまう。
 どうせ次郎の出まかせだと思うけど、もし本当だったらこんな恥ずかしいことはない。
 出てもいない鼻水を拭くために、わざとらしく手を鼻の下に持っていった。

(何が乙女だ。お前は花子だろうが! 早乙女花子! 親にもらった大切な名前に対して失礼だろうが!)

 私のわざとらしい演技に気付かないのか、次郎は腕を組んでまるで父親のようにガミガミ怒鳴った。

「何よ、乙女だって名前の一部だからいいじゃない! って今の乙女はその乙女じゃなくて、本当の意味の乙女な私の乙女って意味で……って、あーもう訳が分からなったじゃない。そーいう次郎こそ、昨日は何やってたのよ! 肝心な時に急に消えて!」

(だから、何度も説明しただろーが!)

「ふんっ、どーだか。その辺にいたおっぱいの大きな可愛いユーレイちゃんに誘われて、墓場デートでもしてたんじゃないんですかー? 私があんな目に合ってる最中に!」

 仕返しのつもりで、適当なことを言ったのに、次郎は間抜けなほどキョトンとした顔を見せた。

 あれ、そんなに変なこと言った?
 妙な間が空いてしまい、言い出したこっちの方が心配になった。

(もしかしてぇー)

「な、何よ」

 次郎が幽霊の透けた身体で私に擦り寄ってくる。
 逃げるように歩いていると、次郎は幽霊だっていうのにこれ以上ないほどの満面の笑みを見せて言った。

(もしかして、ヤキモチですかー?)

「はあ!? あるわけないでしょ!!」

(またまたー、隠さなくてもいいって。ユーレイと人間かぁ、障害があるほど燃え上がるっていうじゃん? これって究極の愛じゃね?)

「バカじゃないの? ほっんと、死んでも頭の悪さはそのままって、どーなってんのよ!」

(いやいや、照れなくてもいいんだぜー。だってーあれだろー? 除霊除霊ってあんだけしつこく言ってたくせに、言わなくなったってことは側にいて欲しいってことだろー)

 普段はバカなくせに、変なところで勘が鋭い。

「な、何言ってんのよ。あんたなんてねー、ただの目覚まし時計代わりなんだからね!」

 自分でも苦しい言い訳だと思う、当然のように次郎も気付いているらしく、返事がなかった代わりに、ご機嫌な鼻歌が聞こえて来た。

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