『-one-』

3days P50


 黙りこんでしまった陸と困ったように体を小さくする麻衣。

 浴室の中で二人は全裸のまま無言で立ち尽くす、だが沈黙に気まずさを感じる前に陸が口を開いた。

「それが麻衣からの一つだけのお願い?」

「うん……」

 確認されて麻衣は頷いた。

 端から受け入れて貰えるとは思っていなかった、普段から一緒に風呂に入ることを望む陸がその条件を簡単に呑むとは思っていなかっただけに陸の答えに驚きを隠せなかった。

「いいよ」

 陸はあっさりと承諾した。

 少しくらい駄々をこねられるのを覚悟していた、それでも少し粘ってみるつもりだったのに……。

「本当にいいの?」

 やっぱり止めたと言われるんじゃないかと思っても陸は頷いて泡のスポンジを麻衣に差し出した。

「先に麻衣が洗っていいよー」

 手に付いた泡を湯で流した陸は先にバスタブに体を沈めた。

(い、いいのかな……)

 あまりにもあっさりしすぎて少々不気味に思った麻衣だが何か言って陸の気が変わってしまっては困るとここは細かいことにはこだわらないことにした。

 でも後で考えれば陸がそんな簡単に引くこと自体がおかしかったのだ。

「本当は麻衣の体も髪も俺が洗ってあげたかったんだよ? それなのに麻衣がどーーーーしてもって言うから俺は泣く泣く諦めたのにさ」

 それが大袈裟じゃなく本心だから困る。

 陸は本当に体も髪も自分の手で洗うつもりでいた、今からでも許したら二回目だろうが喜んで洗うに決まっている。

 だからこそ我慢をさせた麻衣は怖くなっていた。

 我慢はすればするほど反動が大きい、例えばダイエットで大好きなお菓子を我慢しても結局は少し痩せた後に今まで我慢していた以上を食べてしまうのと同じ。

 麻衣は軽はずみにしてしまった「たった一つの願い」の代償がどのくらいのものになるか想像も付かなかった。

(逃げられないのは分かってるけど……)

「の、のぼせちゃいそうだから出るね」

 麻衣は陸の視線から体を隠すようにしてバスタブの縁に手を掛けるとそのまま一気に立ち上がろうとした。

「このまま、逃げられると思った?」

 どんな速さで動いたのか、陸は立ち上がり両手を縁に置いて麻衣の逃げ場を塞いだ。

 麻衣は中途半端に腰を上げたままの格好で真後ろに立っている陸を振り返った。

「麻衣の考えてることなんてバレバレ。お風呂でエッチなことされるんじゃないかって……気が気じゃなかったんでしょ?」

「そ、それは……」

(そうなんだけど……)

 どうしてもベッド以外の場所でということに恥ずかしさが先に立ってしまう。

 逆にベッドでもどこでも平気な陸はことさら二人で入る風呂に執着しているように見えた。

「今日は普通に風呂に入るつもりだったんだけどさ……」

「え?」

「あんなお願いされて、しかもこんな風に逃げるように出て行かれるとさ……エッチなことはベッドに行ってからと思ってたけど気が変わった」

「り、陸?」

「麻衣ちゃんが悪い。俺に我慢ばっかさせるから……見てるだけなんて体に悪いんだよ?」

 陸の声が低く囁いた。

 耳のすぐ側から聞こえて来るその声は甘い疼きを目覚めさせるとジワジワと広がっていく。

「もう逃がしてなんてあげないよ?」

 その声は言霊となり見えない鎖が麻衣の体から自由を奪う。

 掠れた声で囁いた陸は濡れた麻衣の背中にチュッと音を立ててキスをした。

 小さく体を震わせた麻衣の頭が左右に揺れる、拒むようにも見える仕草だが陸は再びバスタブに体を沈めると手を差し出した。

「おいで」

 麻衣は困ったように視線を泳がせる。

 逃がさないと言うのなら無理矢理にでも腕の中に閉じ込めてしまえばいい、それなのにいつも手を差し伸べて最後の最後で選択させ決して選ばれることのない逃げ道を用意してくれている。

 この手を拒めば……でもその手を拒む術を知らない。

 知っているのはこの手を取れば激しくて淫らな……それでいて蕩けそうなほど甘く愛される時間が待っているということ。

 たった一度でも虜になってしまうその愛を、昼夜を問わずその身で受け止めてきた麻衣は今日もまた陸の手を取った。

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