『-one-』
3days P25
あまりの腕の強さに麻衣は小さな悲鳴を上げた。
「用事って? あの派手な男に会いに行くの?」
「関係ないでしょ。手……離して」
麻衣は掴まれた腕を振り解こうとしたが逆に力を加えられて顔を顰めた。
指の先が食い込むほど強い力で握られている二の腕に鈍い痛みが走り麻衣はハッキリと恐怖を感じた。
「や、止めて……」
何をされるか分からない恐怖、その恐怖からか麻衣の声は震えている。
腕を掴んだままの智親は少しだけ力を緩めたが決して離そうとはせず麻衣の前に回りこむように立ちはだかった。
「ごめん……怖がらせるつもりはないんだ……」
智親が苦しそうに呟いた。
麻衣は恐怖で強張らせていた顔を意外な智親の言葉に反応するように上げた。
「麻衣とあんな風に別れてからずっと麻衣のこと気になってんだけど……俺、どんな顔して麻衣に会ったらいいか分からなくて……」
いつもの人懐っこい笑顔ではなく真面目で沈痛な表情、付き合っている間には一度も見たことがない初めて見る智親の表情に麻衣の視線は釘付けになった。
頭の中ではこんな話に付き合っていないで手を振り切ってしまえという声がする。
それでもそう出来ないのはもう一人の自分が智親が何を言うのか気になって体を動かそうとしなかった。
「この前会った時はすごいビックリしたけど……本当に嬉しくて、あの時のことちゃんと謝らないとって思ったのに目の前の麻衣があまりに綺麗になってたから……俺……」
迷いながら言葉を選ぶ智親を見る麻衣の瞳が動揺で揺れる。
麻衣の知っている智親はいつも自信たっぷりで笑みを絶やさない人、こんな風に不安で顔を曇らせて言葉を迷わせるようなことは一度としてない。
「麻衣ちゃん……」
足元を見つめていた智親の視線が麻衣の顔へと移った。
智親から目を離せなかった麻衣の瞳と悲しげな智親の瞳は自然と絡み合い、麻衣は瞳を逸らすタイミングを外してしまったように動けなくなった。
呼びかける声は初めてドライブしたあの日の彼の声を思い出させた。
彼の横顔を照らすオーディオの青白い淡い光、流れていた男性ヴォーカルが切なげに歌うラブバラード、膝の上に乗せた手に重ねられた彼の手の熱さ、優しく触れるだけのキスをした彼の唇。
ずっと昔のことなのに昨日のことのように思い出せる。
(好きじゃない、もう好きじゃないのに……)
今までずっと思い出すこともなかった、むしろ自分の中では決していい思い出ではないのだから思い出したくなかった。
それにこんな風に感傷的になっている自分は陸を裏切っているような気がした。
「止めてよ……もう終わったことでしょ」
(陸……)
頭の中に浮かんだ陸の笑顔に麻衣の瞳に力が戻った。
(陸が待ってるから早く行かないと)
麻衣は今朝の陸のことを思い出した。
今朝は麻衣の体調を気遣った陸が車で会社まで送り、いつもより少し早めに着いてしまうと近くの公園の横に車を停めた。
「ごめん」
寝癖の付いた髪を隠すように目深にキャップを被りTシャツにジーンズ姿の陸は朝から機嫌の悪い麻衣に向かって何度目か分からない謝罪の言葉を口にした。
さすがにもう怒りも冷めていた麻衣はからかうようにキャップのつばをグッと下げた、まったく表情の見えなくなった陸は顔も上げず遠慮がちに手を伸ばすと麻衣の小指に自分の指を絡ませた。
「もう、しない……」
「陸ー? 出来もしないことは言わないの」
表情の見えない陸の顔を見ようと麻衣が帽子のつばを持ち上げる、現れたのは置いて行かれた子供のように頼りない顔だった。
そうさせているのは自分でそれを笑顔に変えることが出来るのも自分。
決して自惚れではないけれど麻衣はそれが自分の役目だと思っていて優しい笑みを浮かべると絡めた指を解いて両手で包み込んだ。
「別にしたくないなんて言ってないでしょ? ただ次の日に仕事がある日は……ね?」
(分かるよね?)
そんな意味を込めた視線で陸の顔を覗きこんだ。
「分かってる……けど」
渋々承諾するような陸の声が先を続けた。
「エッチしてる時の麻衣が可愛くて離してあげられない」
だから悪いのは俺だけじゃなくて麻衣も悪い、小さな小さな声で続けた陸は麻衣の機嫌を伺うようにチラッと視線を向ける。
麻衣は怒っていいのか恥ずかしがっていいのか分からず思わず吹き出してしまった。
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