『-one-』
3days P29
結局ほとんど言葉も交わさずに駅に着くと智親に行き先を聞かれ麻衣は迷いながらも行き先を告げた。
乗車券を買っている智親の後ろ姿を見ていた麻衣は定期券を出そうとすると振動している携帯に指先が触れた。
(あ……まだマナーモードのままだった)
いつもならすぐに解除するはずなのにすっかり忘れていたことに気付き、電話が切れてしまわないように慌てて携帯を取り出した。
着信を告げる画面に出ていた名前は陸で麻衣は一瞬出ることをためらったがそれも一瞬ですぐに通話ボタンを押した。
『ごめん、仕事中だった?』
心配そうな陸の声だ。
「もう終わったよ。今駅に着いてこれから電車に乗るところ」
麻衣は心の動揺を悟られたくない一心で平静を装った。
陸を前にしたらそんなものは無意味になるくらい一瞬で見破られてしまうけれど電話ならなんとか誤魔化せるかもしれない。
陸が聞いたら怒りそうなことを思いながら電話の向こうの陸の反応を窺った。
『お疲れさま。俺も用事終わったし麻衣が着く頃に駅に行くね』
(良かった……気付かれてない)
いつも通りの陸の返事にホッと胸を撫で下ろした麻衣は乗車券を買い終えた智親がジッとこっちを見ていることに気がついた。
少し離れていた所に立っている麻衣に向かって真っ直ぐ歩いてくる智親に麻衣は動揺を隠せなかった。
(早く……電話切らなくちゃ)
もし智親と一緒にいることを陸が知ってしまったら絶対に心配すると分かっていた。
この前のようなことがまた起こってしまうかもしれない、あんな風に怒る陸を見たくないしもうあんな風に怒らせたくない。
『そうだ! 何食べたいか決めた?』
「何でもいいよ」
事務所を出た時に考えていたことを口にする余裕はこれっぽちもなかった。
その声があまりに素っ気無いことにも気付けない。
一歩ずつ近付いて来る智親の姿から目を離せず、電話のタイミングの悪さと上手く対処出来ない自分に苛立った。
『麻衣……もしかしてまだ怒ってる?』
敏感に何かを察知した陸の声が曇った。
(どうしよう……)
何とか誤魔化さなくちゃいけないと頭を働かせようとするのにもう触れられる位置まで近付いた智親から意識を外せなかった。
『麻衣ー? 今日は麻衣の好きなもの何でも食べていいから、だからもう機嫌直してよー』
「もう……怒って……」
「麻衣ちゃん、もう電車来るよ」
怒ってないから大丈夫だよ、そう言って安心させるつもりだった。
それなのにその言葉を最後まで言い終えることが出来ず、代わりに陸の耳に届いたのは麻衣の目の前に立つ智親が発した言葉だった。
電話の向こうから音が消えた。
「あ……あ……」
何か言わないとと焦れば焦るほどそれは言葉になることはない。
「乗り遅れてもいいならいいけど」
智親が構わずに話しかけてくることに麻衣は苛立った。
(陸が、陸がきっと心配して……)
これ以上心配掛けたくないと思った麻衣は思わず携帯の通話口を手で押さえつけると智親を睨みつけた。
「黙ってて、お願い……」
囁くような声で懇願した麻衣は智親から距離を取るために足早に離れる。
気持ちを落ち着けるために深呼吸してから押さえていた手を離した。
「ごめんね、陸……また駅に着いたら電話す……」
『聞こえた』
後で説明すればいい、とりあえず今は誤魔化しておこう。
そんな浅はかな麻衣の考えは本当に浅はかなものになってしまった。
完全にいつもと様子の違う声で誤魔化そうとした麻衣は最後まで言うことが出来なかった。
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