『-one-』

3days P36


 何でそんなことを言うのか分からなかった。

 付き合う前から年の差が八歳あったことは二人とも理解していた、どんなに年を重ねてもその差が縮まらないことくらい分かっている。

 だからそれを指摘されたって平気なはずなのに智親の言葉は麻衣の心を深く抉った。

 麻衣は智親の言葉にもその言葉で簡単に心を揺らしてしまう自分にも逃げ出したかった。

 けれど掴まれた手がそうはさせてくれない。

「悔しいけど麻衣の彼氏はカッコイイと思う。きっと十年経ったら今よりももっとイイ男になってると思う。その時になっても麻衣を愛してくれるって言い切れるか?」

「陸は他の人と違……」

「本当に?」

「ずっと側にいてくれる……」

 自信のない声は少しでも自分を励ますように言っているように聞こえた。

 いつだったからおばあちゃんになってもするって笑いながら言ってくれた陸の言葉、その時はそこまで深く考えなかったのに今になって突然その言葉が不透明になる。

「年を追うごとに老けていくんだよ。それでも気持ちを引き止めていられるって言える?」

「もう、いい……」

 陸以外の言葉は聞きたくなかった。

 麻衣はイヤイヤと激しく頭を振りながら無理矢理手を解くと鞄の中を引っ掻き回して携帯を取り出した。

 今すぐ陸の声が聞きたい。

 いつもみたいに優しい声で「ずっと大好きだよ」って言って欲しかった。

 リダイヤルのボタンを押して耳に携帯を押し付けることを智親は止めなかった、ただ逃げ出さないようにと植え込みの周りに立てられた柵に手を置いて麻衣の退路を塞いだ。

(陸……お願い……出て……声を聞かせて)

 怒っている声でもいいから一言でもいいから陸の声が聞きたかったのに流れてきたのは無情にも電波が届かないと伝えるアナウンスだった。

 携帯を握り締めていた麻衣の手がだらりと落ちた。

「俺なら同じように年を取っていける。麻衣が四十になっても五十になっても俺も同じように年を取っていくよ」

 心が聞くことを拒もうとしているのに耳は智親の柔らかい声をしっかりと受け止めた。

 智親の言うとおり今は若くてカッコイイ陸は十年経っても変わらずにカッコイイはず、でもその時の自分はもう四十手前のオバサンと呼ばれる年齢になっている。

 いくら化粧品にお金を掛けても根本にあるものは変わらない、三十九歳の自分は陸に心を寄せる二十代の女の子に敵うのだろうか。

「一昨日再会した時は本当はヨリを戻そうなんてあまり思ってなかった。ただあの頃よりも綺麗になった麻衣を見てバカだった自分を後悔するだけだった」

 まるで麻衣の乱れに乱れる心のうちを宥めるように優しくゆっくりと言葉を紡いでいく。

「でもあの男が麻衣の彼氏だと知った途端、麻衣のことが心配になった。二十代の失恋と三十代の失恋じゃきっと受けるダメージ違う、そう思ったら麻衣を放って置けない!」

 陸と別れるのは今であっても十年後であってもきっと同じくらい辛いと思えた。

 でも智親の言葉をハッキリと否定出来ないのはそれが麻衣も理解出来るほど正論で自分が逆の立場だったら同じことを言っていたかもしれないと思ったからだった。

(でも……私は……)

 風に揺れる蝋燭の炎のような麻衣の心に遠慮なく相打ちが掛けられる。

「俺を信じられないなら今すぐ俺と付き合ってくれなくてもいい。でもこのまま付き合いを続けていくことに俺は反対だ」

 真っ直ぐな智親の視線が麻衣の心を射抜こうとしている。

 一昨日のふざけた態度は微塵も感じさせないその態度に麻衣の決心が鈍る、適当に誤魔化すこともせず真っ直ぐに言葉をぶつけられた衝撃はかなり大きかった。

 智親の強い視線から目を逸らせない麻衣は既視感を感じた。

 強く真っ直ぐに自分を見つめる視線、目の前にいる智親とは違うもっと熱っぽくて挑戦的に自分に注がれる視線。

 まるで猛禽類のような鋭さを持っているのに同時に感じさせる媚薬のような甘さをもうずっとすぐそばに感じていた。

(陸……私はどうしたら……)

 初めて車の中で告白した時の辛そうな瞳、付き合いを承諾した時の激しさの込められた瞳、別れを覚悟したときに同じように涙で濡れた瞳、駄々っ子のように幼さの残る瞳、自分が足りないと抱きしめる時の潤んだ瞳。

 どんな時でもその視線は自分に注がれて来た。

 この先もそれはずっと変わらないと思っていたのにこんなにも簡単に心を揺らしてしまった……。

「麻衣、よく考えてみろよ。俺の言ってることが正しいって分かるはずだ」

 聞きたいのは智親の声ではない、麻衣は離れてしまいそうな心を引き止めるために智親の声を拒んだ。

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