ツイてる乙女と極悪ヒーロー【35】


 彼の顔が近付いてくる、アメジスト色の瞳は近くで見れば見るほど綺麗、でも不自然なほど顔が近付いてきた。

 な、何……このシチュエーション!

 夕陽に染まる放課後の保健室、ベッドで眠っていた病弱(じゃないけど)女子生徒の前に現れた、正体不明の黒髪イケメン男子。

 王道ともいえる少女マンガシチュエーションに、私の脳内では次のシーンが始まっていた。

 二人の距離が近付いて、彼は彼女の顔をジッと覗き込んだかと思うと、言葉もなく目を閉じて唇をソッと彼女の唇に……。
 100倍に美化された自分が頭の中で目を閉じると同時に、リンクするように自然と目を閉じた。
 名前も知らない男子からのいきなりのキス、彼女は突然の出来事に驚いて泣いてしまうけれど、彼は静かに謝るのよ「ごめん」って、それからこう言うの。

『君があまりに可愛くて、好きだと言う前にキスをしてしまった』

 はにかむ彼の笑顔に、彼女は涙で濡れた頬を拭って、それから……。

 ピローン。

 そう、ピローン……、えっ、ピローン?
 聞こえて来た機械音に、脳内で繰り広げられていた少女マンガ劇場は、突然の終幕を迎えてしまった。
 そして、二度目のピローンが鳴って、私は慌てて目を開けた。

「な……っ!!」

 目の前に突きつけられていたものは携帯電話、カメラのレンズと目が合って、すぐに音の正体も分かった。

 無防備な乙女のキス待ち顔(のつもりだった)を、こともあろうことかキスもせず、写真を撮るとは、たとえイケメンでも許されない。

 イケメンだろうが文句の一つも言ってやろうと思った時だった。

「ここまで間抜けな顔もないな」

 失礼な言葉、その声が数々の失礼な言葉を言ってきた男と同じに聞こえて、カメラの向こうにあるイケメンの顔に視線を移した。

 顔の半分を前髪に占領された、もう何度見慣れた風貌に「アッ」と声を上げる。

「図書館の!!」

 指こそ差さなかったものの、驚きのあまり開いた口が暫く塞がらなかった。

 どうして、なんで……?

 聞きたいことが頭の中をグルグルと駆け巡った末に、出て来た言葉に私はほんの少しだけ情けなくなった。

「さっきのイケメン男子は!?」

 口にしてから、さすがにそれはないだろうと思ったけれど、既に遅かった。
 彼は携帯をポケットにしまうと、今までで一番バカにした声を出した。

「貧相なのは、顔と胸だけかと思っていたが、どうやら頭が一番重症だったらしいな」
「どういう意味よ!!」
「言葉の通りだが……。ああ、そうかお前は日本人のくせに日本語を理解出来ないんだったな。何ならお前にでも分かるように、説明し直してやろうか」
「結構です!!」

 いつぞやと同じような展開に、今度は丁重に(でもないけれど)ハッキリお断りした。

 強い口調にも彼は動じる様子はない。
 何かにつけて私を怒らせることが出来る天才という部分では、殿堂入りしていた次郎と引けを取らないかもしれない。
 私の周りにはどうしてこんな男ばかりなのか、まさか自分がそんな男ばかりを引き寄せているとは気付かずに、怒りながら内心溜め息を吐くと、彼が歩き出した。

「さっさとしろ、下僕。まったく主人を待たせて、イビキをかいて寝るとは、一から教育し直さないといけないな」
「イビキなんてかいてないわよっ!!」

 って、違う違う。
 突っ込みどこはそこじゃない。

 反射的に突っ込んでしまったことはなかったことにして、少し高い位置にある彼の横顔を見て言った。

「下僕って何よ。まさか私のことを言ってるんじゃないでしょうね」
「そうか、頭が貧相なら記憶力も人並み以下ということか」
「はいーー??」

 立ち止まらない彼の後ろをついて歩き、今にも後頭部を殴りそうな右手を左手で押さえつける。
 これ以上、一言でも失礼なことを言われたら、殴る自信がある。

 殴られたくなかったら言動に注意しなさいよ、と背中に向かって心の中で呟いていると、まさか声に出していたのか、立ち止まった彼が振り返った。

「自分で言っただろう。もう忘れたのか?」
「そんなの言うわけ……っ」

 突然、頭の中に記憶が割り込んでくる。

『た……助けなさいよー! 助けてくれたら、下僕でも、メイドごっこでもしてやろーじゃない!』

 確かに言った。

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