『-one-』

3days P26


「そこ、笑うとこ!?」

「だってぇ……」

「信じらんないっ! 俺、真面目に言ったのにっ!」

 目尻に涙を浮かべて笑う麻衣に陸はむくれて顔を窓の外に向けた。

 麻衣は窓に映る陸の拗ねた顔が可愛くてまた笑ってしまいそうになるのを堪えながら包み込んだ陸の手と自分の手を指を絡めるように繋いだ。

「陸、こっち向いて?」

「やだっ!」

「りーく、このまま仕事行ってもいいの?」

「…………」

 始業時間までそれほどあるわけじゃない、もう数分もすれば車を降りて職場に向かわなくてはいけない麻衣に言われると陸はゆっくりと顔を向けた。

 麻衣の手で上げられた帽子のつばは下ろされて拗ねた陸の表情は隠されてしまっている。

 それでもつばの下から覗く尖った唇を見ればどんな表情をしているか簡単に想像出来てしまう。

「俺……すっげぇ格好悪いじゃん」

「どうして?」

「だって子供みたい。昨夜あんなにして麻衣怒らせたのに……麻衣は大人でこんな風に俺の気持ちを簡単に変えさせる」

 それはお互い様だと麻衣は思った。

 陸の言葉や仕草の一つ一つで喜んだり照れたり時には怒ったり不安になったり、どんな時だって自分に一番の影響を与えるのは陸以外にいなかった。

「じゃあどうしたら機嫌直してくれる?」

「別に……俺、怒ってないし。機嫌直して欲しいのは麻衣だし……」

「私はもう怒ってないの。でも陸は朝から元気なくなっちゃったでしょ?」

「子供扱いしてる」

 八歳の年の差が時々見え隠れする二人の関係、こんな風に宥められると陸はたまらなく自分の子供っぽさに腹が立った。

 だが麻衣は誰にも見せることのない甘える陸を見るのが嬉しくてどうしても頬が緩む。

 それが陸をさらに意固地にしてしまうと分かっていながら麻衣は今日も優しく微笑みながら陸に声をかけた。

「陸、そんな顔してたら私仕事に行けないよ?」

「じゃあ……――――」

 陸が小さく囁いたその後にゆっくりと助手席のシートが倒れる。

 ここが会社のすぐ近くで今は朝でしかも時々車が横を通り過ぎる、そう分かっていても甘えるように唇を求めてくる陸を拒めない麻衣は黙って目を閉じた。

 ――キスしたら機嫌直す。

 子供のように言いながら重なった唇は大人のキスだった。

 瞳が潤んでしまう前にキスを追えた麻衣は時計を見るなら慌てて体を起こした。

「じゃあ行くね! また夕方メールするからっ!」

 さっきの甘い雰囲気は幻だったのか、慌しく車のドアを開けながら麻衣がそう言い放つ。

「ちょっと麻衣!? 何それ! イチャイチャの余韻は? よ・い・ん!」

「そんなことより遅刻したら大変!」

 いつの間にか始業時刻まであと三分まで迫っていて、車の窓から陸が声を掛けても麻衣は振り返りもせず猛ダッシュをした。

(それもあって疲れたが増したんだ……)

 麻衣はギリギリ間に合って息を整えながら自分の机に座り陸から送られてきたメールを開くと怒った顔の絵文字が一つ、また機嫌を取らないといけないなと思っていると続けもう一通。

『無理しないでね。今日は美味しいもの食べに行こうね』

 何て返そうかと悩んで顔を上げると事務所の前をゆっくり通り過ぎる一台の車、その運転席ではいつもの笑顔で手を振る陸がいて麻衣は迷うことなく文字を打つ。

『気をつけて帰ってね』

 もちろんハートマーク付き。


(子供っぽとこもあるんだけど……)

「イッ……」

 陸のことを思い出していた麻衣は突然襲った痛みにハッとして顔を上げた。

(あ……そうだ私……)

 今がどんな状況か忘れていたわけじゃない、でも微笑ましい陸との朝のやりとりを思い出している間は他のことはすっかり頭から消えていた。

 それを思い出せたのは再び強く握ってきた智親の手だった。

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