『-one-』

3days P40


「麻衣、よく考えてみろよ。俺の言ってることが正しいって分かるはずだ」

 相変わらず男は同じような言葉を繰り返しているだけだった。

 そして相変わらず麻衣の声は聞こえない、ただ何かを言ってるみたいで時々ボソボソと囁くような音は聞こえたが何を言ってるのかまでは聞き取れなかった。

 けれど瞬間的に辺りの音が止んだ。

 まるでそうなるように仕向けられているみたいにその時に発した麻衣の言葉は一言も漏らすことなく陸の耳に届いた。

「正しいのは分かる……でも、私は……」

(正しい!? 何言ってるのか分かってるのか!?)

 陸はもう我慢出来なかった。

 二人の腕を乱暴に振り解き力いっぱい地面を蹴ると反対側にいる麻衣の元へと飛び出した。

 突然現れた陸の姿に麻衣だけでなく智親も驚きを隠せず目を丸くしたままポカンと陸のことを見つめている。

 だが陸の瞳には泣き出しそうな麻衣だけしか映らない、まるでこの世界に二人しかいないとでもいうように麻衣だけを見つめた。

「ぶれてんじゃねぇよっ!!!」

 あまりの大声に驚き体をビクつかせた麻衣が手から鞄を落としそうになった。

 それを間一髪受け止めた陸は片手で鞄の中を探る、だがその間も瞳に涙を溜める麻衣の顔から視線を逸らそうとはしなかった。

 瞬きするのも忘れて見つめていた陸は目的の物を探し出すと麻衣の手を取った。

「そんな簡単なことも分からなくなるようならどんな時でも外すなよ!」

「イッ……イタッ……」

 陸は麻衣が声を上げるのも構わずに麻衣の左手をよく見えるように顔の前に出した。

 左手の薬指にハートにカッティングされたダイヤモンドの指輪が輝いている。

 二人で迎える初めての麻衣の誕生日、冬の風が冷たい海でプロポーズして麻衣に贈った指輪。

 一度は麻衣の手から離れた時もあった、その時はもう二度とこの指輪が輝くことはないのかもしれないと考えたこともあった。

 でもこの指輪は持つべき者の指を知っている、その指に填められて初めて指輪としての輝きを放つことが出来るとでもいうように麻衣の指に填めると輝きを増した。

「ぜってぇ忘れんなっ! ふらふらすんなっ! 中途半端な気持ちじゃないって分かってんだろっ」

 麻衣は自分の左手に輝く指輪を見てゆっくりと瞬きをした。

 下りてきた瞼に溢れた涙は押し出されるとゆっくりと麻衣の頬を伝い陸の靴のつま先を濡らして消えた。

 返事はなくても自分の声が麻衣の心に届いた手応えがある、振り子のように揺れていた麻衣の心がピタリと止まり自分だけに向けられている。

 陸はきつく握っていた手から少し力を抜くと瞳に優しい色を浮かべた。

「それでも麻衣が不安だって言うなら俺は毎日でも言ってあげる。麻衣が信じられるまで自信が持てるまで何度だって言うよ。俺はずっとずっと死ぬまで麻衣を愛してる。こう見えて俺ってけっこうしつこいからな、死んだって麻衣のこと離してやれないからな」

 瞳と同じ甘くて優しい声は魔法のように麻衣の心に出来た傷も癒していく。

 麻衣が何とかして涙を流さないでいようとする努力を陸はあっという間に無効にする術を知っているのか麻衣の瞳にはみるみるうちに涙が浮かんだ。

「恥ずかしくなるほど真っ直ぐな口説き文句だなー。そりゃ麻衣ちゃんも惚れちゃうわけだ、こりゃ」

 植え込みから出て来た誠は退路を塞ぐように智親の後ろに立ち、陸の言葉に恥ずかしそうに顔を覆う彰光は智親と陸の間に立った。

 この場には不釣合いなのんびりした声で軽口を叩く彰光に誠は間が悪いと視線を送った。

 二人がそんなことをしている間も陸は気にすることなく腰を少し屈めると麻衣と視線の高さを合わせた。

「麻衣、泣いてちゃ分かんない。ちゃんと俺の言ってること分かった?」

 ボロボロと大粒の涙を黙って流す麻衣に陸は顔を近づける。

 グスグスと鼻を啜り時々しゃくり上げる麻衣に陸は少しだけ困ったようにでもホッとしたように笑った。

「泣き虫さん、そんなに泣いたら後で頭痛くなっちゃうよ」

「だっ……て」

 陸は両手で頬を挟むようにして涙を拭ったが後から後から溢れてくる涙はあっという間に陸の手を濡らしてしまう。

 ようやく言葉を発した麻衣に陸は頬に添える手に力を入れると真剣な眼差しを向けた。

「麻ー衣? まだ信じられない? 目の前にいる俺の言葉よりも別れた男の言葉の方を信じるの?」

 麻衣は黙って首を横に振った。

 口を開くと嗚咽が漏れてしまうのかきつく唇を噛んで、涙を堪える時に出来る鼻の上の皺がくっきりと刻まれている。

「十年後のことなんて誰にも分かんないだろ。あんただって麻衣よりももっと若くて可愛い子に迫られたらコロッといくに決まってんだよ」

 それまで黙っていた智親が口を挟んだ。

 その言葉に麻衣はビクッとしたが陸は自分がいると意識を向けさせると、もうさっきまでのように瞳を揺らすことはせず陸の瞳を真っ直ぐ見つめた。

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